第2話 ポテトコンバット
地平線の闇を切り裂く複数のヘッドライトが、徐々にその輪郭を大きくしていく。唸りを上げるエンジン音は、まるで巨大な肉食獣の咆哮のようだ。サンドクローラーが来た。その事実は、乾いた空気を通じて村人たちの肌を突き刺し、否応なく緊張を強いた。
「来るぞ! 全員、持ち場を離れるな!」
ダントさんの野太い声が、夜の集落に響き渡る。男たちは息を殺し、バリケード代わりに積み上げた廃材や、家の陰に身を潜めた。その手には、ずっしりと重いストーンポテトが握られている。
俺は集落を見渡せる物見櫓の上にいた。隣には、震えるアンナがいる。彼女は戦闘員ではないが、伝令役と負傷者の手当て役として、ここにいることを志願した。
「ユウキ……」
「大丈夫だ。俺たちのポテトを信じろ」
俺は彼女を安心させるように短く言うと、眼下の闇に全神経を集中させた。
俺たちの作戦は単純だ。まず、罠で敵の勢いを削ぐ。そして、混乱したところを叩く。村への進入路は一本に絞ってある。奴らはそこを通るしかない。
バイクの一団が、ついに罠のエリアに突入した。その数、およそ二十。改造されたバイクのけたたましい排気音が、耳をつんざく。
先頭を走っていたバイクが、何かに乗り上げた。
「うおっ!?」
ゴツゴツとしたストーンポテトが、高速で回転するタイヤを弾き、バランスを崩させる。まさに、俺が狙った通りの『撒き菱』の効果だった。
体勢を立て直そうとハンドルを切ったライダーの目の前に、闇に溶け込むように張られていたポテトの蔓のネットが立ちはだかる。
「しまっ――」
ガシャアンッ!
凄まじい音を立ててバイクがネットに絡みつき、ライダーは宙を舞って地面に叩きつけられた。後続のバイクも、急には止まれない。次々と前のバイクに追突したり、ストーンポテトにハンドルを取られたりして、将棋倒しになっていく。
一瞬にして、サンドクローラーの前衛は壊滅状態に陥った。
「今だッ! やれええええ!」
俺の合図より早く、ダントさんが雄叫びを上げた。
それを皮切りに、物陰に潜んでいた村人たちが一斉にストーンポテトを投擲する。
ヒュッ、ヒュッ、と風を切る音が無数に響き、硬質な塊が賊たちに襲いかかった。
「ぐあっ!」
「なんだこの石みてえなもんは!?」
「硬え! 腕が折れる!」
怒号と悲鳴が入り混じる。スリング(投石紐)で放たれたストーンポテトは、ライフル弾にこそ及ばないが、剥き出しの肉体には十分すぎるほどの破壊力を持っていた。薄汚れた革のジャケットなど、何の防御にもならない。
初動は大成功だった。俺たちの仕掛けたポテトの罠は、見事に機能したのだ。
だが、サンドクローラーはただの烏合の衆ではなかった。
後方にいたひときわ大きなバイクが、倒れた仲間をものともせずに前進してくる。その上に乗る大男が、怒声を発した。
「うろたえるな、クズども! 罠だ! 散開して村を囲め! 女子供から先に切り刻んでやれ!」
男の声には、血と暴力に慣れきった者の持つ、不気味なカリスマがあった。おそらく、こいつがリーダーだろう。
リーダーの命令で、賊たちは散り散りになり、バイクを降りて武器を構えながら、村の防衛ラインへとじりじりとにじり寄ってくる。錆びたナタや鉄パイプが、焚き火の明かりを反射して鈍く光った。
「まずいな……」
俺は舌打ちした。囲まれてしまえば、数の少ない俺たちは不利になる。
「ダントさん! 右翼に五人回してくれ! アンナ、左手の防衛が薄い! 予備のストーンポテトをそっちに!」
「わ、わかった!」
アンナは頷くと、櫓を駆け下りていく。俺も続けざまに指示を飛ばした。
「火を恐れるな! 奴らを引きつけてから投げろ! 無駄弾は使うなよ!」
戦況は、一進一退の攻防に移り変わっていた。賊も反撃を開始し、古びたクロスボウの矢がバリケードに突き刺さる。時折、村人の苦悶の声も聞こえてきた。
「見つけたぜ、司令塔サマ」
不意に、低い声が下から聞こえた。
見下ろすと、あのリーダーの男が、物見櫓の真下でニヤリと笑っていた。いつの間に回り込まれたんだ!?
「てめえのその小賢しい頭を、カボチャみてえに叩き割ってやる!」
男はそう言うと、櫓の柱を蹴り始めた。古い木材でできたやぐらが、ギシギシと嫌な音を立てて揺れる。このままでは、崩される!
