第15話 白き粘土と、荒野の洗礼
翌朝、俺たちは夜明けと共に行動を開始した。
ザギとキバが周囲の警戒とバイクの見張りにつき、俺とノクトはセラミックポテトの育成を続ける。サラは、少し離れた岩の上から、感情の読めない瞳で俺たちの様子を眺めていた。
「ユウキ、クイックグロウの技術は使えないのか? こいつの成長を早めることはできないのか?」
ザギが、焦れたように尋ねてきた。ボーンイーターの縄張りを前に、ここで何日も足止めを食うのは避けたいのだろう。
「無理だ。クイックグロウは、成長速度に特化した品種だ。他の特性、例えばセラミックポテトのような硬さを持たせる性質とは、両立しにくい。それに、ここの土壌はクイックグロウには合わない。下手にやれば、ただの不味いイモができるだけだ」
俺は、じいちゃんの日誌を思い出しながら説明した。品種改良は、足し算ばかりではない。何かを得れば、何かを失うこともある。万能のポテトなど、そう簡単には作れないのだ。
「じゃあ、どれくらい待てばいいんだ?」
「……わからない。最低でも、五日はかかると思う」
「五日!?」
ザギとキバが、同時に声を上げた。
「五日もこんな吹きさらしの場所で野営を!? 正気か! 食料も水もギリギリだぞ! それに、いつ他の賊や変異生物に襲われるかもわからん!」
「だからこそ、ここでセラミックポテトを作る必要があるんだ」
俺は冷静に反論した。「ボーンイーターの縄張りを迂回すれば、それ以上の時間がかかる。危険を冒して昼間に突っ切るのも、失敗すれば全滅だ。俺のポテトに賭ける方が、一番確実なはずだ」
俺の言葉に、二人はぐっと黙り込んだ。彼らも、俺のポテトが持つ規格外の力を、身をもって知っている。反論はできないが、納得もできない、といったところだろう。
重い沈黙が、場に流れた。
その沈黙を破ったのは、サラだった。
「……水なら、あるわよ」
彼女は、静かに言った。「この涸れ川を半日ほど下った場所に、小さな泉がある。汚染されてなくて、飲める水よ。私が子供の頃、父さんと一緒に来たことがある」
その言葉に、全員が驚いてサラを見た。
彼女が、自発的に俺たちに協力的な情報を提供したのは、これが初めてだった。
「本当か、それは!?」
「信じるかどうかは、あなたたち次第。でも、このままここで干からびるよりは、マシじゃない?」
サラは、相変わらず冷たい口調だったが、その瞳には、昨日までの完全な虚無とは違う、微かな光が宿っているように見えた。俺の言葉が、あるいはアンナの手紙が、彼女の心を少しだけ動かしたのかもしれない。
「……よし」
ザギは決断した。「俺とノクトで、水汲みに行ってくる。ユウキとキバは、ここでポテトの番と、見張りを頼む」
「おいおい、なんで俺が子守りなんだよ」
キバは不満そうに口を尖らせたが、ザギに睨まれて渋々頷いた。
「……サラ、お前はどうする?」
ザギの問いに、サラは答えた。
「私は、ここに残るわ。このポテトが、本当に育つのか……それとも、枯れるのか。見届ける義務があるから」
ザギとノクトがバイクで出発し、野営地には俺とキバ、そしてサラの三人が残された。
キバは、手持ち無沙汰なのか、クロスボウの手入れをしながら、俺に話しかけてきた。
「なあ、ユウキ。お前、なんでそんなにポテトにこだわるんだ? 俺には、さっぱりわからねえよ。ただのイモだろ?」
「ただのイモじゃない」
俺は、セラミックポテトの芽が出始めた土に、優しく水をやりながら答えた。「こいつは、希望だ。食い物にも、武器にも、薬にもなる。この荒廃した世界で、人が人らしく生きるための、最後の希望なんだ」
「希望、ねえ……」
