第3話 魔王軍の始まり
リーリウム改め、アイスバレットの新しい生活が始まった。
と言っても、しばらくの間は凍傷になりかけた足のためにまともに歩くことができず、彼女は犬小屋で母犬の影に隠れるように過ごしていた。
「村の奴らに見つかっちゃダメだよ」
ステュクスからはそう念を押されていた。
「鉱山に連れて行かれたら、今度こそ死んじゃうからね」
彼らは不思議な集団だった。
朝、鉱夫たちが犬を連れて村を出ていくと、彼らはそれぞれのねぐらからこの犬小屋にやって来て、干し肉や内臓の塩漬けを齧りながら何をするでもなくだらだらと過ごし、犬が戻って来るころにはそれぞれのねぐらへ帰っていった。
彼らのねぐらがどこにあるのかは互いも知らない。
食料が尽きると、狩りや採集のため森に出かけていく。
ゼロクは主にウサギや野ネズミを狩り、アビスは鹿や猪などの大物を狙った。
ステュクスは木の実や香草、岩塩などを採って来た。
ろくに動けないアイスバレットの最初の仕事は、彼らに物語を聞かせることだった。
ウォルモンド家に居たころ、彼女の唯一の娯楽は、母親や乳母が子供に語る物語だった。と言っても、聞かされていたのは彼女ではなく、1つ年下の双子の弟妹、ダリアとオリヴァーである。
アイスバレットは物影からそれを盗み聞くだけだった。彼女はそれを何度も頭の中で反芻し、自分なりに物語をアレンジしたり続きを考えたりするのが好きだった。
また、ウォルモンド家はそもそも魔術の名門家であり、歴史的には戦場での武勲によって身分を得た家系であるだけに、語り継がれる物語は先祖の英雄譚や戦場における教訓話のようなものが多かった。
これらの話を聞かせると、ゼロクやアビスは目を輝かせて聞き入り、自分たちをその英雄に見立ててじゃれ合ったりしていた。
「ガキみたい」
そんな彼らをステュクスは呆れ顔で見つめていたが、その目線にはわずかな羨望が含まれていた。
その気持ちは、アイスバレットにも解る気がした。
彼らは、自分たちが過ごすことのできなかった幼子の頃の思い出を取り戻そうとしているように思えた。
ステュクスには読み書きを教えた。
と言っても、育児を放棄されていたアイスバレット自身、正式に読み書きを教わったわけではなく、見様見真似の独学である。
それでもステュクスは喜んで文字を習った。それどころか、アイスバレットの方が年上らしいことが分かると、それまでの先輩面をかなぐり捨てて「姉! 姉!」とすっかり妹のように懐いてしまった。
アイスバレットの足が治ったころ、母犬が6匹の子供を産んだ。
そしていつの間にか、彼女は子犬たちにとって一番上の姉のような立ち位置になってしまった。
どうもアイスバレットには年下の者から好かれてしまう姉気質というべきものが備わっていたらしい。
6匹のうち、一番体が小さかったオスの子犬が殊の外アイスバレットに懐いていた。その子犬は密かに「ウルル」と名付けられ、後に『最下層の魔女』に仕える『魔狼』として後世に語り継がれることになる。
その頃から、アイスバレットは魔術の鍛錬を再開していたと思われる。
今となってはその理由はわからない。だが、自ら『氷丸』と名乗っているところから察するに、彼女はこの誰からも見向きされない最下級魔術に自分を重ね、何かしらの思い入れを抱いていた可能性が高い。
少なくとも、あのような将来を迎えるための下準備ではなかったことだけは確かである。
この頃が、おそらくは彼らにとって最も平穏な時期であったかもしれない。当時の彼らには未来の展望など何もなく、そもそもその発想すら存在せず、ただ漫然と貴重な若い時期を浪費していた。
その一方で、彼らが『魔王軍』となる要素が着々と蓄積していたのも確かである。
彼らがもともと、幼少期に消化しきれなかった稚気を燻らせていたこと。社会から隔離されていたがゆえにどこか歪な形で純真さや潔癖さを保っていたこと。
