第12話 月光の恵みと、旅立ちの決意
噂を聞きつけて集まってきた村人たちが、息を呑んで立ち尽くしていた。ダントさんも、ザギも、キバも、誰もが言葉を失い、目の前の奇跡に見入っている。
彼らの視線の先――俺の実験農場の一角が、まるで夜空の星々をこぼしたかのように、無数の青白い光で明滅していた。それは、俺がムーンリーフと交配させた、次世代のポテトが放つ生命の輝きだった。
「……すごい……」
誰かが、畏敬の念を込めて呟いた。
俺は、興奮と未知へのわずかな恐怖が入り混じった感情で、自分の心臓が早鐘を打つのを感じていた。
ムーンリーフの神秘的な力が、ポテトと交わることで、俺の想像を遥かに超える形で発現したのだ。
「ユウキ、これを……掘ってみるの?」
アンナが、俺の腕を掴みながら尋ねた。その声には、期待と不安が滲んでいる。
「ああ。こいつが何なのか、確かめなきゃならない」
俺は覚悟を決め、光の中心へと足を踏み入れた。そして、小さなシャベルを使い、光が最も強く放たれている場所の土を、まるで宝物を掘り起こすかのように慎重に掻き分けていく。
やがて、シャベルの先が、何かにこつんと当たった。
俺はシャベルを置き、手で優しく土を払う。
すると、土の中から姿を現したのは、親指ほどの大きさの、小さな、小さなポテトだった。
そのイモは、それ自体が淡い青白い光を放ち、まるで磨かれた月長石のように見えた。
「これが……『ルナポテト』……」
俺は無意識に、そう名付けていた。
その時、村人の一人が飼っていた猟犬が、何かに気づいたようにクンクンと鼻を鳴らし始めた。その犬は、先日のハイエナとの戦いで足を負傷し、痛々しい包帯を巻いている。犬は、俺の手の中にあるルナポテトに何かを感じ取ったのか、足を引きずりながら近づいてきた。
「こら、シロ! 戻ってこい!」
飼い主が制止するのも聞かず、犬は俺の足元まで来ると、ルナポテトに向かって鼻先を寄せた。そして、ペロリ、とポテトの表面から滲み出た雫を舐め取った。
次の瞬間、信じられないことが起こった。
犬が、クゥン、と甘えるような声を一声上げたかと思うと、傷ついた足で力強く地面を蹴り、その場で元気よく飛び跳ね始めたのだ。ついさっきまで引きずっていたのが嘘のように、傷は跡形もなく癒えているように見えた。
「傷が……治った……?」
「まさか……あのイモに、怪我を治す力が……?」
広場に、再び大きなどよめきが広がった。
薬効ポテト。じいちゃんが夢見て、そして失敗した、奇跡の作物が、今、俺の手の中で生まれたのだ。
これは、ハイエナの毒を解毒するどころではない。怪我や病に苦しむ人々を救える、真の希望になるかもしれない。
俺は込み上げる喜びを抑えきれず、天を仰いだ。
「やった……じいちゃん、俺、やったよ……!」
村中が新たな奇跡の誕生に沸き立つ中、俺はギデオン長老に頼み、牢からサラを連れてきてもらった。彼女に、これを見せる必要があると思ったからだ。
ザギに両腕を拘束され連れてこられたサラは、光り輝く畑と人々の歓喜の輪を見て、呆然とした表情を浮かべた。
「……何よ、これ……」
「俺の新しいポテトだ。こいつは、怪我を治す力を持ってる」
俺は、手の中のルナポテトを彼女に見せた。「あんたの父親が作った毒のポテトとは違う。これは、命を救うためのポテトだ」
サラは、ルナポテトが放つ優しい光を、呪物でも見るかのように見つめていた。彼女の瞳の中で、長年燃え続けてきた憎悪の炎と、目の前にある信じがたい希望の光が、激しくせめぎ合っているのがわかった。
