第8話 魔女裁判と、一閃の鉄
狂気が、フロンティアの広場を支配していた。
井戸の水が黒く濁ったという事実。そして、その水を最後に汲んだのがアンナだったという偶然。毒への恐怖に煽られた村人たちは、最も単純で、最も残酷な結論に飛びついた。
「アンナを捕らえろ!」
「そうだ、魔女を火あぶりにしろ!」
数人の男たちが、理性を失った目でアンナにじりじりと詰め寄る。アンナは恐怖に顔を歪め、後ずさるしかできない。
「やめろ! みんな、落ち着いてくれ!」
俺はアンナの前に立ちはだかり、両手を広げて村人たちを制した。
「アンナがそんなことをするはずがない! これは罠だ! ハイエナのリーダー、サラの仕業だ!」
「何を言ってるんだ、ユウキ!」
ダントさんが、苦悶の表情で叫んだ。「俺たちも信じたくはねえ! だが、現に水は毒に汚染され、アンナがその場にいたんだ! 他に誰がいるってんだ!」
「いるんだよ!」
俺は物陰の方を指差した。だが、そこに毒婦サラの姿はすでになかった。煙のように消え、混乱を置き土産にしていったのだ。
証拠がない。俺の言葉は、パニックに陥った村人たちの耳には届かなかった。
「ユウキ、お前も魔女の仲間か!」
「アンナに誑かされているんだ!」
疑いの目は、ついに俺にまで向けられ始めた。村を守るために戦ってきたはずの俺が、今や村人たちの敵になろうとしている。サラの策略は、俺たちの絆を内側から見事に引き裂いていた。
「……静まれ!」
その時、広場に響き渡ったのは、ザギの野太い声だった。
彼と、元サンドクローラーの仲間たちが、いつの間にか俺たちの周りを固めるように立っていた。その手には、訓練用の棍棒が握られている。
「てめえら、正気か。ハイエナの思う壺じゃねえか。仲間内で殺し合いを始めて、一体何になる」
「よそ者は黙ってろ!」ダントさんが吼える。「これは俺たちの村の問題だ!」
「よそ者だからこそ、見えることもある」キバが冷ややかに言い放つ。「アンタらは、恐怖に目が眩んで、一番大事なもんを見失ってるぜ」
村人たちと、元サンドクローラーたち。二つの集団が、アンナと俺を挟んで睨み合う。状況は、最悪の内部抗争へと発展しようとしていた。
「もういい……」
その時、俺の後ろから、震える声が聞こえた。アンナだった。
彼女は涙を浮かべながらも、毅然とした表情で一歩前に出た。
「私がやったと、みんなが言うなら……それでみんなの気が済むなら……もう、いいわ」
「アンナ! 何を言うんだ!」
「だって、このままじゃ、ユウキまで……! 村が、バラバラになっちゃう……!」
彼女は、自分を犠牲にすることで、この狂気の連鎖を止めようとしているのだ。その自己犠牲の精神が、俺の胸をナイフのように抉った。
ふざけるな。
俺が守りたかったのは、こんな結末じゃない。
お前がいない村に、なんの意味がある。
俺は、背負っていた麻袋を地面に下ろした。中には、さっき掘り出したばかりの、あの鉄の塊が入っている。
「……証明してやるよ」
俺は低く、地を這うような声で言った。
「アンナの無実も、俺の正しさも、全部な」
俺は麻袋から、鈍い光を放つアイアンポテトを一つ取り出した。その異様な見た目と重厚な存在感に、広場にいた全員が息を呑む。
「ユウキ、それは……?」
ギデオン長老が訝しげに問う。
「俺が作った、新しいポテトだ。『アイアンポテト』と名付けた」
俺は言い放つと、広場の隅に転がっていた、賊から奪った鉄製の盾を指差した。
「ダントさん! あの盾を、広場の向こうにある廃屋の壁の前に立てかけてくれ! 俺が、こいつで撃ち抜いてみせる!」
「はあ!? 撃ち抜くだと? イモでか?」
「いいから早くやれ! 頼む!」
俺の気迫に、ダントさんは戸惑いながらも、言われた通りに鉄の盾を拾い上げ、広場の反対側にある廃屋の前に、それを立てかけた。村人たちが、俺が何をしようとしているのか、固唾を飲んで見守っている。
「ユウキ、やめて! もういいから!」アンナが俺の服の袖を掴む。
俺は彼女の手をそっと握り返し、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だ。ポテトを信じろ」
俺はゆっくりと息を吸い、狙いを定めた。手の中にあるアイアンポテトの、ずっしりとした重みを感じる。全身のバネを使って、腕をしなやかに振り抜いた。
ヒュッ、と重い風切り音がして、アイアンポテトは一直線に廃屋の前の盾に向かって飛んでいった。
そして――。
ゴォンッ!