そこへアイスバレットによって古今の英雄伝説がもたらされ、想像力を爆発的にかき立てられたこと。
そして何より、彼らが平穏で幸福な『今』を実感していたこと。
爆薬の成分は揃っていた。
後は外部からのちょっとした刺激があれば、いつでも恐るべき化学反応の連鎖による大爆発が起こる状態だった。
だが、当時それを知っているものは誰もいなかった。当のゼロクたちさえも。
その時が来たのは、ゲデルの大地を覆う雪と氷の隙間からわずかに緑が芽吹く、『恵みの季節』と呼ばれる時期だった。
だが、野生の動植物が束の間の安息を目いっぱい享受しているのに対し、この地に生きる人間たちは憂鬱な気持ちで陽の光を感じていた。
温かくなると、セフィラ王国から使者が来る。
人々が命がけで採掘した魔晶やわずかばかりの農作物を、租税と称して取り立てるために。
それだけではない。
彼らが滞在する間、村は彼らをもてなさなければならない。
もてなすとはつまり、村の女たちが慰み者にされるということである。
この日、ゼロクたちの暮らす村を訪れたのは『蒼玉の騎士団』と呼ばれる部隊に所属するいち分隊だった。
その数は正規の騎士が12人と、従卒が5人。
騎士たちは全員、白と青に飾られた軍服と白銀の甲冑に身を包み、煌びやかな剣と盾を持っていた。
従卒の少年たちもまた、仕立ての良い機能的な服を纏っていた。
だが、その豪奢な服装に包まれた人間たちはお世辞にも騎士とは言い難かった。
否、セフィラ王国の中央においては、彼らは高潔な騎士なのだろう。人々の規範となるべく己を律し、王国の誇りを背負って日々の務めを果たしているのだろう。
だからこそ、相手がかつて先祖が征服した異民族になると彼らは体に張り付けていたメッキを剥がし、ため込んでいた欲望を発散させた。
「女を並べろ」
隊長格らしい、ひと際豪華な鎧をまとった騎士が、最初に放ったひと言がこれだった。
村の真ん中にある小さな広場に、女性たちがぞろぞろと並ばされる。あどけなさの残る若い娘も、人妻も、子持ちの母親も関係なかった。
村も、無策で彼らを迎えているわけではない。
村の女性のうち、くじ引きによって選ばれた半数は森の中や鉱山に身を隠している。どうせ騎士たちは抱いた者の顔など憶えていない。
「絶対に音を出しちゃダメ」
アイスバレットはステュクスと共に犬小屋の中でで息を潜めていた。
積み上げた藁の中に潜り込んだ2人を守るように、母犬が大きな体を横たえる。
ゼロクとアビスの姿はない。彼らはそれぞれ村のどこかに身を隠していた。1か所に子供が4人も集まっていては、物音を立ててしまう可能性が高まると考えてのことだった。
広場では、隊長格の騎士から順番に今夜の相手を2、3人ずつ選んでいた。隊長の次はひときわ体の大きい豪傑のような男の番だった。
だが、その大男が選んだのは一番体の小さい、一番若い娘だった。
「壊すなよ」
呆れ顔で諭す隊長に、男はにやりと笑うだけで答えなかった。
「ひ……」
娘の口から、小さな悲鳴がもれたその時だった。
「待ってくれ!」
娘の父親らしき男が転がり出て、娘を庇うように抱きしめた。
「貴様、王国騎士に逆らうか!」
「ち、違う!」
父親は叫びながら、犬小屋を指差した。
村人たちはとっくに犬小屋に潜む孤児たちの数が1人増えていたことを知っていた。見てみぬふりをしていたのは人情だったのか、今回のように有事の際の生贄にするつもりだったのかはわからないが、結果として後者となった。
「あそこに1人隠れているんだ! きっとあんたの気に入る! だからこの娘は勘弁してくれ!」
数人の騎士たちが犬小屋に乗り込んだ。
唸り声をあげる母犬に一瞬怯むが、すぐに「槍だ!」と従卒から武器を受け取り、母犬を取り囲むと一斉に槍を突き立てた。
「あッ!」
アイスバレットは叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
