第10話 呪いと黄金
アンナの一撃は、完璧なタイミングだった。
毒の小瓶はサラの手を離れ、地面に落ちて砕け散る。黒い液体が土に染み込み、ジュウ、と不気味な音を立てたが、俺たちの希望の源である貯水槽は守られた。
「アンナ! よくやった!」
「……ユウキ!」
アンナの加勢に、俺の心に再び闘志の火が灯る。俺は一人じゃない。
だが、状況は依然として最悪だった。俺とアンナの二人に対し、サラの周りには屈強なハイエナの賊が四人。多勢に無勢だ。
「……小賢しい真似を」
サラは腕を押さえながら、憎悪に満ちた目で俺たちを睨みつけた。その表情は、もはや美しさの欠片もない、純粋な殺意の塊だった。
「こうなったら、あんたたちをここで殺して、この畑ごと焼き払ってやるわ!」
サラの号令で、四人の賊がじりじりと距離を詰めてくる。錆びたナタや鉄パイプが、月明かりを反射して鈍く光った。
「ユウキ、どうするの……!?」
アンナが、震える声で俺の背中に隠れる。
「大丈夫だ。ここは、俺の庭だ」
俺は不敵に笑うと、足元の土を蹴った。
そこは、俺が様々な品種を育てている『実験農場』。一見ただの畑だが、俺にとっては、地形も、土の硬さも、植えてあるポテトの種類も、すべてが頭に入っている最強のフィールドだった。
「こいよ、ハイエナども。この錆びた大地が、お前らの墓場だ!」
俺はアンナの手を引き、ポテトの畝と畝の間を縫うように走り出した。
賊たちが、雄叫びを上げて追いかけてくる。
「逃がすか!」
先頭を走っていた賊が、俺に追いつこうと大きく足を踏み出した、その瞬間。
「うわっ!?」
賊の足が、地面に仕掛けてあったポテトの蔓の輪に絡め取られた。それは、俺が猪よけに作っておいた原始的な罠だった。男は派手に転倒し、後続の仲間とぶつかって動きが鈍る。
「まずは一人!」
俺はその隙を見逃さず、懐からアイアンポテトを取り出し、転倒した男めがけて投げつけた。狙いは、頭。
ゴッ!
鈍い音と共に、アイアンポテトが賊のヘルメットを砕き、男は白目を剥いて沈黙した。
その圧倒的な威力に、残りの三人が一瞬怯む。
「な、なんだ今の……!?」
「気をつけろ! あの小僧、何か投げてくるぞ!」
俺はアンナを連れて、さらに畑の奥へと進んだ。そこは、クイックグロウを育てている区画だ。クイックグロウの蔓は、他の品種より遥かに強靭で、粘り気がある。
「アンナ! あそこにある蔓の束を持って、向こうの杭まで走れ!」
「え、ええ!」
アンナは俺の意図を察し、すぐに走り出す。俺は残りの賊二人を引きつけ、彼女が罠を仕掛ける時間を稼いだ。
「こっちだ、ノロマども!」
俺は賊たちを挑発し、クイックグロウの畑の中へと誘い込む。足場の悪い土と、生い茂る葉が、彼らの動きを著しく制限した。
そして、アンナが蔓を杭に結び終えたのを確認すると、俺は大きく息を吸い込んだ。
「今だ!」
俺の合図で、アンナが蔓を力いっぱい引く。
ピンと張られた蔓が、追いかけてきた賊二人の足元を払い、彼らは為す術もなく前のめりに倒れ込んだ。
「よし!」
俺は最後のアイアンポテトを構え、とどめを刺そうと駆け寄った。
だが、その時。
「――甘いわね」
冷たい声と共に、横から何かが飛来した。
俺はとっさに身を屈めてそれを避ける。ヒュン、と風を切る音を立てて俺の耳元を通り過ぎていったのは、毒が塗られた投げナイフだった。
サラだ。彼女はまだ、近くに潜んでいた。
俺がサラに気を取られた一瞬の隙を、最後の賊が見逃さなかった。
転倒した状態から、隠し持っていたクロスボウを俺に向けて構える。至近距離。避けられない。
「しまっ――」
絶体絶命。そう思った瞬間。
俺と賊の間に、何かが割って入った。
ザギだった。
ガキン!
