二話 出会い②
――彼女を笑顔にする為に、何故プロポーズをしたのか?
その問いに答えるには僕の両親の馴れ初めを話さなければならないが、あまりにも本題から外れてしまう為ざっくりと言うことにしよう。
僕の母は地方の武家の末っ子として生まれたが魔法の才能が芳しくなく、家で冷遇されていたらしい。
だから母は全く笑わない女の子だったそうで、それは大人になってからも変わらなかった。
そこで出会ったのが農家の次男坊である父。
父は母に一目惚れをして、母の笑顔が見たくて猛烈なアタックと並行してたくさんのジョークを言ったそうだ。
でも、母は全く笑わなかったどころかあまりに執拗なアプローチに不快感を覚え、ニキビがたくさん出来たらしい。
我慢の限界だった母は父に最後通告したが、父はこう返したそうだ。
「僕の母や妹は僕のジョークで腹を抱えて笑うのに君は笑わないのは何故か? それは僕と君が家族じゃないからだ。だから、僕と家族になってほしい。そうすれば僕は君をきっと笑顔に出来る」
母は父の言葉に思わず吹き出してしまい、父と交際してみることにしたそうだ。
その後は色々なことがあったらしいが、僕が知っている母はよく笑う人だった。
つまり、好きな女の子を笑顔にしたいなら、まずはプロポーズなのだ。
この時の僕はそう思っていた。
でも、僕の一世一代の愛の告白は、廃墟に落ちる夜に溶けていった。
彼女は水の魔法を操る手を止めることはなく、そこかしこで水が膨れる音が鳴る。
「僕のお嫁さんになってください!」
僕は煙たい空気をおもいきり肺に取り込んで、さっきより大きな声で同じ言葉を送った。
しかし、全くと言っていいほどに反応が無い。
僕は何故彼女が反応をしてくれないかを考えてみた。
まず、彼女は今仕事中だ。
僕の村を焼く炎を消してくれている最中で、僕の相手をする余裕が無いのかもしれない。
それに、ここは色んな音がある。
燃える音、蒸発する音、倒壊する音。
彼女は仕事への集中も相まって、僕の声が聞こえていないのかもしれない。
僕は彼女の隣に正座して、仕事が終わるのを待つことにした。
彼女は手を左右に動かしながら、次々と火を消していく。
消火作業は順調そのもので次第に辺りを照らすのは淡い月明かりだけになる。
透明な月光は彼女の美貌をより神秘的なものにして、僕の乾いた目をくぎ付けにした。
「僕のお嫁さんになってください!!」
炎を消し終えた彼女が手を降ろした瞬間を見計らって、僕は三度目の愛を叫んだ。
彼女の横顔をじっと見つめ、今度こそ彼女の笑顔の為の第一歩を踏み出すべく、ありったけの想いを込めて。
すると、彼女はこちらに向き直り、僕の目を真っすぐに見返してくれた。
正面から見た彼女が横顔の何倍も可愛くて、僕は顔が爆発しそうなくらい赤くなって、苦しい。
でもそれ以上に、彼女の眸の奥にある泥のような濁りが、彼女が携える美貌の何倍も僕を苦しめる。
彼女の見ている世界に、僕は本当に存在しているのか?
そんな不安を覚えた。
「私には○○がありません」
待望の返答だった。
あまりにも無機質な声色ではあったけれど、彼女の世界に僕が存在していることが分かっただけで嬉しかった。
知らない言葉だったからか、聞き漏らしただけか、彼女の言葉をちゃんと聞き取ることが出来なかったが、どんな内容であれこの会話を終わらせるつもりなんて無いから、急いで言葉を繋いだ。
「僕を助けてくれたから優しくて好きです。魔法が上手で強くて好きです。長い耳も可愛くて好きです。髪の毛が長くて好きです。だから僕のお嫁さんになってください」
彼女の好きなところを列挙して、想いの強さを伝えた。
彼女はキュートな長耳をぴくりとさせながら、少しだけ驚いているように見えた。
僕はその反応に深く考えなかった。考える余裕が無かった。
「僕は村の子供で三番目に力持ちです。足は五番目に早いです。文字も書けるし計算もできます。だから、大人になれば貴方を守れます」
村の子供は八人。それも女の子を含めてだ。村の大きさから僕の言ったことが如何に大層なものかは彼女も分かったことだろう。
彼女は悩まし気に眉を顰めた。
今思えばあまりにしつこくて嫌がられただけなのだろうが、僕は彼女が僕との関係を検討している、このまま押せばいけると勘違いした。
でも、僕のプロポーズはここで打ち切られることになる。
「いたぞ!」
数人の帯剣した男女が馬を連れて現れて、何かを彼女と話し始めたのだ。
話が終わるまで待ち、タイミングを見計らって再度アタックを仕掛けようとしたけれど、僕は他の男の馬に乗せられて、近くの街へ着くまでのあいだ、前を走る彼女の背中を見ることしか出来なかった。
