第11話 勝利の宴と、苦い根
毒婦サラ率いるハイエナとの死闘から、二週間が過ぎた。
フロンティアの村は、戦いの爪痕を癒すように、穏やかな日常を取り戻しつつあった。壊された家屋やバリケードは、村人と元サンドクローラーたちの共同作業によって、急ピッチで修復されていく。
「おい、キバ! そっちの梁、もっとこっちに寄せろ! 曲がってんぞ!」
「るっせえな、オッサン! てめえの腰みてえに曲がってなきゃいいんだよ!」
「んだと、コラ!」
ダントさんとキバが、相変わらずの憎まれ口を叩き合いながら、一本の太い丸太を担いでいる。だが、その声には以前のような険がなく、むしろじゃれ合いに近い響きがあった。共に死線を乗り越えたという事実は、彼らの間にあった不信の壁を、確かな絆へと変えていた。
そんな活気ある村を見下ろしながら、俺は実験農場で土をいじっていた。アイアンポテトは、残念ながらあの一個きりだった。鉄鉱石を混ぜた土壌は、一度きりの奇跡を生み出して、その力を使い果たしてしまったらしい。今は、残った鉱石をさらに細かく砕き、別の養分と混ぜ合わせることで、再現できないかと試行錯誤を繰り返している。
「ユウキ、ちょっと休憩にしない? みんな、広場に集まってるわよ」
声の主は、アンナだった。彼女は土で汚れた俺の顔を、布で優しく拭ってくれる。その首には、今もサラから奪った緑色の解毒石のペンダントが下がっていた。村人たちの間では、アンナを守った「幸運の石」と呼ばれている。
「ああ、そうだな。……今日は、宴の日だったか」
そうだ。今日は、ハイエナに対する勝利と、村の復興を祝うための、ささやかな宴が開かれる日だった。
村の中央広場には、大きな焚き火がいくつも焚かれ、村人たちの笑顔が溢れていた。ザギの仲間たちが荒野で仕留めてきた大トカゲの丸焼きが、香ばしい匂いをあたりに漂わせている。
そして、その中心にあるのは、もちろんポテト料理の数々だった。
「さあさあ、食った食った! ユウキ様が作った、奇跡のポテトだぞ!」
ダントさんが、上機嫌でポテトを配っている。
大鍋で煮込まれた、クイックグロウのポテトスープ。ホクホクに蒸しあげたベーシック種に、岩塩を振りかけただけのシンプルな一品。そして、子供たちに一番人気だったのが、薄切りにしたポテトを串に刺し、トカゲの脂でカリッと揚げた『ポテトチップス』だ。これは俺が、じいちゃんの日誌の片隅にあったメモを頼りに再現した、新しい料理だった。
「うめえ! なんだこれ、止まらねえぞ!」
「スープも、クイックグロウは水っぽいなんて思ってたけど、煮込むと味が染みて美味いんだな!」
人々の笑顔と、美味しいという言葉。それが、俺にとっては何よりの報酬だった。
俺とアンナも、人々の輪に混じってスープを啜る。過酷な世界で、仲間たちと笑い合いながら温かいものを食べる。これ以上の幸せがあるだろうか。
「……平和ね」
アンナが、しみじみと呟いた。
「本当に、守れてよかった。この村を」
「ああ。だが、まだ問題は山積みだ」
俺の視線の先には、宴の輪から少し離れた場所で、静かに食事をしているザギと、ギデオン長老がいた。
楽しい宴の裏で、俺たちは一つの重い問題から目を逸らしている。捕虜となったサラと、ハイエナの残党たちの処遇だ。
俺は飲みかけのスープを置くと、二人がいる方へ向かった。アンナも、黙って後についてくる。
「……話、いいですか」
俺が声をかけると、ギデオン長老は静かに頷いた。
「いずれ、決めねばならんことじゃったからのう」
サラたちハイエナの残党は、村の外れにある洞窟を改造した牢に、厳重に監禁されている。彼らをどうするか。村人たちの意見は、真っ二つに割れていた。
