第5話 ゼロクという名の魔王、または面倒嫌いなろくでなし
『長きにわたる戦乱の中で、彼らは一貫してろくでなしであった』
これは、大軍師ネハンが遺した手記の一節である。
蒼玉の騎士団を退け、半ばなし崩し的に王国に反旗を翻すことになったゼロクたちだったが、相変わらずその頭の中には野望や理想といったものは存在しなかった。
やりたくないことはしたくない。競争も争いも面倒くさい。
干し肉を齧りながら、犬小屋でだらだらと寝ていたい。
強いて言えば、これが彼らの理想であり、戦乱の世を駆け抜けた理由だった。
『魔王ゼロクにとって、名誉や面子のために戦いを挑んで来た王国騎士団も、同盟や服従を求めて侵攻して来た他の勢力も、好物の肉に集ろうとするハエやネズミと同等の存在――単なる面倒事に過ぎなかった。ある意味では、彼は確かに魔王らしかった』
この文章からは、ネハンが何とかしてゼロクの君主としての資質を褒めようと腐心している様子が伺える。
「次はどうすればいい?」
だが実際のところ、情報を収集し、知恵を絞るのはもっぱらネハンの役割で、ゼロクは言われたことを黙々とこなして、たまにサボって仲間と戯れている、不良以上真面目未満のやはりろくでなしだった。
しかも、彼の考えなし傾向はある意味筋金入りだった。
ネハンの提案は何でも素直に採用し、ろくに質問もしないのである。
あまりの素直さに、逆にネハンの方が怖くなり、ついに2つの案を用意してゼロクに選ばせるようになった。
丸投げした責任を投げ返された時、ようやくゼロクは目を閉じて熟考した。
どうやら彼は、具体的なイメージがより鮮明に浮かんだ方を採用しているらしかった。
その選択は図に当たる時もあれば外れる時もあった。だが、命運を左右する重要な局面では、どういうわけか彼は判断を決して誤らなかった。
感情と成り行きに任せるまま騎士団を退け、いつの間にか村の指導者のような立場になってしまったゼロクたちの前にやるべきことは山のようにあった。
次の戦いに備えて食料を集め、武器を作り、防御を固め、兵士を増やして訓練する。
「しなきゃダメか?」
宿題を課せられた子供そのものの顔でゼロクは聞いた。
「ダラダラやってたらいつまで経っても終わりません。それは嫌でしょ?」
自然、ネハンもまるで子供を諭す親か教師のような気分にならざるを得なかった。
当面の問題は食料だった。
これまで、この村は租税を徴収に来た騎士団から生きるのに最低限の穀物を支給されることで生き延びて来た。むしろ死なない程度に飼われていたと言った方が適切か。
「もう、一刻の猶予もありません」
今年の分の穀物を受け取る前に騎士団とことを構えてしまったのは痛恨だった。
村の者たちはほとんどが鉱夫であり、狩猟や採集のノウハウなど持っていない。
ゼロクたちが村の指導者として担ぎ上げられたのは、今や食料を調達できるのは彼らだけであることと、この事態を引き起こした責任を負わせる意味もあった。
村人たちを飢えさせてしまったら、ゼロクたちは嬲り殺しにされた上で肉を喰われてしまうかも知れなかった。
(他所から奪うしかない)
ネハンはそう考えた。
村人たちを全員兵士として訓練し、彼らを率いて食料生産能力を持つ農村を接収するのだ。
幸い、騎士たちから奪い取った上質な武器だけは大量にある。
問題は、略奪者となることを彼ら自身が受け入れられるかどうかだった。
(僕では無理だ)
彼らと出会って日が浅く、文化の違いから意思の疎通もままならないネハンでは、とうていゼロクを説得できない。
だが、彼は同時に理想的な人物に思い当たった。
ネハンの考えを理解でき、それをゼロクたちの心情に寄り添いながら伝えることができる人間。アイスバレットである。
ネハンは彼女に自分の考えを包み隠さず話して聞かせた。
「……わかった」
意外なことに、アイスバレットはあっさりとネハンの案に頷いた。
「お腹が空くのは、つらいから……」
理由は少々原始的だったが、その方が彼らには解りやすいだろう。ネハンはそう考え、ゼロクの説得はアイスバレットにすべて任せることにした。
その判断は、決して間違いではなかった。
だが、それはネハンの想定を大きく超えてゆくことになる。
「魔王になるにはどうしたらいい?」
「え?」
ゼロクからの脈絡も突拍子もない質問に、ネハンは戸惑った。
「アイスに言われたんだ。魔王になれと」
困ったような、照れたようなゼロクの顔を見て、ネハンは体に衝撃が走るのを感じた。
後年、ネハンは手記にこう記している。