ザギが持っていた鉄パイプが、クロスボウの矢を弾き飛ばす。
「ユウキ! 無事か!」
「ザギ! なんでここに!?」
「村での戦いは、ダントのオッサンたちが押し返してる! アンナからお前が一人で飛び出したと聞いて、後を追ってきたんだ!」
ザギだけではない。その後ろから、キバをはじめとする元サンドクローラーの仲間たちも姿を現した。
「ハッ、危ねえところだったじゃねえか、ユウキ」
「ポテトの旦那に、死なれちゃ困るんでな」
彼らは軽口を叩きながらも、あっという間に残りの賊たちを取り押さえてしまった。その連携は見事なもので、まさに荒野で生き抜いてきたプロの動きだった。
これで、勝負は決した。
農場に残る敵は、もはやサラ一人。
「……ありえない……」
サラは、信じられないといった表情で呟いた。「ただの農民と、落ちこぼれの賊どもが……なんで、ここまで……」
「アンタにはわからねえだろうな」
ザギが、サラに向かって静かに言った。「力で支配するだけのアンタと違って、ユウキは俺たちに『明日』を見せてくれた。腹一杯イモを食える明日をな。俺たちは、そのために戦ってんだ」
「明日……? イモで……?」
サラは、まるで理解できない言葉を聞いたかのように、虚ろな目で繰り返す。
「ふざけないで……! ポテトなんかが、希望ですって……!? あんなものは、ただの泥だらけの根っこじゃない……! 私の……私の家族を奪った、呪いの植物よ!!」
彼女の絶叫に、俺たちは息を呑んだ。
ポテトが、彼女の家族を奪った? 一体、どういうことだ。
その時、ギデオン長老が、ダントさんたちと共に農場へ駆けつけてきた。村での戦闘は、完全に終結したようだった。
長老は、錯乱したように叫ぶサラの顔をじっと見つめ、何かを思い出したように、はっと目を見開いた。
「……お主、もしや……。あの時の……『西のオアシス』の生き残りか……?」
その言葉に、サラの動きが止まった。
長老は、悲しげな声で続けた。
「何十年も昔の話じゃ。ある集落が、画期的なポテトの品種改良に成功し、奇跡の作物だと人々は喜んだ。じゃが、そのポテトには、未知の毒素が含まれておった。それに気づかず食べ続けた村人たちは、一人、また一人と謎の病で死んでいった……。その村の名は、『西のオアシス』。そして、そのポテトを作ったのは……ワシの、友人じゃった」
衝撃の事実に、その場にいた誰もが言葉を失った。
サラのポテトへの憎悪は、過去の悲劇に根差したものだったのだ。
「私の父さんは、馬鹿だった! ポテトに夢を見て、村を、母さんを、みんなを殺した! 私は、たまたまポテト嫌いで食べなかったから、一人だけ生き残った……! だから、私は誓ったのよ! この世界から、ポテトという呪いを、すべて消し去ってやるって!」
憎しみの連鎖。過去の悲劇が、新たな悲劇を生み出そうとしていた。
俺は、サラの前にゆっくりと歩み寄った。
「……あんたの気持ちは、わかる。だが、あんたは間違ってる」
俺は、自分の畑から、ごく普通の、フロンティアベーシック種のポテトを一つ掘り起こした。その表面についた土を、優しく手で払う。
「ポテトに罪はない。毒にもなれば、薬にもなる。武器にもなれば、人と人とを繋ぐ架け橋にもなる。どう使うか、それを決めるのは、いつだって人間だ」
俺は、そのポテトをサラの前に差し出した。
「こいつは、この荒廃した世界で俺たちが生きるための、希望だ。食ってみろとは言わない。だが、覚えておけ。こいつは、呪いの植物なんかじゃない。この錆びた大地で俺たちが見つけた……『黄金』なんだ」
俺の言葉が、彼女に届いたのかはわからない。
だが、サラの瞳から、憎しみの炎が少しだけ揺らいだように見えた。
夜が明け、鈍色の空が白み始めていた。
ハイエナとの戦いは、俺たちの完全な勝利で終わった。
フロンティアの村は、守られたのだ。
俺たちは、仲間たちと共に、朝日が昇るのを見ていた。
その光は、俺の畑に実る無数のポテトを、そして俺たちが植えた未来の種を、黄金色に輝かせていた。
俺たちのポテトアポカリプスは、まだ終わらない。
この錆びた大地に、本当の楽園を築き上げるその日まで。