第3話 勝利の味と、未来の種
夜が明け、鈍色の光が錆びた大地を照らし出すと、昨夜の激戦の痕跡が生々しく浮かび上がった。壊れたバイクの残骸、地面に突き刺さった矢、そして、あちこちに飛び散った血痕。
しかし、フロンティアの村人たちの顔に、絶望の色はなかった。彼らは疲労困憊ではあったが、その瞳には確かな自信と誇りが宿っていた。自分たちの手で、故郷を守り抜いたのだ。
「おい、こいつらどうする?」
ダントさんが顎でしゃくった先には、捕らえられた三人のサンドクローラーがいた。彼らは昨夜のリーダー、"鉄腕"のボルグが倒された後、逃げ遅れて捕まった者たちだ。今は蔓で固く縛り上げられ、恐怖と諦めが混じった顔で地面に座り込んでいる。
「殺して、荒野に放り出せばいい」
「いや、奴らがやったみたいに、見せしめに吊るすべきだ」
村人たちからは、荒んだ世界に相応しい、厳しい意見が飛び交う。無理もない。彼らはつい昨日まで、この賊たちに皆殺しにされる恐怖に怯えていたのだ。
「待ってください」
その声に、全員が振り向いた。俺だ。
「ギデオン長老、少しだけ時間をください。彼らから話を聞きたいんです」
長老は、俺の目をじっと見つめた後、静かに頷いた。俺は捕虜の一人の前にしゃがみ込む。一番年嵩に見える、痩せた男だった。
「お前たちのリーダーは死んだ。仲間も逃げた。もうサンドクローラーはおしまいだ。違うか?」
男はビクリと肩を震わせたが、何も答えない。
俺は構わず続けた。
「リーダーを失ったお前たちは、この先生き残れるのか? 他の賊に狩られるか、飢えて死ぬか。どっちにしろ、先は見えてる」
「……だったら、どうしろってんだ」
男が、絞り出すような声で言った。「お前たちに殺されるんなら、同じことだ」
「殺しはしない」
俺の言葉に、男だけでなく、後ろにいたダントさんたちも驚きの声を上げた。
「ユウキ、正気か!? こいつらを生かしておけば、また仲間を連れて襲ってくるかもしれんのだぞ!」
「ダントさんの言う通りだ。甘い情けは、俺たちの命取りになる!」
村人たちの反発は強い。だが、俺には考えがあった。
俺は捕虜たちを無視して立ち上がると、みんなに向かって言った。
「みんな、昨日はよく戦ってくれた。でも、問題は何も解決しちゃいない。賊は追い払ったけど、俺たちの腹は減ったままだ。備蓄庫のポテトは、もう本当に底をつきかけてる」
勝利の熱狂に浮かれていた村人たちの顔が、一気に現実に引き戻される。そうだ、一番の問題は食料なのだ。
「勝利の宴を開きたい気持ちはわかる。でも、今は一粒のポテトだって無駄にはできない。だから、俺の実験農場に来てほしい。みんなに見せたいものがある」
俺は村人たちを引き連れて、自分の『実験農場』へと向かった。そこは、村の共有畑とは違い、様々な種類のポテトが区画ごとに分けられ、小さな木の札が立てられている。
「ここは……?」
「俺が、じいちゃんの日誌を元に、色々な品種を育てている場所だ」
俺はある一角を指差した。そこには、他の区画よりも青々と、勢いよく葉を茂らせたポテトが育っている。
「こいつは、俺が『クイックグロウ』と名付けた品種だ。村のベーシック種より味は少し水っぽくて、大きさも小ぶりだ。だけど……」
俺は言葉を切り、鍬でその根元を掘り起こした。
ゴロゴロと、拳大のポテトがいくつも姿を現す。
「こいつの最大の武器は、その成長速度だ。ベーシック種の三倍近い早さで育つ。しかも、日照りや痩せた土地にも強い。今から村の畑にこいつを植えれば、本格的な冬が来る前に、全員が飢えをしのげるだけの収穫が見込めるはずだ」
村人たちの間に、どよめきが広がった。信じられない、といった表情で、彼らはその小さなポテトを見つめている。それは、死の淵から引き戻してくれる、まさに奇跡の作物に見えただろう。
「本当か、ユウキ……。本当に、これがあれば俺たちは助かるのか……?」
ギデオン長老が、震える声で尋ねた。
「ああ。俺はこのポテトを信じてる」
俺は力強く頷いた。そして、振り返って、ここまで連れてこさせた捕虜たちに向き直った。
「こいつらを、解放しようと思う」