鈍く、重い破壊音が響き渡った。
アイアンポテトは、分厚い鉄の盾を、まるで紙でも貫くかのように、いともたやすく撃ち抜いたのだ。
だが、衝撃はそれだけでは終わらなかった。
勢いを失うことなく、アイアンポテトはそのまま背後の廃屋の壁に激突した。
ドゴォォン!
乾いた木材でできた壁が、大砲でも撃ち込まれたかのように、粉々に砕け散った。
……しん、と広場は静まり返った。
誰もが、目の前で起こった現象を理解できずに、ただ呆然と立ち尽くしている。鉄の盾を貫通し、家の壁を破壊するイモ。そんなものが、この世に存在するなど、信じられるはずもなかった。
俺は、静寂を破ってゆっくりと口を開いた。
「見たか。これが、俺のポテトの力だ」
俺は砕け散った壁の向こう側を、まっすぐに見据えた。そこには、瓦礫の陰で身を潜め、驚愕に目を見開いている女の姿があった。毒婦、サラだ。
「アンナが魔女だと言うのなら、この俺は何だ? 悪魔か? 神か? 違うな。俺はただの、ポテト農家だ」
俺はサラに向かって、ゆっくりと歩き始めた。
「お前の姑息な罠は、もう見破られてる。お前がやったんだろ、サラ。お前が、この村に潜んで、井戸に毒を撒いたんだ」
正体を暴かれ、サラの顔から余裕の笑みが消えた。彼女は素早く身を翻すと、闇に紛れて逃げようとする。
「逃がすか!」
ザギとキバが、左右から回り込んでサラの退路を塞いだ。さすがは元サンドクローラー、動きが速い。
追い詰められたサラは、懐から小さな袋を取り出し、中身を地面にばら撒いた。
「邪魔するんじゃないよ、クズども!」
カラン、と乾いた音を立てて転がったのは、『マキビシ』だった。だが、ただのマキビシではない。その先端は、不気味な紫色の液体で濡れている。デビルズオーキッドの毒だ。
「毒だ! 踏むな!」
ザギたちが、慌てて足を止める。
その隙に、サラは再び逃走を図った。
だが、俺は冷静だった。
俺は、足元に転がっていた普通のストーンポテトを一つ拾い上げると、サラの足元めがけて、低く鋭く投げつけた。
ガッ!
「きゃっ!?」
ポテトは正確にサラの足首に命中し、彼女はバランスを崩して派手に転倒した。その拍子に、彼女の首から下がっていた、あの緑色の石のペンダントがちぎれて、地面を転がっていく。
俺はそれを見逃さなかった。
俺はペンダントに向かって駆け寄り、それを拾い上げる。
そして、毒で黒く濁った井戸水の桶に、その石を浸した。
すると、魔法のような光景が広がった。
石が触れた場所から、黒い濁りがみるみるうちに消えていき、水が元の透明さを取り戻していくのだ。
「……解毒剤」
ザギが言っていた噂は、本当だったのだ。
「これでもまだ、アンナを疑うか?」
俺は澄み切った水の入った桶を掲げ、村人たちを見渡した。
彼らは、今度こそ自分たちの過ちに気づき、顔を青くして、あるいは恥じ入るように俯いている。ダントさんは、アンナの前に進み出ると、深々と頭を下げた。
「……すまなかった、アンナ。俺たちは、どうかしてた」
アンナは、黙って首を横に振った。彼女を責める気など、微塵もないのだろう。
俺たちの勝利だった。
俺のポテトが、俺とアンナの絆が、そしてザギたちとの間に芽生えかけた信頼が、毒婦サラの狡猾な罠を打ち破ったのだ。
だが、倒れ込んだサラは、悔しそうに顔を歪めながらも、まだ不気味に笑っていた。
「……やるじゃないか、ポテトの小僧。でも、これで終わりだと思わないことね。私の『ハイエナ』たちは、もうすぐそこまで来ている。この村は、骨の一本も残さず食い尽くされるのよ!」
彼女がそう叫んだ瞬間、地平線の彼方から、あの忌まわしいエンジン音が響き渡ってきた。一つや二つではない。何十ものバイクが、このフロンティアを目指して驀進してくる音だった。