「ユウキ!」
櫓の下から、アンナの悲鳴が聞こえた。彼女はポテトを運び終え、俺の危険を察知して戻ってきてくれたらしい。
「来るな、アンナ! 危ない!」
俺が叫んだのも束の間、リーダーの男はアンナの存在に気づき、標的を変えた。
「いい女じゃねえか。まずはお前からだ!」
男がアンナに向かって駆け寄る。その手には、巨大なモンキーレンチが握られていた。
絶体絶命だ。俺は腰の袋からストーンポテトを取り出し、男に向かって投げつけた。だが、男はそれを腕で軽々と弾き、速度を緩めない。
「そんな豆鉄砲が効くかよ!」
万策尽きたか――。そう思った瞬間、俺の脳裏に、じいちゃんの言葉が蘇った。
『いいか、ユウキ。ポテトはな、ただ育てるだけじゃねえ。どう使うか、その発想が一番大事なんだ』
発想……。そうだ、じいちゃん!
俺は物見櫓の隅に目をやった。そこには、じいちゃんが遺した農機具の一つ、古い手動式の脱穀機を改造した、簡易投石器が置いてある。俺は冗談半分で『ポテトカタパルト』と呼んでいたが、まさか実戦で使うことになるとは。
そして、その横には、このカタパルトで飛ばすために用意しておいた『アレ』が鎮座していた。
ストーンポテトの中でも、特に大きく、密度の高いものだけを選別して、蔓で一つに固めた巨大な塊。もはやそれはポテトというより、小さな岩塊だった。
「間に合えッ!」
俺はカタパルトに駆け寄り、その岩塊をセットする。狙うは、アンナに襲いかかろうとしているリーダー。櫓が大きく傾き、足場が崩れ始める。
「アンナ、伏せろ!」
俺は叫びながら、カタパルトの留め具を外した。
バシュンッ!
捻じられた蔓の反動が、轟音と共に解放される。
巨大なポテトの塊は、夜空を切り裂く流星のようにリーダーに向かって飛んでいった。
「なにぃ!?」
異変に気づいたリーダーが振り返るが、もう遅い。
ゴッッ!!!
鈍い、肉を叩き潰すような音が響いた。
ポテト塊はリーダーの肩に直撃し、その勢いのまま彼を地面に叩きつけた。大の男が、紙切れのように吹き飛んだのだ。リーダーは呻き声一つ上げることなく、ピクリとも動かなくなった。
その光景に、サンドクローラーたちは凍りついた。自分たちの無敵だと思っていたリーダーが、得体の知れないイモの塊の一撃で沈黙したのだ。
その一瞬の躊躇が、勝敗を決した。
「リーダーがやられたぞ!」
「だめだ、こいつら、化け物だ!」
「逃げろおおお!」
一人が逃げ出すと、統率を失った賊たちは雪崩を打って敗走を始めた。バイクに跨り、仲間を置き去りにして、我先にと闇の中へ消えていく。
やがて、エンジン音は遠くなり、集落には静寂が戻った。
残されたのは、壊れたバイクと、呻き声を上げる数人の賊、そして――勝利の歓声だった。
「うおおおおお! やったぞ!」
「追い払った! 俺たちの勝ちだ!」
ダントさんをはじめ、村人たちが雄叫びを上げる。彼らは泥と汗にまみれていたが、その顔は誇りと喜びに輝いていた。
俺は崩れかけたやぐらから這い出すと、アンナのもとへ駆け寄った。
「大丈夫か、アンナ! 怪我は!?」
「う、うん……。ユウキこそ……」
アンナは腰が抜けたのか、その場に座り込んでいたが、怪我はないようだった。彼女は俺の顔を見ると、安堵からか、その瞳にみるみる涙を溜めた。
「よかった……本当によかった……!」
ギデオン長老が、村人たちに囲まれながら俺のところにやってきた。
「ユウキ……君は、本当にこの村を救ってくれた。ありがとう。君がいなければ、我々は今頃……」
「俺じゃないですよ。みんなで戦ったからです。それに、俺たちを守ってくれたのは……ポテトです」
俺は足元に転がっている、泥のついたストーンポテトを一つ拾い上げた。それはただのイモのはずなのに、今はどんな宝石よりも頼もしく、美しく見えた。
戦いは終わった。俺たちは、故郷を守り抜いたのだ。
だが、勝利の余韻に浸りながらも、俺は村の備蓄庫の方へ目を向けた。賊は追い払った。しかし、腹は減る。冬は、すぐそこまで来ている。
本当の戦いは、まだ始まったばかりなのかもしれない。
俺は夜空を見上げ、強く拳を握りしめた。この錆びた大地で生きていく。俺のポテトと共に。