「なっ!?」
今度こそ、ダントさんだけでなく、ほとんどの村人が反対の声を上げた。
「せっかく希望が見えたってのに、なんで危険の種を野に放つんだ!」
「そうだ! こいつらが他の集落にこの村の情報を売ったらどうする!」
俺はみんなを制するように、手を上げた。
「これは、賭けだ。でも、勝算はある」
俺は掘り出したばかりのクイックグロウを数個拾い上げると、捕虜たちの前に置いた。
「これを持って、お前たちの仲間のもとへ帰れ。そして伝えろ。『フロンティアの村には、こんなに早く育つ不思議なポテトがある。リーダーを失ったお前たちがこの荒野で生き延びたければ、奪いに来るな。交易しに来い』と」
「……交易、だと?」
捕虜の男が、信じられないという顔で俺を見上げた。
「そうだ。お前たちには労働力がある。俺たちには、食料を生み出す技術がある。お前たちが荒野で集めてきたジャンクパーツや、俺たちが持っていない物資と、このポテトを交換してやる。奪い合えば血が流れるだけだ。でも、与え合えば、お互いが生き残れる。どっちがいいか、仲間とよく相談するんだな」
力で支配するのではない。圧倒的な食料生産能力、つまり「富」を見せつけ、相手を経済的に従わせる。それが俺の狙いだった。サンドクローラーは脅威だ。だが、見方を変えれば、彼らはこの荒野で生き抜いてきたサバイバルのプロであり、強力な労働力でもある。敵から取引相手へ。その関係を変えることができれば、村の安全は飛躍的に高まる。
俺の突飛な提案に、村人たちは黙り込んでしまった。誰もが、その発想の奇抜さに戸惑っている。
やがて、重い沈黙を破ったのは、ギデオン長老だった。
「……わかった。ユウキの言う通りにしよう」
長老は、俺の肩に手を置いた。
「昨日の戦いで、我々は学んだはずだ。この少年の奇策が、我々を救ったということを。彼のポテトが、我々の武器になったということを。もう一度、この若き知恵に賭けてみようじゃないか」
長老の言葉に、ダントさんも腕を組み、唸りながらも渋々といった様子で頷いた。
「……ちっ。わかったよ。だがな小僧、もしこれが裏目に出たら、俺がてめえの尻を蹴り飛ばすからな。覚えとけ」
それは、彼なりの信頼の証だった。
捕虜たちの縄が解かれた。
彼らは恐る恐るクイックグロウのポテトを拾い上げると、何度も俺たちの顔色を窺い、そして、ヨタヨタとおぼつかない足取りで荒野へと去っていった。その背中が砂塵の向こうに見えなくなるまで、誰もが一言も発さなかった。
「さあ! 感傷に浸ってる暇はないぞ!」
俺はパンと手を叩き、村人たちを鼓舞した。
「畑を耕すぞ! 冬が来る前に、このクイックグロウを村中に植えるんだ! 男手は畑仕事! 女衆は炊き出しと、残った賊の武具の回収を頼む!」
俺の号令に、村人たちはハッと我に返り、一斉に動き出した。絶望の淵から引き上げられ、明確な目標を与えられた人間のエネルギーは凄まじい。フロンティアは、再び活気を取り戻した。
アンナが、俺の隣に並んで鍬を握った。
「ユウキ。あんた、本当にすごいよ。昨日は武器で、今日は食料で、明日は交易品だなんて……。ポテト一つで、そこまで考えるなんて」
彼女は感心したように言う。
「でも……少し怖い。あんたが、どんどん遠くへ行っちゃうみたいで」
その声には、かすかな不安が滲んでいた。
俺は鍬を動かす手を止めず、荒野の地平線を見つめながら答えた。
「遠くへなんか行かないさ。俺はずっとここにいる。この村で、世界一のポテトを作る。それだけだ」
俺はニッと笑って見せた。
「それに、俺一人じゃ何もできない。アンナ、お前も手伝え。俺が品種改良に集中できるよう、畑の管理はお前に任せたい」
「え……私に?」
「ああ。お前なら、俺よりずっと丁寧にポテトの世話ができる」
俺の言葉に、アンナの顔がパッと明るくなった。
「うん! わかった! 任せて!」
錆び色の空の下、俺たちは土を耕し、未来の種を植えた。
それが、ただの飢えをしのぐためだけの食料ではなく、奪い合いの連鎖を断ち切るための、平和への種となることを信じて。
俺たちのポテトアポカリプスは、まだ始まったばかりだ。