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一話 出会い①

完結まで約二十万字、全五十二話です。

毎日一話~投稿していきます。

宜しくお願いします。


 僕が八歳になったばかりの頃、とても大きな出来事が二つ同時に起きた。

 

 一つは僕が産まれ育った村がワイバーンに襲われたこと。

 夜闇の中から現れた「翼の生えたオオトカゲ」は口から炎をまき散らして、僕が産まれた村を業火にくべた。

 いくつもの大きな焚火が生き残った人達の横顔を照らす中で、ワイバーンはじゃれつく猫のように飛び回りながら、僕の友達やおじさんおばさんを踏みつけ、飛び出した中身を黒煙が立ち昇る口の中に放り込んでいった。


 炎から間一髪でまろび出た僕と両親は、炎が届かない場所を探して走った。

 恐怖と焦りからかいつもより肺が空気を欲しがったけれど、僕の外にある空気は煙と粉塵が混じっていて、その上酷く熱されていた。

 これが吸っていい空気だとは到底思えなかったけれど、後ろから絶えず聞こえてくる断末魔が、僕に呼吸と足を止めることを許さなかった。

 

「逃げろ!」


 共に安全なところへ逃げるのだと思いこんでいた僕は、父の絶叫に立ち止まる。

 振り返ると、ワイバーンがまるでおもちゃを数える子供のような目で僕達を見ながら、喉を鳴らしていた。

 父は腰に下げた錆びだらけの剣を抜いてワイバーンの視線の中心に躍り出ると、もう一度僕らに向けて「逃げろ」と叫ぶ。


「ダメ……!ダメダメダメ!」

 母は父の背中に駆け寄って、身体を震わせながら父の決意を拒絶した。

 僕は少し後ろで呆然として、ただ二人の背中がやけに小さくか弱く見えることだけを感じていた。


 ぶちゅ、と音がした。

 視界が黒光りする鱗に覆われて、熱風が僕を転ばせた。


 瞼をこじ開けると、そこにいたはずの父と母は居なくなっていた。

 代わりにいたのは頭上からよだれを落とすワイバーンと、その足元でひしゃげた二つの死体。

 ワイバーンは大きな翼を広げて鳴いた。笑われているのだと思った。

 

 僕には時間があった。

 二つの死体が僕の両親であると理解するのには充分で、その上で彼らに駆け寄って泣くか、もしくは踵を返して逃げようとするくらいの、ほんの数秒の時間。

 でも、立ち上がるとか逃げるとか、そういうことはもう僕の頭の中には無くなっていて、迫りくる自分の順番が来るのを待った。

 

 死を受け入れることが出来たのではない。

 ここで生きていくことを受け入れることが出来なかったのだ。

 優しい両親も仲のいい友達も居なくなって、幼い自分が突然広い世界に投げ出された孤独感のほうがずっと怖くて、とにかく皆がいるところに行きたかったのだ。

 

 近いうちに僕を踏みつけるであろうワイバーンの後肢を見た。

 僕よりもずっと大きくて重そうで、きっと僕の中身を熟れた果実みたくぶちまけてしまうだろう。

 でもまずは鉄片のような鱗が突き刺さって、僕の表面を剥がしてしまうだろう。


 僕を噛みしめるであろう口は見なかった。

 どうせその頃には死んでいるだろうから、死ぬまでに受ける痛みや苦しみを勘定する僕の意識の外にあった。

 

 ワイバーンが両親を殺してから僕の頭上へ跳躍するまで、時間にして十秒にも満たないと思うけれど、その五倍は長かったような気がする。

 食べられる側でありながら、まるで夕食を前に母の合図を待つ時のようなじれったさすら覚えていた僕は、ワイバーンが地面を強く踏みしめたのに気付いた。

 たくさんの絶望と少しの安堵を湛えながら、捕食者の獰猛な眸にどうか痛くしないでと祈った。

 

「氷よ。迅速の槍となりて穿て」

 

 魔法の詠唱。鱗が擦れる音と火が爆ぜる音の中に、確かに人の言葉があった。

 刹那、轟音を伴った衝撃に全身を叩かれて、僕は後方に転がった。

 何が起きたかも分からないままに身体を起こすと、氷で出来た大きな槍がワイバーンの頭蓋を貫いて、地面に縫い付けていた。

 

 死ぬ覚悟をとうに決めていた僕はあまりにも唐突に脅威が取り除かれたことに安堵していいのかすら分からず、僕を僕の大事なもののところへ連れて行くはずだったワイバーンの骸を眺めることしか出来なかった。