母犬はアイスバレットにとって命の恩人だった。ある意味、第2の母と言える存在だった。騎士たちに引きずり出されてからも、その灰色の瞳はずっと母犬の亡骸を見つめていた。
「ふん」
隊長格の騎士は、みすぼらしいなりをした2人の少女を見下ろし、「こいつはいらん」とステュクスを蹴飛ばした。ステュクスの顔の下半分を覆う赤紫色の痣は、今でこそようやく迷信と認識されるようになったが、当時は悪魔肌と呼ばれ偏見と差別の対象となっていた。
一方、巨漢の騎士は涎を垂らさんばかりの下卑た笑顔でアイスバレットを見つめていた。もはや、最初に選んだ娘など眼中に無かった。
「悪魔肌じゃないか調べてやる」
広場の真ん中で、アイスバレットはボロボロの衣服をはぎ取られた。
「あ……あ……あ……」
目の前で母親を殺された少女の心に、生まれて初めて感じる醜い欲望にまみれた大人の恐怖が更なる負荷をかける。
頭の中は真っ白に染まり、目は焦点を合わせることすらできない。
彼女のその様子が、騎士の嗜虐心に火を点けたようだった。
「よし、お前に決めた」
大男の手が、アイスバレットのか細い身体を鷲掴みにしようとしたその時だった。
小屋の中から、子犬たちが一斉に飛び出して来た。
「何だァ?」
小犬たちは猛っていた。
彼らの中にわずかに混じる狼の血が、母親の血の匂いによって覚醒したのか。それとも大好きな姉の声にならない悲鳴が彼らを突き動かしたのか。
「だ、ダメ……」
混乱と恐怖に縮み上がったアイスバレットの制止の声はあまりにも小さかった。兄弟たちはその小さな体に似合わない唸り声をあげ、男に飛びかかり、噛み付いた。
「んなろぉ!」
だが、相手は腐っても騎士である。
すぐに剣を抜き、喉元を狙って跳び上がった3匹をまとめて切り伏せた。
「やめ……て……」
足首に噛み付いた子犬たちが蹴り飛ばされる。骨の砕ける嫌な音がアイスバレットの耳にこびりついた。
「この、犬っころが――」
大男の悪態が急に止まった。
「な、何だ……?」
男の脇腹から、槍の穂先が突き出ていた。
血の塊を吐きだし、大きな体が崩れ落ちる。
背後に立っていたのは、ゼロクだった。
「……」
呆然と立ちすくむ者たちの中で、ゼロクもまた同じくらい呆然と立っていた。自分が何をしたのか解っていない様子だった。
「……やりやがったな、小僧!」
ゼロクを取り囲み、剣を抜こうとする騎士たちを、隊長が「待て」と止めた。
「お前がやれ」
うずくまる巨漢を見やる。男は当然とばかりに頷いた。騎士が地に膝をついた。その汚名は自らの手ですすがなければならない。
「殺すなよ。騎士に盾突いた者は見せしめにしなければならん」
男は頷くと剣を鞘に納め、それを得物にして薙ぎ払った。
ゼロクはとっさに槍で防ごうとするが、槍は無残にへし折れ、ゼロクの身体は木っ端のように吹き飛んだ。
「ゼロク!」
今度はアビスがたまりかねた様子で物影から飛び出した。
「次から次へと!」
大ぶりな一撃を、アビスは天性の反射神経で躱した。そして敵の懐に潜り込む。
――だが、そこまでだった。いくら大柄であっても、狩りで鍛えた肉体を持っていても、人と人の殺し合いにおいてはほとんど無意味だった。
腹に膝蹴りを叩きこまれ、アビスの身体は地面に沈んだ。
その後の光景は、無惨のひと言に尽きた。
抵抗する力を奪われた少年たちは、大男の怒りの為すがままにいたぶられた。
「やめ……て……、お……願……い……」
少女の涙も声も、荒ぶる男には届かなかった。
「アイス……どうしようアイス……。死んじゃうよ、ゼロクもアビスも、死んじゃうよぉ……」
ステュクスにそのつもりは無かったのだろうが、彼女の言葉はアイスバレットの心を打ちのめした。
(私のせいだ)
少女は思った。自分がここに来たせいで、浅ましく命を惜しみ、図々しく幸せなんか求めてしまったせいで、大好きな者たちを不幸にしてしまった。
「アイス……」
その時、静かな声が彼女を呼んだ。ゼロクの声だった。髪を掴まれてぶらりと吊り下げられ、容赦ない殴打を受けながら、その目はじっとアイスバレットを見つめていた。