キバは、鼻で笑った。「そんなもん、俺はとっくの昔に捨てたぜ。この世界で信じられるのは、自分の腕と、こいつのエンジンだけだ」
彼と俺では、生き方が違いすぎる。だが、俺は彼の言葉を否定する気にはなれなかった。それもまた、この世界を生き抜くための一つの真実なのだろう。
その日の午後だった。
突然、遠くの岩陰から、甲高い鳴き声が聞こえてきた。一つではない。何匹もの群れのようだ。
「……! この声は……『クリフダイバー』だ!」
キバが、顔色を変えて叫んだ。
クリフダイバー。翼竜のような姿をした、肉食の変異生物だ。普段は崖の上から獲物を探し、急降下して鋭い爪で引き裂くという。知能も高く、集団で狩りをする厄介な相手だ。
見ると、五、六羽のクリフダイバーが、俺たちの上空を旋回し始めている。獲物として、ロックオンされたのだ。
「クソッ、ザギたちがいない時に限って!」
キバは悪態をつきながら、クロスボウを構えた。俺も、護身用のストーンポテトを数個、手に取る。
サラも、いつの間にか短いナイフを抜き、戦闘態勢に入っていた。
「ユウキ! お前は畑から離れるな! こいつらの狙いは、俺たち人間と、そのイモだ!」
キバの言う通り、クリフダイバーの何羽かは、明らかにポテトが植えられた畑に興味を示していた。奴らは雑食で、植物の根を掘り返して食べることもあるという。
キィィィィ!
一羽が、鋭い鳴き声と共に急降下してきた。狙いは、キバだ。
「なめるなよ、トカゲ野郎!」
キバは冷静に狙いを定め、クロスボウの矢を放つ。矢は、見事にクリフダイバーの翼の付け根に突き刺さった。獣は悲鳴を上げてバランスを崩し、地面に激突した。
だが、その隙に、別の二羽が俺の畑めがけて降下してくる。
「しまっ……!」
俺はストーンポテトを投げつけたが、素早い動きにかわされてしまう。
このままでは、まだ育ちきっていないセラミックポテトが、無残に掘り返されてしまう。
その時だった。
「――そっちを任せたわよ!」
サラが、俺の横を疾風のように駆け抜けた。
彼女は、降下してくるクリフダイバーの一羽に向かって、地面を強く蹴った。信じられないほどの跳躍力で宙に舞い、ナイフを逆手に持つと、クリフダイバーの首筋を的確に斬り裂いたのだ。
その動きは、無駄がなく、洗練されていて、まるで舞いを踊っているかのようだった。
もう一羽は、サラの予想外の動きに驚き、一瞬動きを止めた。
俺は、その隙を見逃さなかった。
渾身の力で、ストーンポテトを投げつける。ポテトは、今度こそクリフダイバーの頭部に直撃し、獣は脳震盪を起こしたように、ふらつきながら地面に落下した。
残りのクリフダイバーたちは、仲間が次々とやられたのを見て、危険を察知したのだろう。警戒の鳴き声を上げながら、上空へと飛び去っていった。
短い、しかし激しい戦いが終わった。
俺は、息を切らしながらサラを見た。彼女の体捌きは、ただの賊のリーダーとは思えないほど、見事なものだった。
「……あんた、一体……」
「ハイエナのリーダーを、ただの女だと思うほど、あなたはお人好しなのね」
サラは、ナイフについた血を払いながら、冷たく言い放った。
だが、俺にはわかった。彼女は、俺を助けたのではない。俺の『ポテト』を守ったのだ。
彼女自身が、その真価を見届けると決めた、希望の種を。
「……礼を言う」
「勘違いしないで。私は、あなたのためじゃなく、真実のために戦っただけ」
そう言ってそっぽを向く彼女の横顔は、やはりどこか寂しげだった。
これが、荒野の洗礼。俺たちは、ただ待っているだけではいられない。常に危険と隣り合わせなのだ。
俺は、セラミックポテトが植えられた土を強く握りしめた。
もっと早く。もっと強く。このポテトを、完成させなければ。