第6話 不信の壁と、交わる未来
元サンドクローラーたちがフロンティアに身を寄せてから数日が経った。
しかし、俺が期待したような融和への道は、想像以上に険しいものだった。村に漂う空気は、まるで火薬庫のように、些細な火種で爆発しかねない緊張感をはらんでいる。
「おい、てめえら! 見張りっていうのはな、ただぼんやり立ってるだけじゃねえんだ! 風の音、獣の気配、砂塵の立ち方! 五感を研ぎ澄ませろって言ってんだよ!」
村の入り口で、ダントさんの怒声が響き渡っていた。
ザギの提案で、元サンドクローラーたちが村の若者たちに荒野での索敵や戦闘の技術を教える、合同訓練が始まったのだ。しかし、それは指導というより、一方的な罵り合いに近いものだった。
「うるせえな、オッサン。俺たちのやり方に口出すんじゃねえよ。そもそもアンタらのやり方は悠長すぎるんだ。敵を見つけたら、即座に叩き潰す。それが荒野の掟だ」
ザギの部下の一人、キバと呼ばれる傷だらけの男が、ダントさんを睨みつけながら吐き捨てる。彼は元サンドクローラーの中でも特に血の気が多く、村人たちとの衝突が絶えなかった。
「何だと、このクソガキが! ここはてめえらの縄張りじゃねえ! フロンティアのやり方に従え!」
「それが気に食わねえって言ってんだよ!」
一触即発。今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気に、他の村人たちもザギの仲間たちも、互いに敵意を剥き出しにして距離を取る。
共同体としての防衛を重んじる村人たちと、個の力による生存を信条とする元賊たち。あまりにも価値観が違いすぎた。
「ユウキ……このままじゃ、ハイエナが来る前に俺たちで潰し合いになっちまうぞ」
物陰からその様子を見ていたアンナが、不安そうに俺の袖を引いた。
俺も、眉間に深いしわが刻まれるのを感じていた。このままではダメだ。彼らを繋ぎ止める、何かが必要だ。
「……少し、頭を冷やさせないとだな」
俺はため息をつき、その場を離れてギデオン長老の家に向かった。今は、俺がやるべきことを進めるのが先決だ。ハイエナの毒に対抗する切り札、『薬効ポテト』の開発。そのためには、長老の協力が不可欠だった。
長老の家は、薬草の独特な匂いで満ちていた。壁一面に乾燥させた薬草が吊るされ、棚には様々な色の液体が入った小瓶が並んでいる。
「長老、お話があります」
「ユウキか。入るがよい。村の者たちと、ザギたちが揉めておるようじゃな」
長老は、乳鉢で薬草をすり潰しながら、すべてお見通しといった様子で言った。
「はい。ですが、今はそれよりもっと大事な話です。ハイエナの毒に対抗するために、長老の力をお借りしたい」
俺は単刀直入に切り出した。そして、じいちゃんの日誌にあった「ムーンリーフとポテトの交配」という一節について話した。
「ムーンリーフを、俺に分けてください。あれとポテトをかけ合わせて、解毒作用のあるポテトを作りたいんです」
俺の言葉に、長老の手がピタリと止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、その普段は温和な瞳で、厳しく俺を見据えた。
「……正気か、ユウキ。ムーンリーフは神聖な薬草じゃ。先祖代々、この村の病人を癒すために、細心の注意を払って育ててきた。それを、お主の奇妙なイモと交配させるじゃと? 生命への冒涜じゃ」
予想していたよりも、ずっと強い拒絶だった。薬師としての彼の矜持が、俺の異端な発想を許さなかったのだ。
「冒涜なんかじゃありません! これも、人を救うためです! ハイエナが水源に毒を撒けば、村の全員が死にます。長老の持つ薬だけでは、到底足りない。でも、ポテトなら大量に生産できる。みんなに行き渡る薬を作れるんです!」
「理屈ではそうかもしれん。じゃが、自然の摂理を捻じ曲げる行いが、良き結果を生むとは思えん。お主のじい君も、それで失敗したのではなかったか?」
痛いところを突かれた。確かに、じいちゃんは失敗している。
だが、俺は引き下がるわけにはいかなかった。
「じいちゃんは失敗したかもしれない。でも、諦めてはいなかった! その遺志を継ぐのが、俺の役目です! 長老、伝統を守ることも大事です。でも、変わらなければ生き残れない時もある! 今が、その時なんです!」
俺は頭を下げた。深く、深く。
「お願いします。この村の未来を、俺のポテトに賭けてみてください」
長い沈黙が、薬草の匂いが満ちる部屋に落ちた。
やがて、長老の深いため息が聞こえた。
「……お主のその目は、じい君にそっくりじゃな。一度決めたら、テコでも動かぬ頑固な目だ」
長老は立ち上がると、家の奥にある鍵のかかった戸棚を開けた。中から、月の光を吸い込んだかのように青白い葉を持つ、小さな鉢植えを取り出してくる。それが、ムーンリーフだった。
