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第2話 アイスバレットという名の少女

『その後、リーリウムの消息は(よう)として知れなかった』


 ヴァイオラの思念には無念さがにじんでいた。


『知っての通り、私が再びあの子の姿を見たのはそれから10年後。ビネ沼の砦で、不倶戴天の敵としてだった……』


 ビネ沼の戦い。セフィラ王国は3万人の魔術騎士団を組織し、魔王領に攻め込んだ。そして、たった1人の魔女の前に壊滅状態に陥った。


『最下級の魔女がウォルモンド家の生まれであるという貴殿の仮説は正しかった。まあ、こんな亡霊の証言、学術的には何の意味もないだろうが』

「とんでもない」


 答えを知っている。研究の世界において、こんなアドバンテージは他にない。真実があるなら、必ず実証できる。してみせる。


『あの子はその後、どこへ向かった? あの子は、どのように魔王に出会った?』

「それは……」


 私は言い淀む。

 ここから先は私の仮説ですらない。想像の領域だ。


『頼む。私はあの子に取り返しのつかないことをした。私にはもう、あの子の本当の過去を知ることはできない。それでも私が亡者としてここに恥をさらしているのは、それでもあの子のことを知りたいから……』


 英霊が私に(すが)るような目を向ける。


『仮にこの先、1000年の時間が与えられたとしても、貴殿以上にあの子を知る者がここを訪れることはないだろう。語ってくれ。あの子の物語を――』




  ◇ ◇ ◇




 少女リーリウムがいかにして『最下層の魔女』、いや、『最下級の魔女アイスバレット』となったのかを話す前に、『魔王ゼロク』について語らねばなるまい。


 魔王ゼロクは、魔王領――後のゼロク自治領の初代君主である。

 彼はセフィラ半島の北端にある極寒の地ゲデルにて『魔王軍』を旗上げした。


 当時のセフィラ半島は、名目上セフィラ王国によって統一されていたが、王国は3代にわたる暗君の失政と、己の利権にのみ関心を示す貴族や官吏によって統一国家としての権威を著しく失墜させていた。


 辺境では地方の小貴族や革命勢力が続々と王国に反旗を翻し、独立国家を僭称(せんしょう)した。これらの小国家はセフィラ王国という共通の敵を持ちながら、互いも衝突し合いながら融合と分裂を繰り返した。


 混沌の戦国乱世。

 そんな中で、『魔王軍』は初めは取るに足らない、野盗団に毛が生えた程度の弱小勢力でしかなかった。

 それが瞬く間に周辺諸国を吸収し、徐々にセフィラ王国の領土を削り、ついには半島を二分する大勢力へと膨れ上がるとは、誰も思わなかっただろう。




 その中心人物である魔王ゼロクの人となりを、ひと言で表すのは難しい。


 彼は、ひとたび戦場に立てば炎のように勇猛果敢だったが、平時は水をうったように静かな男だった。

 魔王軍が行ったすべての戦いにおいて、彼は常に最前線に身を置き、味方を鼓舞し、時には自ら敵陣に突撃する男だった。

 だが、平時は怠惰と言えるほど自ら動くことはせず、言われたことを黙々とこなしているような、とても君主に適しているとは言い難い男でもあった。


 また、ゼロクは潔癖で執念深い男だった。特に軍規を犯した者には容赦せず、自軍の兵士からは嵐の夜の雷のように恐れられていた。

 その厳しい規律は『一盗斬』と呼ばれ、兵士による略奪、窃盗、横領には死刑が、その上官は地位に関係なく一兵卒への降格処分が待っていた。

 敵への恨みも決して忘れることはなかった。ひと度復讐を誓った相手は、たとえ何年かかろうと必ず追い詰め、報復した。


 そのくせ、彼は妙に寛大な男でもあった。

 彼は配下の失敗に対しては咎めることはおろか、怠惰を叱責することすらしなかった。彼自身がそうであったためか、人間とは本来怠惰な生き物であると信じ込んでいる節があった。

 また、よく働いた者には惜しみない称賛と褒章を与えた。ゼロクには人の隠れた功績を見抜く才能があり、功績が上がった時には的確に縁の下の力持ちを見つけ出して労に報いた。後年、彼が「足に目が付いた王」と呼ばれるゆえんである。