「殺すべきだ、という意見がまだ根強い。特に、戦いで身内を傷つけられた者たちからはな」
ダントさんが、いつの間にか俺たちの後ろに立って言った。彼の表情は、宴の陽気さとは裏腹に、厳しいものだった。
「だが、労働力として生かしておく道もある」とザギが反論する。「殺しちまえば、それで終わりだ。だが、荒れ地を開墾させたり、防壁を築かせたりすれば、村の力になる。俺たちが、しっかり監督する」
処刑か、使役か。どちらも、一長一短があった。
俺は、サラのあの最後の絶叫が、耳から離れなかった。ポテトへの、常軌を逸した憎しみ。その根源にある、悲しい過去。
「長老。サラの言っていた『西のオアシス』について、もっと詳しく教えてください。長老のご友人が、毒のポテトを作ってしまったという……」
俺の問いに、ギデオン長老は遠い目をして、重々しく口を開いた。
「ワシの友人、アルブレヒトは、お主と同じ……いや、それ以上のポテト狂じゃった。彼は、どんな痩せた土地でも育ち、一つのイモが赤子ほどの大きさになるという、夢のようなポテト『ゴライアス』を開発した。村は沸き、彼は英雄になった。……じゃが、そのポテトには、遅効性の毒があった」
「毒……」
「それは、ただの毒ではない。特定の血筋の人間……つまり、その村に古くから住む者たちの肝臓を、ゆっくりと蝕む特殊な毒素じゃった。外から来た者や、家畜には何の影響もなかったからのう。誰も、ポテトが原因だとは気づかなんだ。気づいた時には、村人の大半が手遅れじゃった……」
特定の人間だけに作用する毒。まるで、呪いのような話だった。品種改良の光と影。そのあまりの深さに、俺は言葉を失った。
「アルブレヒトは、すべてを記録した日誌を遺して、自ら命を絶ったと聞く。その日誌は、今も廃墟となった西のオアシスのどこかに眠っているやもしれん」
アルブレヒトの日誌。
それは、禁断の知識かもしれない。だが、ポテトの可能性を追求する俺にとって、何物にも代えがたい道標になるはずだ。サラの悲劇を繰り返さないためにも、俺はそれを知らなければならない。
「……俺、サラに会ってきます」
俺は決意を固め、立ち上がった。
牢の中のサラは、壁に背をもたせ、虚空を見つめていた。数日前の狂気は薄れ、今は深い絶望だけがその顔に張り付いている。
「……何しに来たの。私を、笑いに来たの?」
「違う。あんたの父親の話を聞きたい。そして、その日誌を見つけに行きたい」
俺の言葉に、サラの瞳が、かすかに動いた。
「あんたの父親は、失敗したのかもしれない。だが、その失敗は、無駄じゃなかったはずだ。その知識があれば、俺はもっとすごいポテトを作れる。二度と、あんたのような悲劇を生まない、本当の黄金をな」
「……」
サラは何も答えない。だが、完全な拒絶でもなかった。彼女の中で、何かが揺れ動いている。
その時だった。
「ユウキ! 大変!!」
アンナが、血相を変えて牢の入り口に駆け込んできた。その顔は、喜びとも恐怖ともつかない、不思議な表情をしていた。
「どうした、アンナ!?」
「実験農場が……! 畑が、光ってるの!!」
「光ってる……?」
意味が分からず、俺はアンナと共に実験農場へと急いだ。
そして、俺は息を呑んだ。
アンナの言う通りだった。俺がムーンリーフとポテトを交配させた、あの隔離区画。その土の表面が、まるで蛍の大群が集まったかのように、無数の青白い光の点で明滅しているのだ。
それは、生命の神秘そのもののような、幻想的で、どこか神々しい光景だった。
ムーンリーフの力が、俺のポテトの中で、予期せぬ形で目覚めようとしていた。