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第14話 旅立ちの朝、残された言葉

 アンナが涙と共に吐き出した言葉は、鉛のように重く、俺の心に沈んでいった。

 ポテトが俺を遠くに連れて行ってしまう。英雄になんてなってほしくなかった。

 俺は、何も言い返せなかった。彼女の涙の理由を、痛いほど理解してしまったからだ。ポテトのことしか頭になかった俺は、彼女の孤独に気づいてやれなかった。


「……ごめん」


 絞り出した俺の謝罪は、あまりにも弱々しく、乾いた小屋の空気に溶けて消えた。

 アンナは、それ以上何も言わなかった。ただ、俺の机の上にトマトとカボチャの種が入った包みを置くと、踵を返し、走り去っていった。俺は、その後ろ姿を呼び止めることさえできなかった。


 残された種と、彼女の言葉。

 俺が求めてきたものは、本当にみんなの幸せだったのだろうか。それとも、ただの自己満足だったのだろうか。ポテトへの情熱が、俺の目を曇らせていたのかもしれない。

 その夜、俺は一睡もできなかった。


 旅立ちの朝は、容赦なくやってきた。

 鈍色の雲が空を覆い、乾いた風が砂塵を巻き上げる、いつもと変わらないフロンティアの朝。だが、今日だけは、その風景がひどく物悲しく見えた。


 村の入り口には、旅立つ俺たちと、見送りの村人たちが集まっていた。

 整備された五台のバイクが、唸りを上げて出発の時を待っている。俺のバイクの後部には、選別した種イモや、旅の道具一式がぎっしりと積まれていた。


「ユウキ、これを持っていけ。村一番のポテト乾パンだぞ」

 ダントさんの奥さんが、大きな袋を手渡してくれる。

「無理はするんじゃないぞ。お前は、もう俺たちだけの英雄様じゃねえんだからな」

 ダントさんが、ぶっきらぼうに俺の頭をガシガシと撫でた。


「ユウキ……気をつけるんじゃぞ。そして、必ず、生きて帰ってくるんじゃ」

 ギデオン長老が、涙ぐみながら俺の手を握る。


 村人たちが、次々と言葉をかけてくれる。そのどれもが温かく、俺の胸を締め付けた。

 俺は、人々の輪の中に、アンナの姿を探した。

 だが、どこにもいない。彼女は、見送りにさえ来てくれなかった。


「……時間だ。行くぞ」

 ザギが、ヘルメットのゴーグルを下ろしながら言った。これ以上感傷に浸っている時間はない。


 俺も、意を決してバイクに跨った。古びたクロスボウが、背中で重い存在感を主張している。

 ザギ、キバ、ノクト、そしてフードを目深にかぶったサラ。五台のバイクが、エンジン音を響かせる。


「じゃあ、みんな……行ってくる!」


 俺は、村人たちに手を振り、アクセルをひねった。

 バイクが、錆びた大地を蹴って走り出す。村が、人々が、どんどん小さくなっていく。

 最後まで、アンナの姿はなかった。


 心にぽっかりと穴が空いたような喪失感を抱えながら、俺は荒野を疾走した。

 風が、砂が、頬を叩く。村に残してきたアンナの泣き顔が、瞼の裏に焼き付いて離れない。

 俺は、この旅で何を見つけるのだろう。そして、何を失うのだろう。


 走り続けること、数時間。

 フロンティアの村は、もう地平線の彼方にも見えなくなっていた。

 俺たちは、最初の目的地である『白い粘土』が採れるという、南の川を目指していた。


「おい、ユウキ。顔色が悪いぜ。昨日の女のこと、引きずってんのか?」


 並走してきたキバが、ニヤニヤしながら話しかけてきた。

「ほっとけ」

「へっ、ガキだな。女の一人や二人、泣かせてこそ男ってもんだろ」


 キバの軽口に、俺は苛立ちを覚えてアクセルをさらに強くひねった。バイクが加速し、キバを引き離す。

 前方を走っていたザギが、速度を緩めて俺に並んだ。


「キバの言うことは気にするな。あいつはああいう奴だ。だが、お前がいつまでもメソメソしてたら、この荒野じゃ真っ先に死ぬぞ。頭を切り替えろ。俺たちは、もう戦場にいるんだ」