「撃て」
思えば、この極めて短い言葉こそ、魔王が発した最初の命令だった。
「あ……あぁ……」
ゼロクの静かな声が、アイスバレットの心に染み込んでいく。混乱と恐怖で不規則に暴れていた心臓の鼓動が落ち着いていく。
「……」
アイスバレットは、虚空に手をかざした。
「魔術反応!?」
魔力の流れの変化を感じた騎士たちが一斉に少女を見る。
少女の手に、一瞬浮かぶのは風にさらされたろうそくの灯りよりもに弱々しい魔力の青い光。
ヒン……と、かすかな耳鳴りがした。
「はは、何だ今のは?」
「赤子でもまだマシな魔術を使うぞ?」
嘲りの声とともに、騎士たちが緊張を解いたその時だった。
ずずん、と地響きを立てて、大男が倒れた。
「あっ……おっ……ごっ……」
男は両手で首元を抑え、地面を転げまわる。男の両手がみるみるうちに赤黒い血に染まる。
「何が起きた……?」
立ち尽くす人々の前で、男は顔面を紫色に染め上げ、やがて絶命した。
周囲の者たちでさえ異様に長く感じたその時間を、男はさらに長く地獄の時を体感して死んでいったことだろう。
「貴様! いったい何をしたァ!?」
若い騎士が剣を抜いた。血気に逸ったというよりは、恐慌の裏返しによる蛮勇だった。
「ひっ!?」
アイスバレットは反射的にその方向へ手をかざす。
再び、小さく儚い魔法陣の光が瞬き、ヒン……と耳鳴りがした。
その時にはもう、騎士は剣を振り上げた時の姿勢と表情のまま、額に風穴を開けて絶命していた。
「何だ、何なんだいったい……?」
魔術大国であるセフィラ王国は、騎士たちもみな魔術士の資格を持っている。当時、すべての魔術士は『魔術の威力と魔力の大きさは比例する』という常識に囚われていた。
それでも、彼らは一応は実戦経験も積んだ騎士だった。
「魔術には魔術だ! 総員、詠唱開始!」
騎士たちが少女に向かって手をかざす。
「炎の精霊よ、我に力を貸したまえ……」
虚空に浮かぶ魔法陣の光。
「ひ……」
それが、アイスバレットの中に眠っていた心的外傷を呼び覚ました。
ダリアとオリヴァー。雷の属性を持つ双子の弟妹は時折、アイスバレットに向かって魔術の電撃を放った。死んでしまってもかまわない――そんな残酷な幼さゆえの容赦のない拷問の記憶。
「い、嫌ッ!!」
ヒヒヒヒヒヒン……
耳鳴りの後、まともに立っている騎士は1人もいなかった。全員、手の平を正確に撃ち抜かれていた。それ以外の被害は様々だった。
胸を穿たれた者。
手の平から腕を縦に抉られた者。
口腔に穴を開けられた者。
12人の騎士たちのうち、すでに半数以上が絶命していた。
手を抑えて蹲る者たちの前に、影が覆いかぶさった。
「ま、待て……」
ゼロクは折れた槍の穂先を、自分を見上げる騎士の目に突き立てた。
「お前ら……自分が何をしているのか……わかって……」
最後まで発言することを許さず、アビスはその顔面に蹴りを叩き込み、倒れたところをそのまま踏み砕いた。
「た、頼む……助け……」
情けない命乞いは、ステュクスが振り下ろした石によって塞がれた。
「あああああーーーーーッッッ!!!」
生き残った者たちは恥も外聞も捨てて潰走した。
ゼロクたちにそれを追いかける力は残っていなかった。
特にアイスバレットは、両目から血の涙を流しながら、ぐったりと座り込んでいた。そんな少女の肩に、ゼロクは自分の服をかけた。
「なんてことをしてくれた!」
村人がゼロクたちを取り囲んだ。
「騎士団の怒りを買ってしまったぞ! どうするんだ!? 我々はどうなるんだ!?」
「その娘は何だ!? 悪魔の子か!? 邪悪な魔女か!?」
「お前たちのせいでこの村は終わりだ。よくて皆殺し、悪くすりゃ正真正銘の奴隷だ!」
村人たちが口々に発する詰問を、ゼロクは静かに聞き流していた。
そもそも、「たまに役に立つろくでなし」にすぎない彼に、未来への展望などあるはずもなかった。