 炎のように勇猛、だが水のように静か。

 雷のように苛烈、だが大地のようにおおらか。

 そんな矛盾こそが魔王ゼロクの人となりだった。


 彼の分裂した内面は、外側にも表れていた。

 1代で無名の存在から大国の君主にのし上がった男。

 魔王を名乗り、諸国を併呑した男。

 歴史上、まさに偉大な英雄と言って差し支えない魔王ゼロクだが、その見た目は驚くほど貧相だった。


 身の丈は小柄で、長い手足は骨に皮が張り付いているだけに思えるほど細かった。

 ボサボサの黒髪には、前髪の一部に白い部分が幾筋か混じっている。

 不健康な肌の色にいたっては、青白いを通り越してもはや青灰色に近かった。


 そんな弱々しい病人のような体躯をしたゼロクだったが、その姿を見た者で実際に彼を「病人のようだ」と評する者は誰もいなかった。

 彼の顔立ちは、目を閉じている時はまるで少女と見紛うほどに整っており、いくら歳を重ねても10代にしか見えなかった。


 そして何より強烈な印象を与えるのは、ゼロクの濃い隈に縁どられた四白眼だった。

 まるで全身の生気を瞳に凝縮させたかのように、その黒い小さな点の中には情念の(あか)と冷厳な青が混じり合った紫の炎が燃えているようだった。


 雑多な民族が寄り集まった魔王軍という組織は、この『眼』に率いられていたと言ってもいいだろう。




 前述のとおり、魔王軍はゲデルと呼ばれるセフィラ半島北端にある、万年雪に覆われた地で発足した。この地はそのまま魔王ゼロクの出生地でもあった。


 ゼロクの出自については、一時期は冤罪によって追放された王族の末裔であるという説が主流だったが、現在ではその根拠となる資料のことごとくが否定されている。


 おそらく、魔王を名乗る前の彼は、当時国中の至るところに存在した孤児の1人に過ぎなかったと思われる。


 ゲデルの極寒の大地は、自然界に蓄積した魔力が結晶化した『魔晶』の産地でもあった。


 かつて、数多(あまた)の異民族を駆逐して半島を統一したセフィラ王国は、領土を取り上げた者たちをこの極寒の地に送り込み、鉱夫として働かせた。

 異民族たちは村を作り、一応の自治を認められてはいたが、彼らの自由は重い租税によって縛りつけられていた。要は面倒事は自分たちで解決させ、収穫はセフィラ王国がきっちり搾取するという奴隷の扱いであった。


 そんな奴隷化された民族の()()()の中で後の魔王は生まれた。

 彼の両親が何者か、幼少の彼がどうやって生きて来たのかは不明である。


 彼はいつの間にか、同じような境遇の孤児2人と共に村の片隅に生息していた。

 その2人とは、後に魔王軍の切り込み隊長となる大柄な少年アビスと、後に薬草の知識で軍を後方で支える少女ステュクスである。


 3人の孤児は、村の大多数が駆り出される魔晶の採掘には参加せず、日がな一日だらだらと過ごしていた。かと言って、他の浮浪児たちのように徒党を組んで盗みや強盗をはたらくこともしなかった。


 彼らは腹が減ると村の外に繰り出し、ウサギなどの獣を狩ったり木の実や薬草を集め、村に持ち帰って食料や古着と交換した。

 村人にしてみれば、辛い労役に参加しようとしない彼らが苦々しくはあったが、村にとっては貴重な肉や薬草を持ってくるため、「たまに役に立つろくでなし」として少年たちを村の一部として許容していた。




 そんな、ある日のことだった。


「何だ、もう来てたのか」


 村のはずれにある犬小屋――といっても、飼われているのは採掘された魔晶を運ぶ(そり)を引くための大型犬5頭であり、小屋は大きさだけなら民家以上である。

 3人の孤児たちは、犬たちが鉱夫と共にで払っている間、そこをたまり場として使っていた。


 いつものようにやって来たのは、大柄な少年アビスだった。

 狩りで野山をかけ回ることで鍛えた、しなやかな肉食獣を思わせる身体つき。だが、顔はむしろ穏やかな細面で身体とのバランスがやや悪く思えた。この点、目力は強烈だが体つきが貧弱なゼロクとは対照的だった。


