第18話 薬か毒か、月光の一撃
「薬は、毒にもなる……」
サラの言葉が、俺の思考の回路を焼き切った。
そうだ。薬と毒は、表裏一体。作用する対象と、量の問題でしかない。
ルナポテトの持つ、あの異常な治癒促進能力。あれが、もし正常な細胞ではなく、敵の体内で暴走したら……どうなる?
俺は、腰の木箱から、青白く輝くルナポテトを一つ取り出した。
最後の希望。だが、それはあまりにも不確実な、狂気の賭けだった。
「ユウキ、何を……?」
ザギが、いぶかしげに俺を見る。
巨大な女王ボーンイーターは、もう目前まで迫っていた。その巨大な顎が、俺たちをまとめて噛み砕こうと、大きく開かれる。
「……一か八かだ!」
俺は、クロスボウに矢をつがえた。そして、矢の先端にある溝に、ルナポテトを指で強く押し付けた。ポテトから滲み出た、月光のようなエキスが、矢じりにじっとりと染み込んでいく。
「ユウキ!?」
「みんな、伏せろ!」
俺は、女王の大きく開かれた口の中――甲殻で覆われていない、唯一の弱点である柔らかい粘膜――に狙いを定めた。
心臓が、張り裂けそうに脈打つ。
この一撃を外せば、終わりだ。
俺は、息を止め、引き金を引いた。
ビシュッ!
矢は、乾いた風切り音と共に、一直線に女王の口の中へと吸い込まれていった。
「……やったか!?」
キバが叫ぶ。
だが、女王は一瞬怯んだだけで、大したダメージを受けた様子はない。矢は、確かに口の中に命中したはずだが……。
「ダメだったか……!」
俺が絶望しかけた、その時だった。
女王の動きが、ぴたりと止まった。
そして、その巨大な体の中から、何かが蠢くような、不気味な音が聞こえ始めた。
ゴポ、ゴポポ……。
女王の体が、風船のように膨張し始めたのだ。
口や、甲殻の隙間から、青白い光が漏れ出し、体全体が明滅を始める。
「な……何が起きてるんだ……!?」
ルナポテトの治癒促進能力が、女王の体内で暴走しているのだ。傷を治すのではなく、細胞そのものを、無秩序に、爆発的に増殖させている。
それは、もはや治癒ではなく、内側からの自己破壊だった。
女王は、苦悶に満ちた、耳をつんざくような絶叫を上げた。
その体は、もはや原型を留めていない。肉塊が、内側から体を突き破り、醜悪な腫瘍のように膨れ上がっていく。
そして――。
ドチュンッ!!
鈍い、水風船が破裂するような音と共に、女王の体は内側から弾け飛んだ。
緑色の体液と、肉片が、あたりに撒き散らされる。
その光景は、あまりにもグロテスクで、非現実的で、俺たちは皆、声も出せずに立ち尽くしていた。
女王が死んだことで、統率を失った残りのボーンイーターたちは、パニックに陥り、我先にと骨の陰へと逃げ去っていった。
嵐のような静寂が、谷に訪れた。
残されたのは、女王だったものの、おぞましい残骸だけだった。
「……おい……」
キバが、震える声で言った。「……今の、お前がやったのか……? あの光るイモで……?」
俺は、何も答えられなかった。
自分の手が、カタカタと震えている。
俺は、とんでもないものを、生み出してしまったのかもしれない。
命を救うはずの光が、これほどまでに醜悪な死をもたらす。その事実は、俺の心を深く、冷たく蝕んでいった。
「……見事な、毒だったわね」
サラが、静かに呟いた。
その声には、嘲笑でも、非難でもない、ただ純粋な畏怖のような響きがあった。
「あなたのポテトは、父さんの『ゴライアス』と同じ……あるいは、それ以上に危険な代物かもしれないわ」
彼女の言葉が、とどめのように俺の胸に突き刺さった。
その後の、谷の突破は容易だった。
女王を失ったボーンイーターたちが、俺たちの前に姿を現すことは二度となかった。
だが、俺たちの間の空気は、鉛のように重かった。誰もが、先ほどの光景を脳裏から振り払えずにいたのだ。
谷を抜けた先で、俺たちは再び野営をした。
焚き火を囲んでも、誰も口を開こうとしない。
俺は、残りのルナポテトが入った木箱を、まるで呪いの箱のように見つめていた。
「ユウキ」
不意に、ザギが俺の隣に座った。
「……気に病むな。お前は、俺たちを救った。それだけだ」
「でも、俺は……!」
「道具は、使い方次第だ。ナイフで人を殺すこともできれば、それで食い物の皮を剥くこともできる。お前のポテトも、それと同じだろ」
ザギは、ぶっきらぼうだが、優しい目で俺を見た。
「お前は、それを薬として使おうとした。だが、状況が、それを毒として使うことを選ばせた。それだけのことだ。お前自身が、毒になっちまったわけじゃねえ」
「……」
「それに、サラの親父さんと、お前は違う。あの人は、自分のポテトが毒だと知って、そこから逃げた。だが、お前は違う。お前は、自分のポテトの危険性を知るために、こうして旅をしている。その違いが、いずれ大きな差になるはずだ」
ザギの言葉は、俺の心の暗闇に、小さな灯りをともしてくれた。
そうだ。俺は、逃げない。
この力の光も、影も、すべて受け止めて、その上で、正しい道を探し出す。
そのために、俺は西のオアシスへ行かなければならないのだ。
俺は、顔を上げた。
仲間たちの顔を見る。キバも、ノクトも、そしてサラも、静かに俺を見守っていた。
俺たちの絆は、このおぞましい経験を経て、さらに奇妙で、そして強固なものに変わろうとしていた。
「……ありがとう、ザギ」
俺は、ようやくそれだけを言うことができた。
旅は、まだ続く。
俺は、木箱の中のルナポテトを、改めて強く握りしめた。
こいつの本当の価値を決めるのは、ポテト自身じゃない。
この俺の、これからの選択なのだ。
西のオアシスまで、あと半分。
俺は、錆び色の空に、アンナの顔を思い浮かべた。
そして、必ず帰ると、もう一度、心に誓った。