樽
樽があった。
海岸の砂浜。
砂浜に迫りくる白い波は太陽の光を受けてキラキラと輝き、潮風は海の香りを運んでくる。
美しい白い砂浜。
貝殻も落ちている。
そこに大きな樽がある。
「波に運ばれて来たのか……」
男は海の果てを見るように目を細める。
海岸に流れ着くのは流木が多い。
そして、男の頭に浮かぶのは――。
「死体」
人がひとり。
ほどよく入りそうな大きな樽が、男の目の前にある。
男は思わず顔を顰めて鼻を鳴らした。
「腐敗臭は、しないが……」
大きな樽からは酒の香りもしない。
だが、死体の可能性はある。
季節は冬。
雪がちらちらと舞う季節。
この海岸には様々なものが流れ着く。
男はそれが数少ない楽しみのひとつで、毎朝のように砂浜を歩いているのだ。
忘れもしない。
あれは男が六歳の頃。
散歩に来ていた砂浜に、あったのだ。
はじめは白い海獣かと思った。
うきうきと童心ははしゃぎ、跳ねるような足取りで近づき、好奇心に満ちた幼い瞳はソレを近く見た。
少しずつ、嫌な匂いがした。
腹から何かせり上がってくるような匂い。
「うっ」と声が出た。
白い海獣だと思ったものは下半身が無く、腐敗が進んでいた顔はぶよぶよとしていて、白い骨も見えていた。
幼かったあの日。
自分がどうやって家の寝台に辿り着いたのか男は覚えていない。
目覚めて、自分のノドが痛くて両目も痛かった記憶はある。
男はあの日から悪夢を見るようにもなった。
一度あれば二度目もあり、三度目もあった。
大人になった今は、多少の推測が出来る。
海流によって、この海岸は辿り着く場所に違いない。
遠くに誰かの死体を捨てる場所があって、この海岸が辿り着く場所なのだ。
「埋葬、してやらねばな」
ボソリと男は呟く。
一度目は何度も悪夢を見るほどだったが、それでも男は毎朝ここへ来ているのだ。
十二歳のときに遭遇した二度目が、女性の死体だったせいかもしれない。
「ふふ……」
男は嬉しそうに白い布で鼻から口元を覆い、横向きに転がっている大きな樽の向きを縦に変える。
中身が空の樽ではない。
中身の重さをしっかりと感じる。
今日はとてもいい日だと男は思った。