「んー」


 積み上げた藁束に寝そべり、香草の塩漬けをむしゃむしゃと噛んでいた少女――ステュクスが眠たげに返答する。

 切れ長な垂れ目のせいだろうか、年齢に似合わぬ、気だるげでスレた印象の少女である。鼻から下が赤紫色の痣に覆われていることにコンプレックスを抱いており、常に口元が人目に触れないよう気を配っていた。


「ゼロクは?」

「ウサギ狩り」

「んだよ、ひと声かけてくれてもいいじゃねぇか」

「アビスが一緒だとうるさいんだよ」

「だってよぉ。アイツ同じ場所で3日もじっとしてんだぜ? 信じらんねぇ」


 有り余る体力に物を言わせて獲物を追い回すアビスに対し、ゼロクの狩猟は気配を絶ってじっと獲物を待ち伏せするスタイルである。

 意外なことに、筋骨隆々のアビスよりも、枯れ枝のような体つきのゼロクの方が狩の成功率は高かった。


「だが、アイツにウサギは狩れても猪は狩れねぇ」


 むきっと腕の筋肉を膨らませるアビスに、ステュクスは「はいはい」と生返事をした。


「つまんねぇな」


 犬たちは仕事に出かけて、犬小屋はがらんとしている。

 いや、奥の方に大きな雌犬が1頭、身を伏せてこちらを見ている。狼の血が混じった、白と灰色の混じり合った毛色をした大型種である。

 腹が大きく膨らんだ、母犬だった。こちらをじっと伺う薄茶色の目には険しい警戒の色がある。


「んだよ、何もしやしねぇよ」


 母犬から離れた所にアビスが寝そべると、ステュクスが体を寄せた。

 別に2人が恋仲だというわけではなく、単に寒いからである。ゼロクがいれば、彼のか細い身体を挟むように3人で体を寄せ合うのが常だった。


 この点、すでに二次性徴を始めている彼らの身体に比べ、精神は異様に幼く、無邪気だった。

 うとうとと微睡む2人の耳に、足音が聞こえてきた。


「何だ、早かったな」

「ウサギ、獲れた?」


 幼いころから身を寄せ合って生きて来た彼らは、足音だけで仲間を認識することができた。

 のそのそと体を起こす2人の前に、どさりと重い塊が落ちた。


「……」


 2人の前に、ゼロクの困惑した顔があった。


「落ちてた……」


 2人はようやく地面に落ちたモノがウサギではないと知り、それを覗き込んだ。


「人間だな」

「人間だね」

「やっぱりそうか」


 それは、薄鈍色(うすにびいろ)の髪をした少女だった。肌は血の気が無く、小さな体を小さく丸めて震えていた。


「マズいよコレ、早くあっためないと」


 ステュクスの言葉に、アビスは藁の束を抱え出し、少女の身体を包んだ。

 ステュクスは少女の靴を脱がせた。少女の足は紫色に変色していた。


「凍傷になりかけてんね。死ぬかも」


 てきぱきと診断を下す彼女だが、別に特別な知識があるわけではない。この寒冷地に生きる者なら自然と身につけている常識である。


「……助ける」


 ぼそりとつぶやくゼロク。それがそのまま彼らの意思となった。この頃から、ゼロクの言葉には不思議な重みがあった。


「火、もらって来る」


 くるりと身を翻すゼロクの背中に、アビスは「やめとけ」と止めた。


「死にかけたよそ者だ。助けちゃくれねぇよ」

「だが、助ける」


 言うが早いか、ゼロクは服を脱いだ。他の2人もそれに(なら)う。

 藁に脱いだ服と少女の身体を押し込み、最後に裸になった彼らが少女を囲むように潜り込んだ。


「うわ冷てッ!?」

「いちいちうるさいよ」


 少女の身体は芯まで冷え切っていた。


「コレ、俺たちもヤバいんじゃね?」

「……」


 ゼロクは答えない。アビスはごく自然に彼に従った。