この時の僕が本当に気にすべきはどこへ連れて行かれるのか、とかこれからどこで何をして暮らすのか、とかだったのだろう。
けれど、僕はとにかく彼女と話をすることだけを考えていた。
上下に揺れる彼女の後ろ姿しか見えていなかったのに、彼女が今この時も虚ろな表情をしているという確信があった。
それをどうにかしなきゃならないと、笑ってほしいと、そればかり考えていた。
夜が明けた頃、一度も来たことがない大きな街に連れてこられた。
リシュ孤児院と看板に書かれた年季の入った建物の前で馬を降りるよう言われて、男の人に抱えられながら地面に降りた。
僕はなんとなく彼女との別れがもうすぐそこまで来ていることを悟って、急いで振り返る。
彼女は僕の方を、僕の頭の中にある彼女と全く同じ表情で見ていた。
「僕の名前はグラフト! 八さいです! 特技は家族に笑ってもらうことです! お父さんもお母さんも、僕といると楽しいって、いつも笑っててくれました! だから、あなたもきっと笑ってくれるとおもいます!」
知らない街の知らない場所に連れられて、彼女との別れを意識して、僕の中の孤独が蛆のように湧き出していた。
畑を手伝ったら「えらいぞ」って笑ってくれたお父さんも、肩を揉んだら「ありがとね」って笑ってくれたお母さんももう居ないじゃないか。
心がめちゃくちゃになって、身体に上手く力が入らなくて、声が震える。
それでも、彼女が笑っていないことが一番悲しくて、これからも笑わないだろう彼女がこのまま去ってしまうことが、とてつもなく罪深いことのように思えた。
零れそうになる涙を瞼の裏に隠して、頭の中の全部を彼女に伝えようと、言葉の栓を抜く。
「僕はあなたに笑ってほしいです! あなたが笑ってくれるためにたくさんがんばります! あなたがイヤなことを全部わすれちゃうくらい楽しい毎日をすごせるように、僕は僕のぜんぶを使ってがんばります!」
抑えようとしても眸が濡れる。
彼女の反応を見なくちゃいけないのに、僕が見る世界の彼女は酷くぼやけていて、どんな顔をしているのか分からない。
「でも、僕はまだ、あなたを幸せにはできません! 僕がまだ子供だからです! お金が無いからあなたをお腹いっぱいに出来ないからです! お家が無いからあなたがぐっすり眠れないからです! だから、僕が大人になったら、あなたに会いに行きます! ちゃんとあなたを幸せにできるようになってから、もう一度お嫁さんになってください、ってお願いします!」
自分がどんな顔で、どんなことを言っているのか。
ちゃんと言いたいことが言えているのか。
立ってるのか、座ってるのか。
頭が朦朧として、自分のこともだんだん分からなくなってくる。
「それまで、お手紙をたくさん書きます! あなたが笑っちゃうような、面白いお手紙を送ります! イヤなことがあった時に読めるように、つらくなった時に読めるように、毎週ぜったいに送ります!だから……」
――待っていてください。
「……ぼくのことをわすれないでください」
不意に、寂しさが零れ落ちた。
僕はそんなことを言いたかったんじゃないのに。
彼女を笑わせることだけ考えなきゃいけないのに。
もう一度、言い直せ。
念じて、念じて、念じたのに、言葉が出ない。
口が言うことを聞かない。
頭の中が孤独一色になって、何もかもが怖くなって、悲しくて悲しくて仕方がない。
その時、
「――?」
ふわりと、新芽のような香りが鼻孔を撫ぜた。
握りしめた右手に暖かなものが添えられて、ほどかれる。
空気に触れた手のひらの上に、優しい感触が乗ったのが分かった。
「忘れません」
彼女の声だと、すぐに分かった。
抑揚の少ない、彼女の表情が見えなくても感じ取れるような、無機質な声色。
それでも、僕には優しくて、あったかくて、これ以上ないくらいに嬉しい言葉だった。
僕はたまらず走り出した。
境界の曖昧になったぼやけた世界の、出来るだけ遠くに行こうと思った。
「うああああん――!」
目いっぱい声を出して泣いた。
これが最後。最後の涙。
人を笑顔にする人が泣いてちゃダメだから。
人を笑わせるなら笑ってなきゃダメだから。
一生分の涙を吐き出すつもりで泣いた。
今日起こった辛いことと嬉しいことを清算するには、それぐらい必要だと思ったから。
たくさん泣いて、涙が出なくなるまで泣いた後、握りしめた右手を開く。
中には葉っぱを繊細な刺繍で表現したアップリケと、折りたたんだ紙片が入っていて、紙片には彼女の名前と住所が書かれていた。
「――スプリ」
僕の命の恩人で、初恋の人で、生き甲斐で、生涯をかけて笑顔にしたい女性の名前だ。