「……そんなもの……まやかしよ……」
彼女は、絞り出すように言った。「ポてトは、いつか必ず人を裏切る。父さんがそうだったように……! その力は、きっと制御できない。もっと大きな悲劇を生むだけよ……!」
彼女の言葉は、歓喜に浮かれていた俺の頭に、冷や水を浴びせた。
そうだ。彼女の言う通りかもしれない。
このルナポテトの力は、まだ未知数だ。どうすれば安定して栽培できるのか。どんな副作用があるのか。そもそも、なぜ犬の怪我は治ったのか。俺は何もわかっていない。
サラの父親、アルブレヒトも、最初は善意で、希望を持ってゴライアスを作ったはずだ。その結果が、村の崩壊だった。
同じ過ちを、繰り返すわけにはいかない。
この力を正しく理解し、制御するために、俺には知識が必要だ。
俺は決意を固め、ギデオン長老とダントさん、ザギたちの前に向き直った。
「みんな、聞いてくれ。俺は、旅に出る」
その場にいた全員が、驚いて俺の顔を見た。
「『西のオアシス』へ行く。サラの父親、アルブレヒトが遺した日誌を探しに。このルナポテトを、本当の意味で人々のための『黄金』にするために、俺は彼の失敗から学ばなければならない」
「旅に出るじゃと?」長老が眉をひそめる。「危険すぎる。西のオアシスは、ここから何週間もかかる荒野の果てじゃぞ」
「ユウキ、お前がいなくなったら、この村はどうなるんだ!」ダントさんも反対する。
「俺がいなくても、もう大丈夫だ」
俺は、ダントさんとザギを交互に見た。「ここには、あんたたちがいる。村を守る力も、知恵もある。それに、クイックグロウの栽培方法は、もうみんな知ってる。俺が遺した種イモがあれば、食料には困らないはずだ」
「でも……!」
アンナが、泣きそうな顔で俺に駆け寄ってきた。「危険すぎるわ! 一人で行くなんて、絶対にさせない!」
「一人じゃないさ」
その声は、ザギのものだった。彼はニヤリと笑うと、俺の肩を叩いた。
「面白そうな旅じゃねえか。俺も付き合ってやるよ。荒野の案内なら、任せとけ」
「へっ、ザギが行くなら俺もだ。足手まといはごめんだぜ」
キバも、悪態をつきながら同意する。
「俺たちが、ユウキの護衛だ。文句ある奴はいねえよな?」
ザギの言葉に、元サンドクローラーたちが雄叫びを上げて応じた。
アンナは、それでも不安そうな顔をしていたが、やがて覚悟を決めたように、自分の首にかかっていた緑色のペンダントを外し、俺の手に握らせた。
「……わかった。あんたは、行かなきゃ気が済まないんでしょ。だったら、これを持って行って。あんたの、お守りよ」
「アンナ……」
「必ず、帰ってきて。約束よ」
俺は、ペンダントを強く握りしめ、力強く頷いた。
「ああ。必ず帰ってくる。もっとすごいポテトと、みんなが笑って暮らせる未来を、お土産に持ってな」
こうして、俺の新たな旅立ちが決まった。
禁断の知識が眠るという、廃墟のオアシスへ。
俺と、荒野のプロフェッショナルであるザギたち、そして……。
「……私も、連れていきなさい」
静かだが、芯の通った声が響いた。
声の主は、サラだった。
「西のオアシスへの道を知っているのは、この世界で私だけよ。あんたたちが日誌を見つけるまで、案内してあげる。その代わり、見届けさせてもらうわ。あんたの言う『黄金』が、本物なのか……それとも、父さんと同じ、まやかしなのかをね」
敵であったはずの女からの、予期せぬ申し出。俺は、その挑戦的な視線をまっすぐに見つめ返し、静かに頷いた。こうして、俺たちの西を目指す旅の仲間が決まった。