 別に生きたいわけではない。ここで名前も知らない少女に体温を吸いとられて死んだところで、誰も悲しむ者もいない。自分自身ですら。

 ゼロクが少女を助けると言ったのだから、助ける。ただそれだけだった。


 その時、犬小屋の隅でこちらを警戒していた母犬がむっくりと起き上がった。


「え? 何?」


 当然ながら、母犬は答えない。その代わり、大きく膨らんだ腹をこちらに向けるようにして寝そべると、低く短く「ヴォウ」と吠えた。


 それは明らかに「その子をこっちに連れて来い」と言っていた。


「ダメだよ。赤ちゃんが冷えちゃう」


 ステュクスの気遣いに、母犬はこちらをじっと見つめたまま、再び同じ声色で「ヴォウ」と吠えるのみだった。


「……わかった」


 ゼロクは頷いた。

 少女の身体を母犬に抱かせるように横たえ、服を重ねて藁をかぶせる。


「ヴォウ」


 母犬が三度(みたび)吠えた。

 その声は、半裸で凍える3人の孤児たちに向けられていた。


「……」

「……」

「……」


 3人は顔を見合わせ、次の瞬間、我先にと母犬のもとへ潜り込んでいった。



  ◇ ◇ ◇



 ――かくして、少女は一命をとりとめた。

 足の凍傷も悪化することはなく、少しずつ体温を取り戻し始めた。


「お前、名前は?」


 問いかけるゼロクに、少女は体を強張らせた。怯えているようだった。


「どこから来た? どうして来た?」

「あ……ぅ……」


 お構いなしに畳みかけるゼロクに、少女は声を詰まらせ、傍らに横たわる母犬の影に隠れようとする。


「?」


 ゼロクは首を傾げた。どうして少女が怖がっているのか、まるで(わか)らなかった。

 また、解るはずもなかった。

 生まれてこの方、他人と話をする機会がほとんど無かった少女にとって、ストレートな言葉をストレートにぶつけて来るゼロクの姿勢は攻撃的ですらあった。


 そして何より、まっすぐにこちらの目を覗き込んで来るゼロクの顔が、あまりに近かった。


「死……」


 不意に、少女の両目から涙が(こぼ)れた。


「死にたくない……」


 怪訝(けげん)な顔で首を傾げるゼロク。他の2人も同様だった。彼女がいきなり何を言い出したのか、まったく理解できなかった。




 本当は、リーリウムは人知れず死ぬつもりでこの地へやってきた。

 ウォルモンド家を出奔した彼女は、ひたすら北を目指して歩いていた。

 いつどこで聞いたかは覚えていないが、彼女は『寒いところなら眠るように死ねる』と聞いたことがあり、それに愚直に従っていた。


 この時のリーリウムの心は、静かな絶望に侵蝕されていた。

 諦め、または「無」と言ってもよかった。

 そこに意思はほとんどなく、「死にたい」という欲求ですらなく、彼女の体は「眠るように死ぬ」という言葉にのみ従っていた。


 そういう意味では、この時のリーリウムはまさに「生ける(しかばね)」の状態だったと言える。

 だからこそ、まだ幼いと言える年齢の少女がたった1人でこの極寒の辺境まで歩いて来ることができたというのは皮肉だった。


 そして彼女は、ようやく自分の死ぬべき場所にたどり着いた。

 真っ白な雪と真っ白な空。柱のようにそびえ立つ針葉樹林。冷たく澄み切った空気に、チラチラと煌めくダイヤモンドダスト。


「きれい……」


 少女は思った。

 自分はこの景色を見るために生まれて来たのだと。

 だからもう、思い残すことは何もない。


 雪の上に倒れ込んだのは、彼女の意志だったのか肉体が限界を迎えていたのかはわからない。どちらでもよいことだった。


 白い空を見ながら、ゆっくりを微睡んでいく少女の灰色の瞳に、美しい少年とも少女ともつかない顔が映った。


(天使様……?)