「……わかってる」


 ザギの言う通りだ。今は、感傷に浸っている場合じゃない。

 俺は、アンナの顔を振り払うように、前だけを見据えた。


 やがて、乾ききった荒野の風景に、変化が見えてきた。蛇行する川の跡――涸れ川だ。その川底の土は、周りの赤錆びた色とは違い、白っぽい色をしていた。


「ここだ。この辺りの土なら、粘土が混じってるはずだ」

 ザギの指示で、俺たちはバイクを止めた。


 俺は早速、持参したシャベルで地面を掘り起こした。乾いた表土の下から、湿り気のある、きめ細かい粘土質の土が現れる。これなら、セラミックポテトが作れるかもしれない。


 俺は、持ってきた種イモの中から、ストーンポテトの系統を選び出し、その場で即席の畑を作り始めた。粘土質の土に、栄養剤として乾燥させた獣の糞を混ぜ込み、慎重に種イモを植え付けていく。


「おいおい、本気でこんな場所でイモを育てる気か?」

 キバが、呆れたようにその様子を見ていた。

「ああ。こいつは、ボーンイーター対策の鍵になる」


 俺が作業に没頭していると、サラが近づいてきた。

「……無駄なことね」

 彼女は、俺の作業を一瞥して、冷たく言い放った。

「ポテトは、そんな都合よくあなたの思い通りにはならない。環境が少し変わるだけで、毒にだってなるのよ。父さんのようにね」


「だからこそ、試すんだ」

 俺は、手を止めずに答えた。「失敗を恐れて何もしなければ、何も生まれない。あんたの父親は、失敗から目を背けて、すべてを投げ出した。俺は違う。失敗からも、何かを掴み取ってみせる」


 俺の言葉に、サラは何も言い返さず、黙って踵を返した。

 だが、その背中は、ほんの少しだけ、揺れたように見えた。


 種イモをすべて植え終え、貴重な水を少しだけ与えた頃には、空は茜色に染まり始めていた。

 俺たちは、近くの岩陰で野営の準備を始めた。焚き火の火が、急速に冷えていく荒野の空気を温める。


 夕食は、ポテト乾パンと、干し肉。

 焚き火を囲みながら、誰もが口数少なく食事をしていた。

 村での賑やかな宴が、遠い昔のことのように感じられる。


 ふと、自分の荷物の中に、見慣れない小さな布の包みがあることに気づいた。

 見送りの時に、誰かがこっそり入れてくれたのだろうか。

 開けてみると、中に入っていたのは、数個の、少し歪な形をしたポテト乾パンだった。そして、一枚の、折りたたまれた紙切れ。


 紙を開くと、そこには、拙い、だが懸命に書かれたであろう文字が並んでいた。


『あんたは、馬鹿よ。ポテト馬鹿。でも、そんなあんただから、きっと大丈夫。

 だから、ちゃんと帰ってきて。

 じゃないと、このポテト乾パンの作り方、一生教えてあげないんだから。

 アンナ』


 紙切れには、涙の跡のようなシミが一つ、ついていた。

 俺は、歪なポテト乾パンを一つ、口に入れた。

 村のみんなが作ったものより、少しだけ塩辛い。

 アンナからの手紙は、俺の心に深く刺さっていた棘を、そっと抜いてくれた。

 しょっぱい味のポテト乾パンを噛みしめながら、俺は改めて決意を固めた。この旅を成功させ、胸を張ってフロンティアに帰るのだ。アンナの待つ、あの村へ。


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