その代わり、沸々とした怒りがあった。
なぜ、理不尽な暴力に自分たちが耐えなければならないのか。
なぜ、理不尽を正した自分たちが責められなければならないのか。
死ぬなんて御免だ。
奴隷なんて真っ平だ。
「おい」
ゼロクが声をかけたのは、騎士団からたった1人逃げ遅れた従卒の少年だった。
「お前は何だ?」
「ひっ!?」
頼りない印象の少年だった。訓練を受けているため鍛えられてはいるが、体つきが全体的にひょろ長い。金茶色の髪は油で撫でつけられてはいたが、後ろの寝ぐせがちょこんと立ったままだった。
度の強い眼鏡の奥では、落ち着きのない目がきょろきょろと動いている。
「ぼぼ、僕はまだ騎士見習いで、本物の剣なんて持ったことなくて……、ほほ本当は騎士になんかなりたくなくて――」
「……」
ゼロクの目に促されるままに、少年はしゃべり続ける。
「教師になりたかったんです! でも、うちにはお金が無くて、仕方なく騎士団に……」
「教師? 何だそれ?」
「こ、子供に色んなことを教えるんです! 学問とか、魔術とか、いろんなことを」
「だったら、オレたちに教えろ」
「え?」
ゼロクにとっては、彼なりの合理的な思考の結果だった。
自分たちには学がない。騎士の怒りを買った自分たちがこれからどうやって生きていくかなんて見当もつかない。
村人たちも似たようなもので頼りにならない。
だったら、外部から来た人間の知恵を借りるしかない。
「オレたちはこれからどうすりゃいい?」
「えぇー……」
少年にしてみれば、ついさっきまで殺し合いをしていた敵の子分に教えを乞おうとする相手が理解できなかった。
だが、もはや自分に選択の余地がないことも事実だった。
「少し考える時間をください。それと、この辺りの情報がほしいです」
「任せる」
そして、一瞬の間の後、また口を開いた。
「オレはゼロクだ。デカいのがアビス、赤いのがステュクス、キレイなのがアイスバレット」
「はぁ、僕はネハンといいます。えっと、よろしく……?」
後に、大軍師ネハンとして魔王軍の舵取りを行うことになる少年は、困惑顔で頭を掻いた。
その夜、村のはずれではアイスバレットが1人、膝を抱えるようにして座っていた。
「冷えるぞ」
「だ、大丈夫」
ゼロクの声に、アイスバレットは小さく答えると少しだけ身体を起こした。
彼女の身体には、子犬が一匹抱え込まれていた。
彼女の前には、盛り上がった土がある。その下には、母犬と子犬たちの亡骸がある。
「ごめん、な、さい……。ごめんなさい……」
昏い瞳で、アイスバレットはうわ言のようにつぶやき続ける。
私のせいだ。
私がここにいなければ、母犬も、兄弟たちも、こんな死に方はしなかった。
彼らは、少女の冷えた身体に温もりを分けてくれた。命を分けてくれた。本当の母親以上に母親で、本当の兄弟以上に兄弟だった。
なのに……。
「アイス」
「……」
「泣け」
「え……?」
顔を上げるアイスバレットに、ゼロクはふいと横を向いた。
「考えるな。泣け」
気心の知れた仲間としか会話をしたことの無いゼロクの言葉は、いつも短い。
恐らく、大声で泣けば余計なことを考えずに済むと言いたかったのだろう。
アイスバレットはゼロクの言葉の意味を了解していたが、それでも困ったようにうつむいた。
「泣き方、知らない」
「そうか……」
ゼロクも困った顔でうつむいた。
その時、子犬がアイスバレットの懐からのそのそと這い出した。
子犬は四本の足を踏ん張り、ぐっと首をそらして夜天を見上げ、「オォーン!」と遠吠えした。
「……」
アイスバレットも立ち上がり、寒気に澄んだ星空を見上げた。そして大きく息を吸うと、「オォーン!」と哭いた。
漆黒の空と冷たい光を放つ星々の無慈悲に反抗するように、少女と子犬は何度も何度も吠え続けた。
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