 いや、違う。

 天使なら、背中に翼が生えているはずだ。

 それに天使は、その手に縊り殺したウサギなんて持っているはずがない。


(そうか、きっと死神様だ……)


 死神が自分を抱え上げるのがわかった。予想通り、その腕は皮が張り付いただけの骨のように細かった。そんな細腕が自分を軽々と抱き上げたのには驚いたが、それがかえって相手が死神であると確信できる要因にもなった。

 冥界に連れていかれるのだと思った。

 だから、朦朧(もうろう)とする意識の中で聞こえてきた死神の言葉に、リーリウムは驚いた。


「……助ける」


 温もりが少女の身体を包んだ。


(やめて)


 リーリウムは思った。


(私の生きる意味はもう終わった。もう休ませて)


 だが、残酷な温もりは彼女を眠らせてくれなかった。

 凍傷を起こした肉が解凍され、凄まじい激痛がよみがえった。


(やめて。もうやめて。これ以上私を苦しめないで)


 少女はもがいた。この苦痛から逃れたかった。だが、寒さで収縮した筋肉はほとんど動かすことができなかった。




 ……少女に地獄の苦しみをもたらしたのが温もりなら、少女の心に安らぎを与えたのもまた温もりだった。

()()()()()


 チクチクとした固い毛の感触が、発狂寸前まで追い詰められていた少女の精神をかろうじて引き留めた。

 次に少女の皮膚が感じたのは、毛皮の向こうにある鼓動だった。


 6つの、小さな鼓動だった。


(ダメ……)


 すぐそばに、か弱い命がある。

 自分では動くこともできず、それでも必死に生きようとしている小さな命がある。



 ――ダメだよ。赤ちゃんが冷えちゃう。



 激痛の中で聞こえた言葉が思い出された。

 少女の凍えた身体が、6つの命を脅かしているのが分かる。


(ダメだ。そんなのダメだ。凍えるってこんなに痛くて苦しいのに。この子たちにこんなつらい思いをさせちゃいけない!)


 少女の中で、どくん、と強く鼓動が脈打った。


(生きなきゃ。私は生きなきゃ)


 必死にもがく。固まった筋肉を少しでも動かし、収縮した血管に血を巡らせる。

 その足掻きは、少女自身の心を覆っていた殻にもひびを入れつつあった。


(死にたくない。私は、やっぱり死にたくない!)


 幸福への諦めも、死への憧憬も、すべて偽りだった。

 すべてはリーリウムが自分を慰め、辛い現実から目をそらすために、無意識に形成してきた心の殻だった。




 その殻を、少女は自らの手でぶち破った。




「あ、あの……」


 目の前の少年に向かって、少女は尋ねた。


「あ、あなたは……」


 美しい少年だった。同時に、異相の少年だった。

 青灰色に見える肌、白と黒が入り混じった髪、華奢な身体と炎を宿した瞳。

 人の身の中に、激しい生と静かな死が同居しているような姿だった。


 ――私を死の淵から拾い上げた人。

 ――私に生きる苦しみを思い出させた人。


 天使ではない。

 死神でもない。


 ならば……


「あ、あなたは、魔王様、ですか?」


 きょとんとした表情で、少年は一瞬固まった。

 「オレのことか?」とつぶやきながら周囲を見回す。

 筋肉質で大柄な少年を見、どこか気だるげな雰囲気の少女を見、地面に寝そべる大きな犬を見て、ようやく「ああ」と納得の声をあげた。


「魔王。魔王ね……」


 確かに、配下の悪魔と魔獣を引き連れた魔王に見えないこともない。


「アッハハハハハハハハハ!」


 突然、少年は弾けるように笑い出した。

 笑うと、驚くほど無垢で可憐な顔つきになった。


 その背後で、大柄な少年と口元に赤痣が浮かんでいる少女が顔を見合わせる。


「ゼロクがあんなに笑うの、久しぶりだな」

「あたしは何に見えたんだろ」


 少女はようやく自分が勘違いをしていたことに気付き、頬を染めて身体を縮こめた。


「あ、ごめんなさい……私……」

「オレはゼロクだ。あっちはアビス、そっちはステュクス」


 あまりにもあっさりとした自己紹介だったが、少女はそうは感じなかった。

 名前の他に紹介するべき自己が無いのだと、少女はごく自然にそう思った。


「お前の名前は?」


 生まれて初めて、まっすぐにぶつけられてくる言葉。

 だから、少女もまた、()()()()()()をまっすぐに答えた。


「あ、アイスバレット……。私の、名前は……アイスバレット!」

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― 新着の感想 ―
[良い点]  リーリウムの名前は捨て去りアイスバレットとして生き抜く意志を宿す(*´-`)覚悟完了ですな☆ [気になる点]  アイスバレットが言ったからゼロクは後に「魔王」を名乗るのかな?だとしたら彼…
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