『私は魔王ゼロクの教師として、彼に『今』を生き延びる術を教えた。だが、彼に『未来』へ生きる道を示したのは私ではなかった。私1人では彼を魔王にすることはできなかっただろう。彼女こそ、魔王の母とも言える存在だったのだ』
なぜ、魔王なのか。ネハンは『名君になろうとすれば、人徳をもって国を治め、多くの国民から慕われる必要があった。その困難を思えば、恐怖による支配の方が効率的であり、戦乱の世においては効率性こそが重要であるとゼロクは天性の勘で悟っていた』と述べている。
一方、ステュクスの手記にはこう書かれている。
『ゼロクは言った。『騎士は悪者だった。だったら騎士の親玉の王はもっと悪い奴だ。そいつらと戦った魔王が本当はいい奴だったんだろう』と』
「では、国を作りましょう」
教師が課題を出すように、ネハンはゼロクに言った。
「国か。アイスが言ってたな。住んでる奴らが飢えない場所だ」
「……まぁ、そういうことになりますか」
いかにも彼ららしい例えだった。
「飢えないためには飯がいるな」
国の定義については色々言いたいことはあるが、今は話の流れの都合が良かったのでネハンは黙っていることにした。
ネハンは説いた。食を得るには、南下して農地を手に入れる必要がある。農地を手に入れるには戦力が必要であると。
「おとなしい奴に武器を配ろう」
ゼロクの言葉に、ネハンはおやと思った。
「おとなしい人ですか? 強い人ではなくて」
「槍が持てるなら強いとか弱いとかは関係ない。うるさい奴は面倒だ。邪魔だ。言うことをちゃんと聞く奴の方がいい」
無学なくせに、たまにこういうことを言うのでこの少年は侮れなかった。
こうして、セフィラ半島の最北端で魔王軍はひっそりと立ち上がった。
その軍旗は、黒地に白抜きで優雅に横たわる犬の姿が描かれていた。
それは、犬小屋で育った彼らの象徴であり、特にアイスバレットはこの旗に強い愛着を抱いていたと言われている。
食料が尽きる寸前、ゼロクは100人程度の手勢を率いて南下し、農地を持つ近くの村に攻め込んだ。
彼らにとって幸運だったのは、攻め込んだ農村がちょうど山賊の襲撃を受けており、図らずも山賊から彼らを助ける形になったことだった。
最初の食料生産地に強固な地盤を築くことに成功した魔王軍は、続いて山賊のアジトを強襲する。この時のゼロクは相手の降伏を認めず、逃亡した者も執拗に追い詰め、賊を1人残らず斬殺した。
農村の者たちからは更なる感謝を得たゼロクだったが、その顔はどこか浮かず、早々に寝床に引きこもった。アイスバレットだけが彼に付き添った。
彼の心を沈ませたのは、村人たちからの感謝だった。それが単なる偶然だったのはゼロク自身が誰よりも解っていた。本当は魔王軍こそ賊として彼らを襲う立場だったのだ。
何はともあれ、食糧庫と見晴らしよい要塞を手に入れた魔王軍はここから本格的に戦乱の渦中へ殴り込んでゆくことになる。
当時のセフィラ半島は、王国の圧政と騎士団の横暴に苦しんでいた辺境の勢力が次々と武力蜂起し、それぞれが国を建てて領土を奪い合う戦国時代となっていた。
その中で魔王軍は数百に及ぶ戦いを時に勝ち、時に敗けながらじわじわと領土を拡大していった。
魔王軍の強さの秘訣は、その単純さにあった。
魔王ゼロクを頂点に、四天王と呼ばれるアビス、ネハン、ステュクス、アイスバレットの絆はほとんど1つの人格と言えるほど強固であり、分断工作はまったく通用しなかった。
『四天王の中では最も新参であり、かつ魔王軍の頭脳と目されていた私に対し、周辺諸国からの働きかけはすさまじかった』
ネハンはそう述懐する。
『時には、絶世の美女による誘惑も行われたが、私は屈することはなかった。と言うより、屈することができなかった。彼女たちが私に見せたどんな微笑みも、魔王ゼロクが私に見せてくれた微笑みの魅力にはとうてい及ばなかったからだ』
ネハンは男色家ではない。彼は戦乱の中で敵国の女性兵士と死別に終わる悲劇的な恋を経験し、その後42歳の時に魔王領の南西にある離島で海女をしていた女性と結ばれ4人の子を為している。
魔王ゼロクは老若男女を問わず魅了してしまう中性的な美貌の持ち主であり、時折見せる微笑は千金の褒美に匹敵すると言われていた。
彼に忠誠を誓った者は、最後までゼロクのために戦った。
魔王を核とした単純な組織図に加え、組織の意思決定も明快にして単純だった。というより、ネハンを除く幹部全員が無学無教養な連中だったため、単純にならざるを得なかった。そのネハンも、最高学歴は15歳で入学した魔術学校を1年で中退した身である。
