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4_里美の日記

 里美は、机の上に置いた日記帳にそっと手を伸ばした。その小さなノートは中学生の頃から書き続けている、大切な記録だ。当時は親友との交換日記がきっかけだった。好きな人の話や学校で起きた些細な出来事を、毎日のように書き合った。その延長で、一人になった今でも何かを感じるたびにペンを走らせている。


 学生時代の不満や勉強のこと、自分の将来についての期待や不安。恋愛に関して自分の価値観等々。辛いことでも書くことで少し不安が解消するような、満足している節もあった。


『なんだか疲れたな・・・』


 呟きながらシャープペンシルを握り直し、日記の前のページをめくった。最近の自分が何を書いていたのか、少し振り返ってみる。仕事のこと、彼氏の雅也のこと。そして、避けたいと思いつつも、どうしても考えてしまう田村さんのこと。


-平成3年4月1日

『今日から初出勤、本社での研修の始まり。いつ迄も学生気分じゃいけないな・・・』


-平成3年4月12日

『今日で集合研修が終わったので、来週からは個別の研修に入っていく。専門的な内容が多くなりそうだけど理解できるかな。保母さんになる勉強しかしてきてないのに畑違いだったかな。少し不安。でも、会社の先輩たち優しくて、面白い人たちばかりで救われてる(笑)・・・』


-平成3年4月25日

『明日からGWの始まりだ。会社は休み。新入社員で東京観光してくる。楽しみ。でも雅也にしばらく会ってない。GWに会う約束しようと思ったのに都合つかないなんて寂しい・・・』


-平成3年5月7日

『GWは結局実家には帰らなかった。こっちで買い物や遊んでたから。これも良き想い出かな。雅也とは電話で話しただけでやっぱり逢いには来てくれなかった。実家に帰ったらまた何時でも会えるか。・・・』


 里美はページを捲りながらそれぞれのシーンを思い出していた。


-平成3年7月3日

『本社研修から自宅に戻ってきて、今日から正式に配属された。本社に比べると人も建物もスケールが小さいけれど頑張って働こう!全体朝礼では60人位の前で自己紹介させられて緊張した。皆さんこれからヨロシクね。雅也にも帰ってきたこと伝えてたし、今週の土曜日に会う約束できた!!久しぶりに会えると思うとワクワクする・・・』


-平成3年12月20日

『会社に入って2回目のボーナス。夏は寸志しかなかったけど、今回は思っていたより少し多かった。嬉しー。両親にも何か買って今までのお礼をしたいし、雅史にもクリスマスプレゼント買わないと。今日は、先輩たちの驕りで飲みに行った。途中から部品課の先輩や同期と一緒になって、色々な話を聞けて楽しかった。また誘って欲しいな・・・』


-平成4年5月19日

『最近、会社で気になることがある。会社で部品課の田村さんとよく目が合うようになった。資料を持って会社の通路を歩いてる時や、昼休みに女子で雑談しているとき、ふと視線を感じて顔を上げると、彼の目が自分を追っている気がする。最初は気のせいかと思ったけど、さすがにここまで続くと、やっぱりそうなんだろう。

 田村さんは、飲み会やボーリング大会で、向こうからも話してくるけど、正直なところ、あまりタイプではないし、私には雅也がいる。でも年上の先輩でもあるから話合わせてるだけなのに。好意を持たれているとしたら、どうしたらいいんだろう』


-平成4年6月4日

『今日、仕事終わりに田村さんが事務所にやって来て、ボーナスが出る日にみんなでビヤガーデンに行こうかと誘ってきた。事前に野島さんから聞いていたから、その日は予定空けてた。私が、「やっぱり夏はビアガーデンよ」って軽く返事をすると、田村さん本当に嬉しそうな顔をした。その顔を見た瞬間、少し胸がざわついた。あんなふうに嬉しそうな表情を見せられると、勘違いさせてしまったんじゃないかと思ってしまう。たぶん、いや、きっと、田村さんは私に気があるんだろう。それが伝わってきて、少し困ってしまう』


-平成4年6月26日

『今日はボーナス日で、会社のメンバーでビアガーデンに行ってきた。野外の涼しい風を感じながら、先輩や同期たちと飲むビールは最高だった。田村さんも楽しそうにしていたし、皆で盛り上がったから、誘いに乗って良かったと思った。

 飲み会の終わりがけに田村さんが、映画でも観に行こうと誘って来たとき、内心ドキッとした。やっぱり好意持たれてたんだ。嬉しいけれど、私には雅也がいるから男性と二人で観に行くのは無理だな。雅也からも言われてるし、私自身も二股賭けるような女じゃないし。もし雅也が知ったら怒るだろう。だから、田村さんの誘いに「ちょっと忙しくて」と遠回しに断ったけれど、田村さんはあまり気づいていない様子だった。もっとちゃんと伝えるべきだったのかな?』


 里美はそこまで読んでから、昨日記入した続きに今日の日付を書きこむ。

-平成4年7月1日


 乾かしてから時間の経っていない、髪を両手で後ろに掻き上げながら、シャープペンシルを握り直す。そして、今日の出来事を書き始めた。


『今日は月初めで、タイムカードの集計や経理処理の締めなんかで残業して帰って来た。いつも月末、月初は忙しい。人増やして欲しいくらい。猫の手でもいいから借りたいわ。それはそうと、ついさっき田村さんから電話があってびっくりした。シャワーを浴びてる時にも電話があったみたい。私としては、この話はもう終わったつもりでいたけど、映画の件諦めてなかったみたい。今月は、友達や雅也との約束が入っているから、予定が空いてないって曖昧に断ってしまった。しばらく、電話の向こうで沈黙があったけど、それでも田村さんは笑って「わかった、また今度」と言ってくれた。 これで諦めてくれるだろうか。私の気持ちはもう決まっているけど、それを伝えるのがどうしてこんなに難しいんだろう。田村さんの気持ちを思うと、それを傷つけたくないという気持ちもある。でも、このままではいけない。曖昧にしているのは、むしろ私の方なのかもしれない』


 里美は日記を閉じ、そっと机に置いた。部屋の中の静けさが重たく感じられる。窓の外では、遠くで車の音が聞こえるだけだった。頭の中には雅也の笑顔と、田村の少し寂しげな顔が浮かんでいた。



お読み下さりありがとうございました。

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