 一度整理したはずの頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられた。

 そんな僕が命の恩人に意識を向けることが出来たのは、その人がもう一度呪文を唱えてワイバーンの首を落としたからだ。

 

 「氷よ。迅速の槍となりて穿て」

 自身が放った氷槍の衝撃に黒いローブをはためかせながら、その人は僕のすぐ横を通り過ぎていく。

 

 お礼。お礼だ。

 僕はその人の後ろ姿に向けて、言葉を繕おうとした。

 でも、僕は「ありがとうございます」なんて簡単な感謝すら口に出すことが出来なかった。


 僕は取り残されてしまったのだ。

 故郷も家族も友達も失い何も無い世界にただ一人残されてしまったことに気付いて、僕はワイバーンの最後の標的になる時よりもずっと深い絶望と恐怖に堕ちた。

 黒煙をまき散らす炎に囲まれているはずなのに全身が冷え切って、なんとか呼吸をするのが精いっぱいだった。


 これからどうしていけばいいのだろう?

 どこにいけばいいのだろう?

 僕は誰の為に、何の為に、生きていけばいいのだろう?


 僕を温かく包んでくれていた全てがついさっき手の届かないところに行って、同じところを連れて行ってくれるはずだったワイバーンも死んだ。

 僕は好きなものが何も無いこの世界を生きていかなければいけなくなってしまった。


 自分を救ってくれた後ろ姿に愚かにも黒い感情すら覚えて、とてもお礼なんて言えなかった。

 絶望に溺れて救いようもないほどの浅ましさを抱えた僕は、その人に憎悪に近いとすら言える視線を投げかけた。


 そこで僕のもう一つの大きな出来事が起こった。


 「水よ。流るるその身をもって掻き消せ」

 その人は燃える家々に向けて扁平な水の塊を落とすと、蒸気と共にけたたましい音があがる。

 その時に起きた大きな風が、その人の顔を覆い隠していたフードを引き剥がした。


「……ぁ」

 垣間見えたその人の横顔に、僕は思わず感嘆を漏らした。 

 初対面の人にやってはいけないことと知っていたけれど、取り繕うことも出来ないほどに心を奪われた。

 

 その人は、女の子だった。

 女の子、といっても僕よりはずっと年上だろうけれど、大人の人ではないだろうというくらいにはあどけなさが残る顔立ちをした、長くて先の丸くない耳を持つ少女。

 風に靡く金髪は流麗で、白い肌には炎の灯りが吸いついて、まるで闇を晴らす太陽のように綺麗だった。

 

 一目惚れだった。

 彼女の全部が、この瞬間に好きになった。

 美しい髪も、可憐な容貌も、魔獣を単独で倒した強さも、全部が僕の心を掴んで離さなかった。

 全身の血が沸騰するような鮮烈な感情が爆発して、これまで感じたことが無いくらい身体が熱を持った。

 家族や故郷を失った絶望も、天涯孤独の身の上も全部押しのけて、頭の中が彼女一色になるくらいの、劇的な恋だった。

 僕の中に渦巻く闇が、彼女によって払われたのだ。

 

 だからこそ、彼女の眸が湛えるあまりにも暗い感情が僕の心を波立たせた。


 彼女の眸を見るまで、僕は僕のことを世界で一番不幸で孤独なのだと思っていた。

 でも、それは世間を知らぬ者の愚かな勘違いであり、底が見えなかったはずの絶望感に足がついたと思えるほどの闇が、彼女の黒ずんだ眸に帳を下ろしていた。


 ――この人を笑顔にしなきゃいけない。

 

 彼女を目にした瞬間から、彼女に恋した瞬間から、僕の頭の中はそんな使命感で満たされた。

 

 彼女に何があったのかなんて知らない。

 聞いたところで、当時の僕には分からなかっただろう。

 無力な僕が、ワイバーンを殺せるくらい強い彼女にしてあげられることなんてないかもしれない。

 それでも、僕は確かに彼女に恋をしていて、彼女の笑顔の為ならなんだって出来ると思ったのだ。


 だから、僕は強い決意を持って立ち上がり、彼女に言った。

 お礼とか名前とか、言わなきゃいけないことや聞かなきゃいけないことはたくさんあったのに、全部丸ごと思考の彼方に置き去りにして、言ったのだ。


「僕のお嫁さんになってください」


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