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五話 一日目①


「え、お父さん?」

「うん!私のだいすきなお父さん!」


 彼女は変わらず幸福いっぱいな笑顔をもって僕に応えた。

 一体どういうことだ?もしかするとアレか?

 僕の母は夫である父のことをお父さんと呼んでいたから、つまりそういうことなのかもしれない。

 全くスプリさんは気が早い。

 が、一応聞いてみよう。

 

「お父さんっていうのは、どういう?」

「お父さんはお父さんでしょ? お父さんとお母さんがエッチして私が産まれたんだから、お父さんは私のお父さんだよ」

「エッッ――!?」

 

 夢想の中の彼女とも、今日まみえた彼女の振る舞いとも似つかわしくない言葉が飛び出して、僕の心臓が跳ね上がる。

 それはともかく、僕が彼女の父親というのは冗談の類か、それとも彼女にそういった特殊な嗜好があるのかと思ったが、彼女の表情はごく自然体。

 狼狽した僕を不思議がる様子すらある。

 彼女は冗談でもなんでもなく、本当に僕を父親だと思っているのでは?

 そんな奇想天外な勘違いの可能性を検討するくらいには、確信めいた雰囲気があった。

 

「なんか変だよ? どうしたの?」 

 彼女の眸が不安に揺れる。

「お父さん?だいじょうぶ?」 

 僕の脳裏に、かつて見た虚ろな表情が浮かんだ。

 ここで否定したら、僕がグラフトであると明かしたら、彼女がまたあの頃に戻ってしまうのではないか?

 その不安は、僕に嘘をつかせるのに充分な原動力となった。

 

「……大丈夫! ごめんね心配かけて。お父さんは元気だぞぉ!」

 僕は彼女を抱え上げて、出来る限りの笑顔を作って見せた。

「きゃはは!」

 浮いた足をパタパタとさせながら、スプリさんが笑う。 

 

 今はとりあえず、これでいい。

 彼女が童女のような振る舞いをすることも、僕を父親と勘違いしていることも、何一つ理由が分からないけれど、僕がやるべきことはたった一つなのだ。

 彼女の笑顔を守ること。

 その為ならば、僕は父親にだってなれる。

 

 ぐう、と可愛らしい音が鳴る。

 僕が抱え上げている、愛おしき娘のお腹からだった。    


「何か食べよっか」

 そう言うと、彼女はほっぺを赤くしながら、小さく頷いた。

 

 僕は特筆した才能のある男ではない。

 超常的な魔力を身に宿していなければ、無双の怪力を持ってもいない。

 だからこそ、僕は色んな技能の習得に励んた。

 火や水、風といった各種属性魔法から治癒魔法に至るまで、旅に必要と考えられる全ての魔法。

 格闘術や剣術、ダガーの扱いなどの、暴漢から身を守る術。

 料理や裁縫など、暮らしに彩りをもたらす術。

 強いスプリさんと一緒の時を過ごす為だ。

 

 結果として器用貧乏な男になってしまった感は拭えない。

 しかし様々な局面を彼女に笑顔をもたらすチャンスに変えることが出来る、と思っている。

 

 今の状況は、まさに培った技術を披露する絶好の機会だ。

 僕は勇ましくキッチンに立つ。


 が、木製の調理場にも、食材棚にも、どこを探しても食材が無い。

 

「……お買い物行こっか」

「おでかけ!? やったー!」 

 

 全身で喜びを表現するスプリさんを連れ立って、玄関をくぐる。

 一応振り返ってみると、そこにはやはり無骨な丸太小屋があった。


 歩きだしてすぐ、彼女が疑問をこぼした。

「何買いにいくの?」

「パンとか野菜とか、あとお肉とかだね」

「お料理するの?」  

「うん。僕、料理得意なんだ」

「えーっ!? 男の人が料理してもいいの!?」

 何も珍しいことではないと思うけど、スプリさんはいたく驚いた様子。

 そんな彼女に力こぶを見せて、

「練習したんだ。スプリさ……スプリちゃんに喜んでもらいたくてね」

「私によろこんでほしいの?」

「そうだよ。僕はスプリちゃんが笑ってるところを見るのが大好きなんだ」

 不思議そうに顔を覗いたあと、僕の手を握りしめて笑うスプリさん。

 手から伝わる体温に彼女の実在を確かめて、思わず僕も表情を綻ばせる。


「スプリちゃんは何食べたい?」

「おっきな卵焼き!」         

 

 卵焼き、というのはオムレツみたいなものだろうか?

