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プロローグ

 そこは、今や有名な幽霊屋敷となっていた。


 かつては美しく刈り込まれ、色とりどりの花が咲き誇っていたであろう広大な庭園は、現在は鬱蒼と茂る樹木によって光を遮られ、無秩序に繁殖した植物と菌類と虫たちによって支配される薄暗い小森林と化していた。


「まったく、酷い所だ」


 やっとの思いで屋敷の正門にたどり着いた我々は、べたつく汗と泥を拭き、ようやく人心地ついた気になった。

 目の前には、朽ちた扉が重々しくそびえている。


「行きますか、教授?」


 私は頷く。

 力自慢の学生が2人がかりで扉を押す。ギリギリ、メキメキと耳ざわりな音を立て、巨大な扉は開くというよりは壊れていくと言った方が適切に思える形で我々を内部に迎え入れた。


「……散々だな」


 屋敷の内部を探索して数時間。我々の乗り越えてきた艱難辛苦は、無惨な徒労に終わりつつあった。


諸行無常(しょぎょうむじょう)とはこのことか……」


 かつては魔導の名門家として栄華を極めたであろうウォルモンド家も、家系が断絶してしまった今、こうして盗賊に荒らされ、虫に食われ、カビに侵され、人知れず消え去ろうとしている。

 彼らが後世(われわれ)に遺したかったであろう研究資料や日記の類も、ことごとく長い歳月の餌食となってしまっていた。


「きょ、教授!」


 その時、学生の1人が悲鳴交じりの叫び声を上げた。




 そこは、1階の隅にある、殊の外陽の当たらない陰鬱とした部屋だった。

 湿ったカビの臭いにむせ返りながら、私は学生の指差す先に目を向ける。


 部屋の真ん中にある朽ち果てたベッドの上に、彼女はいた。

 触れば崩れてしまうであろう、砂を固めたような白骨として。


「間違いない。『国辱のヴァイオラ』だ」


 私は断言した。なぜなら、白骨は左右両方の手首から先をすべて失っていたからだ。


『久しぶりだな、その名で私を呼ぶ者は』


 突然、頭の中に声が響いた。

 学生たちにも聞こえたのだろう。一様に驚愕と怯えの表情を浮かべている。


 いつの間にか、白骨が横たわっていたはずのベッド上に、1人の女性が上半身をわずかに起こす形で横たわっていた。


『このような姿で失礼する』


 凛とした声が頭の中に響く。


貴女(あなた)が、ヴァイオラ・アレキサンドラ・ウォルモンド?」


 女性は『いかにも』と頷く。

 伸び放題の艶のない金髪、血の気の薄い肌、やつれ切った顔。歳は若いはずだが、見ようによっては老婆のようにも思えてしまう。


 そして、彼女の身体は向こうが透けていた。


「で、出た……」

「幽霊だ……」


 慌てて不躾(ぶしつけ)な学生たちを手で制する。

 ヴァイオラは静かに首を振って彼らの非礼を受け流した。


「私はコーンウェルと申します。王都の大学で歴史を研究している者です」

『王都? まだセフィラ王国は滅んでいないのか?』

「はい。ゼロク自治領――ああ、魔王領と言った方がよいでしょうか、セフィラ王国は魔王領の独立自治を認め、戦争は終結しました。それから100年、両国は良好な関係を維持し、セフィラ半島は天下泰平を享受しております」


 そうか、とヴァイオラは天井を見上げた。


『あの子は、許してくれたのか……』


 もし、彼女に生身の身体があれば、おそらく涙を流しているのだろう。


『ありがとう、コーンウェル殿。おかげで少し心が安らいだ。返礼というわけではないが、貴方(あなた)の聞きたいことは何でも答えよう』


 彼女の言に、私は少なからぬ覚悟を決めて口を開いた。


「私が聞きたいのは、かつて貴女たちが戦った魔王ゼロク。その側近であり最愛の妻であったと言われる『最下層の魔女』についてです」




 100年前、セフィラ半島の北端にある極寒の地で、魔王ゼロクは『魔王軍』を旗上げした。

 そのゼロクを支えたのは四天王と呼ばれる将軍たちだった。


 黒い獣の仮面を着け、先陣を切って敵軍に切り込んだと言われる猛将アビス。

 その目は千里を見渡すと言われ、魔王軍の頭脳と呼ばれた大軍師ネハン。

 魔術に頼らない治癒の力を求め、後に薬草学の始祖となる大薬師ステュクス。

 そして、最も魔王に信頼されていたと言われるが、その素性は謎に包まれている最下層の魔女。


「最下層の魔女は強大な魔力を持ち、恐ろしい魔術で王国を蹂躙したと伝えられています。しかし、現存する王国の公式記録にその存在が記載されているのはたったの2か所。王国軍が歴史的大敗を喫した『ビネ沼の戦い』、そして貴女が両手を失うことになった『シェリルスの戦い』……」


 ヴァイオラは目を閉じ、じっと私の話を聞いている。


「その姿については、どんなに詳しい文献でも、『巨大な狼を(ともな)った白髪で隻眼の女性』としか書かれておりません。あまりの残虐さに、彼女の姿を見た者はほとんど殺されているからです。魔王領側にも彼女個人に関する公式な記録は残されておりません。向こうでは名君と呼ばれる魔王ゼロクですが、こと最下層の魔女に対しては異常なまでの独占欲を示し、彼女の名を後世に伝えることを禁じたと言われています」


 ヴァイオラはしばらくの間沈黙していた。


『おそらく、それを望んだのは魔王ではなくあの子自身なのだろうな……』


 頭の中に響くその声には、若干の迷いが感じられた。


『100年、か……』


 横たわる亡霊が私を見る。その眼差しに込められた問いに、私は答える。


「我々は様々な文献をもとに、最下層の魔女について研究を進め、ある仮説を立てました。彼女は、この魔導の名門と呼ばれたウォルモンド家の出身なのではないかと。もしかして貴女は、最下層の魔女の本当の名前をご存知なのではありませんか? 先ほどから貴女は彼女のことを『あの子』と呼んでいる。もしや最下層の魔女は――」

『最下()の魔女だ』


 私の言葉を遮り、ヴァイオラは呟いた。


『あの子は強大な魔力など持っていなかった。むしろ逆だ。あの子の内包する魔力は、人並をはるかに下回っていた。あの子が使えた魔術はたった1つ、最下級水魔術『アイスバレット』だけだ』


 人間は生まれた時に神から炎、水、雷、大地のいずれかの属性の魔力を授かって生まれて来る。

 大抵の者は2歳までには己の内包する魔力を発現させるのだが、水の力を持つ者のほとんどは、魔力で空中に氷の(つぶて)を作り出す。

 それが『氷丸(アイスバレット)』。

 赤子ですら無意識のレベルで発動できる、水属性の最下級魔術である。


『ゆえに、最下級の魔女。ゆえに、あの子は己に『アイスバレット』と名を付けた』

「アイスバレット……」


 ついに明らかになりつつある長年の謎。語られる一字一句を聞き逃すまいと、私はペンを取った。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  なんと!短期集中連載!!(´⊙ω⊙`)ビーコン作動!これより全力で追いかけるであります!(歓喜♪) [気になる点]  本日中にエンドロール!?出だしだけでも一大大河ドラマになりそうな予感…
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