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5_女の影

 平成4年8月のある休日。


 阪急電鉄梅田駅の2階改札から階段を降りるとすぐに広場がある。広場では、行き交う人々のざわめきが絶え間なく続き、『ビッグマン』と呼ばれるモニター画面の下には、多くのカップルが待ち合わせをしていた。


 休日の昼下がり、里美は壁にもたれかかりながら、広場の雑踏に視線を彷徨わせる。雅也の遅刻に、里美は少し苛立ちながらも『何かあったのかもしれない』と自分を納得させる。いつも時間にルーズな彼のことを知りつつも、そんな自分を「寛容すぎるのではないか」と疑う瞬間が増えていた。


 『ビッグマン前』の企業のポスターなどが表示された大きな柱の前で里美と待ち合わせしていた雅也は、休日で人通りの多い梅田駅に約束の時間を30分も過ぎて現れた。里美は時間にはきっちりしているから間違いなく待っている。


 雅也は、人が行き来する広場を見ながら階段を下りていく。駅前の雑踏を眺めながら、少し焦りを感じていた。遅刻した理由は、昨晩飲みすぎて寝坊してしまったからだが、それを里美に正直に伝えるべきか迷う。ここ最近、里美への気持ちが揺らいでいることを自覚していた。頭を過るのは、ある女性との記憶だ。だが、そのことを彼女に悟られないように、いつもの笑顔でごまかすつもりだった。

 

 モニター付近の里美を探しながら『ビッグマン』の方に近づいていく。その場所に行きつくまでには里美を見つけていた。

 周りの行きかう人をキョロキョロと目で追いながら、モニターから少し離れた場所で、壁を背にしてもたれかかるようにして里美は待っていた。

 

 近づいていく雅也に気付いて、周りを見渡していた視線が一か所に止まる。少し不安げだった顔が満面の笑みに変っていく。里美がバックを持っていない方の腕を胸の辺りまで上げて雅也に向かって手を小さく振る。


「遅くなってごめん」

 雅也は里美の隣に来ると、腰に手を回して自分に引き寄せた。

「先にモーニング食べに行こう」


 行き交う人波を避けるように二人は歩き出した。

 里美と雅也は 中学校が同じクラスだった。里美はその頃から髪も長く、ポニーテールにしていた。目鼻立ちもしっかりした美人だったが、特にもてていたという事も無かった。雅也は野球部で丸坊主、日に焼けて一年中黒かった。高校は別になり会うことも無くなった。大学1年の時に中学の同窓会の案内が来た。同窓会の参加はクラスの約半数が集まり、少し大きめの居酒屋で実施された。中学卒業から4年しか経っていなかったが、若い二人が変化するには十分な年月だった。


 雅也は髪も伸ばして、少し浅黒い印象はあったが、体育会系のノリで里美に近づいてきた。里美も高校時代に好、きな相手がいたのだが、告白すると見事に振られた。雅也に再会した当時は、付き合っている相手はいなかった。同窓会で、三次会がお開きになる頃には、二人で会う約束を決めていた。


 大学時代は、幼児教育課ということで、周りは殆どが女子。専攻が違うメンバーで遊びにも行ったが、雅也は特定の男との遊びや食事に行くことは許してはくれなかった。もちろん里美も雅也が彼氏であるという認識はしていたので、敢えて関係を拗らせるようなことはしなかった。


 雅也と適当に入った喫茶店でモーニングを食べながら、お互いの近況を話したりした。大学時代とは違って、会う機会が少なくなっていた。学生の時は雅也と逢った後に、アパートで朝を迎える日もあった。雅也は来年には大学を卒業して社会人になるが、一足早く社会人になった里美にとっては、雅也と過ごす時間が大切に思えていた。

 

 

 ショッピングや映画を観て一日が終わろうとしていた。ディナーでは、雅也が予約していたレストランで食事をして、今日は雅也のアパートに泊まるつもりだった。


 久しぶりに雅也のアパートに入った瞬間、違和感を覚えた。大学時代には覚えたことの無い違和感。部屋の匂いやキッチンの整理整頓の仕方。何かいつもと違うような感覚。


「さあ、入って」

 

 雅也にせかされるようにパンプスを脱ぐとキッチンを進む。キッチンには整然と並べられた調味料の瓶があり、その中に一つ、見覚えのないカラフルな容器があった。『これ、いつの間に使い始めたの?』里美は心の中でそう問いかけながら、気付かないふりをして、手洗い場と浴室があるドア前を通って、奥の洋間へと入った。

 

「奇麗にしてるね。整理整頓してて」

 里美は、振り向いて雅也を見ながら微笑んだ。

 雅也はこんなに奇麗好きじゃなかった。半年前に入った時にはもっと散らかっていた。里美は、雅也のいる前で母親のように整理整頓して部屋を片付けていたことを思い出す。


「里美が泊まるっていうから、部屋を片付けておいたんだよ。奇麗になっているだろ」


 里美は、洋間の壁際のシングルベッドに腰かけて部屋を眺める。雅也も横に来て腰辺りに手をかけて長いストレートの髪に顔を近づける。里美は小さな本棚にある一冊の本に目を止めていた。明らかに雅也が読むような本では無く、女性向きのタイトルが目に入った。


 雅也が首筋にキスをしながら押し倒してきたので、里美は焦ってストップをかける。

「待って、先にシャワーしてからよ。二人共汗かいているでしょ」

 

 雅也を押し返すと、仕方ないなと呟きながら。

「俺からシャワーしてくるわ」といいながら、ズボンとシャツを脱いでは、その場に脱ぎっぱなしで浴室に向かった。


 里美は本棚から小説を抜き出した瞬間、里美の胸がドクンと高鳴った。それはまるで警報のように、何かが違うと訴えかけてくる感覚だった。作者も女性で、恋愛小説らしい。雅也のものではない、それが女性のものであることは一目瞭然だった。他の本のタイトルを眺めて見ても恋愛小説らしいものはありもしない。パラパラとページを捲るとあった場所に戻した。


 里美は、雅也がもしかして浮気しているのではないかと、密かに思っていた。仕事が終わって電話をかけても出てくれないことが多くなり。ある意味彼はまだ学生だから友達たちと遊んでいるのだろうと思っていた。


 今回アパートに来るまでは。


 雅也が浴室から下着一枚で上がって来て里美に声をかける。用意していた着替えなどを持って、里美が浴室に向かった。


 洗面台の引き出しを開けて見ると、数本の歯ブラシが色違いで入っていた。青や緑に交じって、少し小さめのヘッドでピンクが数本。中にはヘアブラシも入っており、少し髪が付着していた。雅也の髪とは違って、金色っぽい長い髪が付いていた。

 

 手がかすかに震えた。こんなこと、聞くべきなのか。聞いたら、元には戻れないかもしれない。里美はそう思いながらも、気づかないふりをしようと自分に言い聞かせた。


お読み下さりありがとうございました。

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