 スプリさんの好きな食べ物が知れて、それだけで胸がいっぱいになった。


 

 僕が名も知らぬ酒場の店主に乱暴に背中を押されてからまだ小一時間。

 少々寂れた大人しき町:ドリフトに戻ってきた。

 今度は二人、僕の愛してやまないスプリさんと一緒に。

 枷に囚われたように一人動けなくなっていたのが遠い昔のようだ。

 

「鶏の卵を二つ……いや三つ」

 

「あと鶏肉もください」


 肉屋の店主から商品を受け取り、パン屋を探して商店街を歩く。

 すると、スプリが袋を覗き込みながら、

「おっきな卵だねぇ。何の卵なの?」

「鶏だよ。知らない?」

 驚くべきことに彼女は鶏を知らないらしく、盛大に首を振り回す。

 肉も卵も食用に適した、家畜として最もポピュラーな鳥なのだが。

 彼女に説明すると、特に鳴き声がおかしかったらしく、ケラケラと笑う。        


「『おっきな卵焼き』は別の卵で作るの?」

「ウミウサギだよ!こんくらいの卵でねぇ?い~っぱい産むんだぁ!」

 彼女は親指と人差し指をくっつけて円を作り、サイズ感を教えてくれた。

 ウミウサギとは比較的小ぶりな卵をたくさん産む生物のようだ。

 少なくともウサギの亜種では無さそうだが。

 

 引き続き商店街を南へ下り、パン屋と野菜屋で買い物をする。

 粗方買い終えた頃には空がオレンジに染まっていて、おぼろげな満月が見えた。

 元々少なかった往来も更に乏しくなり、日暮のもの寂しさが辺りを包む。

 

 スプリさんとの買い物デートは夢の一つだったなぁ。

 隣を歩く推定二十五歳の童女を意識しながら、少しだけ感傷的になる。


 「帰ろっか。お腹空いたでしょ?」

 「うんっ!」

 

 来た時よりも赤みを帯びる道を歩いていると、見覚えのある顔に気付いた。

 コワモテナイスミドル、世話になった酒場の店主だ。

 どうやら僕が女性を連れていることに驚いて、店をほっぽり出してきたらしい。


「おいおいおい! テメエ恩人に挨拶もなく早速デートかぁ!? 」

 口調とは裏腹に、彼はどことなく嬉しそうに見える。

 そういえばフラれたら奢ってくれるとか言っていた気がするけれど、あれは報告に来いという意味だったらしい。


「お父さんどうしたの?」 

 スプリさんの何気ない言葉。しかし男二人はひどく動揺した。

 顔をひきつらせた店主は大きく息を吐いた後、僕を側に呼びつける。


「テメエ、イチャイチャするのは仕方ねえとしてもだなぁ。特殊なプレイは家でやれやぁ!」

「プレイじゃないですよ失敬な! アレはなんというか、僕もよく分かってないんですけど……」


 僕がざっくりと経緯を説明すると、店主は何やら深く考え込んでいるようだった。

 

「……エルフ」 

 しばらく悶々としていた彼がようやく何か呟いたけれど、その言葉を僕は知らなかった。

 

「お腹すいたよぉ」

「……あぁそうだよね!ごめんね!」

 

 僕は気がかりを残しながらも、店主との立ち話を切り上げることにした。

「また酒場に顔を出しますので!それじゃあまた!」

 

「おい待て。一つだけだ」

 すれ違いざま、彼が言った。

「ん?」

 

「困ったことがあれば、俺を頼れ」

  

「……? 分かりました……?」

 彼の言葉はいつも苛烈さを備えているのに、この時は深く染み入るような熱を持っていて、頼もしさを感じた。 

 一方で、彼の眼差しは何故か酷く悲しげに見えて、それが帰り道の頭の中でわずかに滲んでいた。


 家に帰ると、僕は手早く調理に取り掛かった。

 木で出来た調理場、ということで火に抵抗を覚えたものの、いくつもの魔法が重ねられており、耐炎うんぬんどころか触れるだけで火を灯した。

 包丁や鍋すらも木製で、見渡す限り金属製品が一つもない。でも魔法によって性質を変化させているのか、はたまたそういう特殊な木材なのか、使い勝手は中々のもの。

 見慣れないものばかりで少々戸惑いがあり、そのうえスプリさんがじっと見つめるものだから緊張したが、なんとか大きな失敗をせずに食卓に並べることが出来た。

 大きな卵焼き、という彼女のリクエストに合わせて作った特大のオムレツに、鳥肉と野菜を煮込んだスープ。

 そこにパンを添えただけの、素朴な夕食。

 

 それでも、彼女はまるで宝石でも見るみたいに眸を輝かせて歓声を上げてくれる。 

   

 「召し上がれ」


 彼女はよほどお腹が空いていたようで、並べた料理を次々と口に運んでいく。

 頬が膨らむくらい口がいっぱいになると、ゆっくりと味わうように頬をとろけさせる。

 

 「おいしい?」

 「すっご〜くおいしい!」

 彼女は満面の笑みに卵をつけて答えた。

 綺麗な食べ方とは決して言えないけれど、少なくとも作り手を幸せいっぱいにしてくれる。


 僕は決して彼女の父親になりたかったのではない。

 でも、今この瞬間が愛おしくてたまらない。

 

 「なんで卵焼きが好きなの?」

 「卵焼きはねー。赤ちゃんをたくさん産めるようになるもん!」

 「……そっか!」

 

 彼女の言葉にやや引っかかりを覚えたけれど、気になるほどではない。

 だって彼女が笑ってて、僕は幸せだから。


 再開を祝した慎ましやかな饗宴は、終始穏やかな団欒となった。


 でも、僕はまだ知らなかった。

 彼女の何もかもを、知らなかったのだ。


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