Even
「あれ、水上。サボり?」
「はっきり言うな、馬鹿。ちょっと『気分が悪い』から『休む』ってだけだろ」
「……結局一緒じゃない?」
「バーカ。立派な外交技術だぞ。外交」
「はいはい。……まあその真っ黒なクマがどうにかなるんならいっか。部活は出る?」
「当たり前だろ。じゃ、後でな」
同じクラスの根岸に呆れたような声で見送られたのが、2時間前。
そうしてやっと手に入れた久しぶりの安眠を、確かに楽しんでいたはずなのだが。
「……なんでこいつがここにいるんだ、おい」
ふと気がつけば、利用者は自分しかいなかったはずの保健室のベッドに、見知ったでかい男が一人。
「……しかも寝てやがる……」
人の寝顔を覗き込むようにして、まるで『看病をしていたらそのまま寝入ってしまった』という図そのままにすやすやと寝息をたてる渋沢をどうしたらいいものか。
水上は思わず頭を抱えた。
いつからこうしているのかも知らないが、何やっているんだという憤りのほうが強いのは何故だろう。
そう反問しかけて、すぐに思い出した。
ここ最近の安眠を奪っていたのはこの目の前の男だということを。
「あら、水上君。起きた?」
「あ、はい」
しゃっと音を立てて開けられたカーテンに、一瞬この男を蹴り落としてやろうかと物騒なことを思う。
が、この光景を見ても保険医である彼女に驚いた様子はなかった。
「ああ、やっぱり渋沢君、寝ちゃったのね。よかったわ」
「……いつ来たんですか?こいつ」
「五時間目の最中かしら。青い顔して来たのに、水上君がいるって知ったらやっぱり授業に戻りますって言い出して」
「は?」
つまり具合が悪くてこいつは保健室に来たというのに、休もうとしなかったということか?
保険医は呆れたように、けれど苦笑しながら答えた。
「水上君、渋沢君と同室なんですってね」
「え、はい。そうですけど……」
「ここ最近、渋沢君、いろいろ忙しくてほとんど眠ってなかったんですって?」
「……そう、です」
テスト前とサッカー部の遠征が重なり、そこに尚且つ委員会の仕事や東京選抜での遠征まで重なったものだから、毎日遅くまで雑事を片付けながら勉強していたことは水上が一番よく知っている。
明かりを最低限まで落として、出来るだけ音も立てないようにして、先にベッドに入った自分の邪魔にならないようにと気を使っていたことも。
『悪いな、本当に』
そう言う渋沢は多分自分のせいで水上が寝不足になっているんだと思っている。
なにせここ数日の睡眠不足は確かに渋沢が忙しくなってから始まったものだから、無理もない。
……でも本当はそうやって気を遣われるから、余計に水上は渋沢が気になってなかなか眠れなかったのだ。
自分より青い顔をして、それでも気をつかう渋沢がむかついた。もっと頼れと怒鳴りたくなった。
でもそれも、できないから。
それが水上の、ここ最近の睡眠不足の理由。
「渋沢君ね、水上君が起きたとき、自分が隣のベッドで寝てたら絶対怒るし、気を使わせるだろうからそんなことは出来ないって言ったのよ」
「……は?」
「でも渋沢君の顔色も本当に悪かったから、水上君が起きる前に起こしてあげるからって言ったんだけど聞いてくれなくてね。だから」
にこっと保険医は笑った。
「ちょっと出てくるから、戻ってくるまで水上君を見ててくれる?って用事を押しつけてみたの。当たりだったわねー。こうも思惑通りになってくれると嬉しいわ」
……絶対馬鹿だ、こいつ。
絶対、阿呆だ。
「それじゃ水上君、悪いんだけど渋沢君をベッドに移すの、手伝って……」
「起きろ、この馬鹿っ!!」
目が点になった保険医にも気づかず、水上は渾身の一撃を渋沢に食らわせた。
もちろんたまらずに渋沢はがばりっと起きあがり、おまけにそこには「うわっ!?」という素っ頓狂な声付きだ。
「え、あ」
「起きたか、この馬鹿」
「み、水上」
怒っていることをすぐに感じ取ったのか、その目が僅かに泳ぐ。
「先生、こいつ連れて帰りますんで。どうせもう六時間目も終わりですよね」
「え、ええ。そうだけど……」
「お騒がせしてすみませんでした。次回からはこんなことがないようにさせますんで。行くぞ、渋沢」
まだよく事態が飲み込めていない渋沢を無理矢理引き連れて、水上はさっさと保健室を後にした。
「み、水上。その……すまない……」
そんな声聞いたって、絶対に許してやるもんか。
「水上?」
「……ベッドに縛り付けてやる」
「は?」
「それとも強制的にベッドにいなきゃいけないようにしてやろうか?」
「……すまん」
ふん、と水上は笑った。
「俺に気を使うなんて百年早え」
本当は、こんな状況になるまでこの肝心の一言を言えなかった自分が一番情けないのだが。
……変な気をつかった罰として、口が裂けてもいってやらねえ。
水上は固く心に誓った。
すまん、ともう一度謝る渋沢の言葉が、少し遠くに聞こえた。