したがって、悪意ある者が巧妙に詐術や誤魔化しを仕掛けようとしても、騙す相手が愚かすぎて複雑な話が通じず、説明を単純化させるとすかさず幹部の誰かが子供のような純粋さで本質をついた質問をぶつけてくるため、かえって付け入る隙が無いという有様だった。
また、意外なことに魔王軍が自ら進軍して領土を切り取ったのは初戦の2回と、セフィラ半島でも有数の穀倉地帯の1つであるコクームの地を占領した時の計3回だけだった。
後はひたすら人材を迎え入れ、領内の生産性を向上し、防壁の強化に務めた。
当時の独立勢力は、セフィラ王国の締め付けに耐えかねて立ち上がらざるを得なかった者たちが多く、彼らは常に飢餓の不安に慄いていた。
彼らは食を求めて豊かな農地を手に入れた魔王領に攻め込んだが、魔王軍の強固な団結力と圧倒的な武力の前に絶望し、最終的には自らの手勢と領土を手土産に降伏する道を選ぶのだった。
特に敵兵を絶望させたのは、豊富な食料によっていよいよ体を巨大化させ、一騎当千の闘将となったアビスと、これまた巨大に成長した魔狼(本当は犬)を従え、未知の魔術で戦場を蹂躙した1人の魔女の存在だった。
魔王は攻め込んで来る敵は情け容赦なく叩き潰したが、頭を下げた相手には礼節を持って接し、決して勝者の驕りを見せなかった。
そのため、飢えに苦しむ勢力は自ら恭順の姿勢で魔王軍の軍門に下ると言う良循環が発生した。
こうして、魔王軍は着実に勢力を拡大していった。
とは言え、もともとは不毛な名もない村から始まった勢力である。彼らがいっぱしの国として認識され、戦国の地図に色を添えるようになるには10年の時を必要とした。
その間、幾度となく苦難があった。
特にコクームの地を手に入れるまでは、辛い雌伏の時が続いた。
戦いの中で、アイスバレットは左目を失った。暗殺者の毒矢からゼロクを庇って受けた傷だった。
3日3晩、アイスバレットは激痛と高熱にうなされながら生死の境を彷徨った。
『初めてゼロクが泣くところを見た。姉は「許してください、ごめんなさい」とうわ言を繰り返す。私たちの知らない姉。何もできないのが辛い』
この時を境に、ステュクスはそれまで各地の伝承に過ぎなかった薬草の効能を実際に検証し、体系化させていくという独自の研究を始めるようになる。
彼女の最初の功績は、あるカビから精製した傷の化膿を止める薬である。
自らが姉と慕うアイスバレットが傷によって苦しむ姿を目の当たりにしたことが、彼女の研究の原動力になったことは疑いない。
『4日目。ベッドの上で姉が座っていた。その膝の上でゼロクが寝ていた。叩き起こそうとしたが姉に止められた』
ゼロクとアイスバレットが互いを男女として意識し始めたのはこの頃だと思われる。
魔王軍が領内の力を増強させている間、セフィラ王国との接触はほとんど無かった。
この頃の王国は、蜂起した周辺諸国への対処と、王都の内部で発生した暴動の鎮圧で多忙を極めており、ぽっと出の新興勢力などにかまっている暇はなかった。
また、体面にこだわった蒼玉の騎士団が団長オライオンの死を病死と偽り、敗戦の事実をもみ消したため、王国は魔王軍の存在を感知できなかった面もある。
王国もまた10年をかけてようやく国内を平定した時、半島における王国の支配圏は全盛期の3分の2に減少していた。
しかも、西海岸における海運と商業の要である城塞都市ホートは商業ギルドが自警団を組織し、この地を総督していた紅玉の騎士団を打ち破り、都市国家として独立していた。
半島の北東では前述のとおり魔王軍が穀倉地帯コクームを占領している。
気が付けば、セフィラ半島は、セフィラ王国、都市国家ホート、そして魔王軍の3勢力によって分割されていた。
王国にとって、コクームの地はセフィラ半島にある3大穀倉地の中では最も規模が小さく、王国の領土も縮小していたこともあって奪還は後回しにされた。
だが、王国としては都市国家ホートと魔王軍が手を結ぶ事態は避けなければならなかった。
そこで王国は虎の子であった金剛の騎士団を進軍させた。目的地はホートと魔王軍の国境にある『ビネの沼地』である。
金剛の騎士団の指揮官は、魔術学校を首席で卒業した希代の天才にして名門ウォルモンド家の娘、ヴァイオラ・アレキサンドラ・ウォルモンド。副官はその弟、オリヴァー・ウィリアムス・ウォルモンドである。
対して、ビネの砦を守っていたのは闘将アビス、そして騎士団進軍の報を受けてアイスバレットが援軍として向かっていた。