「……持っていくがよい。じゃが、忘れるでないぞ、ユウキ。その手に宿るのは、ただの植物ではない。多くの命を救ってきた、先人たちの祈りそのものじゃ。決して、無駄にはするでない」
「……! ありがとうございます、長老!」
俺は震える手でムーンリーフの鉢を受け取った。ずしりとした重みは、土や水のものではなく、長老と、そしてこの村の歴史そのものの重みのように感じられた。
俺は早速、実験農場の一角に作った隔離区画へと向かった。ムーンリーフの花粉を、特別に選別したポテトの花に、慎重に受粉させていく。気の遠くなるような、繊細な作業だった。果たしてうまくいくのか、不安は大きい。だが、やるしかない。
作業を終えて村に戻ると、ダントさんとキバたちの睨み合いは、さらに悪化していた。今度は食料の配給を巡って、揉めているらしい。
「なんで俺たちが、テメェらより後なんだよ!」
「うるせえ! よそ者は後回しだ! 文句があるなら出ていけ!」
もう、限界だった。
俺は、二人の間に割って入ると、大声で叫んだ。
「もうやめだ! いい加減にしろ、お前ら!」
俺の剣幕に、両者とも驚いて押し黙る。
「そんなにいがみ合って、何の得がある! お互い、そんなに自分のやり方が正しいって言うなら、はっきりさせようじゃないか!」
俺は近くにあった麻袋を指差した。中には、投擲訓練用に使っているストーンポテトが詰まっている。
「ポテトで、勝負だ」
「……はあ?」
ダントさんもキバも、間の抜けた声を上げた。
「ストーンポテトを使った的当て勝負だ。村人チームと、元サンドクローラーチームに分かれてもらう。勝ったチームの言うことを、負けたチームは一日、何でも聞く。どうだ、この勝負、乗るか?」
俺の突飛な提案に、誰もが呆気に取られていた。だが、血気盛んな男たちにとって、単純な力比べは嫌いではない。
「……面白い。やってやろうじゃねえか」
最初にニヤリと笑ったのは、キバだった。
「いいぜ。俺たちが勝ったら、今日の晩飯は肉をよこせ」
「望むところだ!」ダントさんも負けじと応じる。「俺たちが勝ったら、てめえらには一週間、便所掃除をやらせてやる!」
こうして、唐突に「第一回フロンティアポテト投げ選手権」の幕が上がった。
ルールは簡単。遠くに置いた的(廃材のドラム缶)に、一人五投ずつストーンポテトを投げ、当てた数で競う。
結果は、驚くべきものだった。
ダントさんをはじめとする村人たちは、力任せに投げるため、威力はあっても命中精度が低い。対して、ザギやキバたちは、力よりも体の使い方を重視し、スナップを利かせた投法で、面白いように的に当てていく。
「な……なんで、あんなヒョロい投げ方で……」
「体の回転だ、オッサン。力だけじゃ、コントロールは定まらねえ」
キバは、ダントさんをからかうように言いながら、最後のポテトを見事に命中させた。
勝負は、元サンドクローラーチームの圧勝に終わった。
村人たちはがっくりと肩を落とし、ダントさんは悔しさに顔を歪ませている。これでまた、亀裂が深まるだけか……。誰もがそう思った時、勝者であるザギが、口を開いた。
「……ダントさん、だったか。あんたの投げ方は、悪くねえ。ただ、腰の使い方が硬すぎる。もう少し、こう……」
ザギはダントさんの隣に立つと、手本を見せるように、滑らかな投擲フォームを披露した。それは、先ほどの合同訓練でのいがみ合いが嘘のような光景だった。
共通の「ポテトを投げる」という行為が、彼らの間の言葉の壁を、少しだけ取り払ったのだ。
「……ちっ、わかったような口を……」
ダントさんは憎まれ口を叩きながらも、ザギのフォームを真似て、見よう見まねでポテトを投げてみる。その表情は、先ほどまでの怒りではなく、純粋な悔しさと、かすかな探究心に変わっていた。
その光景を、俺とアンナは少し離れた場所から見ていた。
「……やったじゃない、ユウキ」
アンナが、嬉しそうに微笑んだ。「あんたのポテトが、またみんなを繋いだのね」
「ああ。まだ、ほんの少しだけどな」
不信の壁に、小さな亀裂が入った。今はまだ小さな光でも、いつかはこの村全体を照らす希望になると信じたい。
その時だった。
合同訓練の一環で、村の周辺を偵察していたザギの部下が、血相を変えて駆け込んできた。
「ザギさん! ユウキ! 大変だ!」
男は息を切らしながら、震える手で何かを差し出した。それは、鳥の死骸だった。しかし、その姿は異様だった。外傷は何一つないのに、目や口から黒い液体を流し、全身が不気味に痙攣したまま硬直している。
「北の沢で、こんな鳥の死骸が何十羽も転がってた! 沢の水は黒く濁って、ひでえ匂いが……!」
ハイエナだ。
奴らは、すでに動き出している。そして、俺たちの村のすぐ近くまで迫っている。
北の沢は、村の第二の水源として考えていた場所だ。
和みかけた場の空気が、一瞬で凍りついた。
俺は鳥の死骸と、実験農場の方角を交互に見つめ、強く拳を握りしめた。
間に合え。
俺たちの未来を、黄金の恵みを、この手に。
本当の戦いは、もう始まっているのだ。