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子狐スズナはあの娘のために、君と二度目の恋をする  作者: カルボナーラきしめん
第一章 そうして恋は、はじまるのだもの
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3 恋愛は主導権(母談)

「ただいま~」


 玄関を後ろ手に閉めた涼菜は、母親の返事を待たずに階段を駆け上がると、自分の部屋に飛び込んだ。

 毛足の短い白の絨毯をひとまたぎにして、ペパーミントグリーンのベッドカバーへとうつぶせに飛び込む。

 ぼふん、と空気の抜ける音。

 やわらかな布団が、たっぷりと吸い込んでいた夏の空気を吐き出す音だ。

 そして数秒後、死んだように動かなくなった涼菜の脳天に、まるでお約束のように、ベッド脇の棚に飾ってあったフォトスタンドが落ちる。

 痛みはさほどでもないのか、涼菜は顔をあげると、フォトスタンドを手に取った。

 写真は涼菜自身のものだった。中学の制服を着た涼菜がひとりで、白い子狐を抱いて控えめに微笑んでいる。

 涼菜は、その写真に向けて話しかけた。


「ねぇ涼菜……今日、黒江くんに告白されちゃったよ……」


 涼菜は目に涙をうっすらと浮かべ、微笑んだまま、写真に語りかける。


「涼菜の夢がかなったよ……涼菜が好きだった黒江くんだよ。よかったね、涼菜。黒江くんは涼菜のことが好きなんだよ……」


 涼菜は、写真の少女、制服姿の涼菜自身に向けて話しかけていた。


「わたし……」


 短い沈黙は、決意の眼差しに彩られていた。


「黒江くんとつきあってもいいんだよね……」


 明るい色使いでまとめられた、女の子らしい部屋に沈黙が降りる。

 やがて、その沈黙を破らんとするように、階下から母親の声が聞こえてきた。


「涼菜~帰ってるんでしょ~! 夕ご飯食べるから、はやくおりてきなさい~」

「あ、は~い!」


 大きな声で応えて、涼菜はベッドから起きあがった。

 アクリルのフォトスタンドを棚の上に置いて、足を踏み出しかけて……写真をもう一度見る。

 決意の表情で深呼吸、そして、写真の少女にもう一度語りかけた。


「涼菜、わたし、涼菜の分も幸せになるからね……」


 と。


     ◆


「おかえり。帰ってきてるんならちゃんと顔くらい見せなさいよね」


 机の上に皿を並べていた涼菜の母、深智子(みちこ)は、開口一番でそんなことを言った。


「はーい。でもただいまって言ったよ」

「ほんとに、口答えだけは一人前なんだから……」

「いいでしょ、わたしだって、物思いにふけりたいこともあるんだからね」


 憎まれ口をたたきながらも、涼菜は手際よく、美智子の食卓セッティングを手伝う。

 お皿の上に砕いた氷を置き、茹でた豚肉とキュウリの千切りを並べる。

 小皿には3種類のタレ。涼菜が並べたお椀には、美智子が岩海苔と卵のお吸い物を注ぐ。

 キノコと野菜のトマト味の炒め物を大皿にあげて、準備は完了だ。

 母の作る食事はいつもこんなメニューなのだった。無国籍と言えば聞こえはいいが、和洋の入り交じった統一性のないメニューと言うこともできる。深智子が言うには、一人暮らし時代に培った貧乏食の癖が抜けないとかいうことらしい。

 でも、涼菜はお母さんのつくる食事が大好きだった。

 あったかくて、一所懸命作った感じがする。

 さっそく座って、湯気をあげるご飯の盛られた茶碗を手にとる。箸は涼菜が頼み込んで買ってもらったお気に入りで、朱塗りの上にかわいくディフォルメされた白狐が描かれていた。

 と、そこで母の視線にはっとして、あわてて茶碗を置く涼菜。

 おあずけをくらった小動物のように情けない顔をして、箸を持ったまま手を合わせた。


「いただきまーす」

「よろしい」


 深智子は勝ち誇ったように胸を張る。なんだかなぁ、という思いに駆られながらも、涼菜は白いご飯を口に運ぼうと……


「なんかいいことあった?」

「う……な、ぶぅはっ……!」


 咳き込む涼菜。あわててご飯は飲み込んだものの、鼻の穴に逆流したお米がひとつぶ。あわてて鼻をかむが、むずむず感はおさまらない。

 冷たい麦茶を一杯、無理矢理に流し込んで呼吸を整える。


「な、なんで……」

「わかるのよねぇ。なにがあったのか正直に話しなさい」


 深智子が笑う。涼菜はうつむいて、耳まで真っ赤にしながらぽそり、と言った。


「潤くんに……好きって言われた」

「ホント? やったじゃない!」


 なぜか深智子が飛び上がって喜ぶ。

 いい歳して、これではまるっきり同級生の女の子たちと変わらない。


「で、どうしたの? 返事は? デートは?」


 瞳をキラキラさせながら、質問を浴びせかける深智子。

 気圧されるように言葉に詰まる涼菜。


「えと……」

「なんなの? もちろんOKしたのよね。涼菜ったら昔っから、潤ちゃん潤ちゃんって、黒江くんのこと大好きだったもんね!」

「あの……えと……」

「なに、なんか言いにくいことでもあるの?」

「返事……まだ」


 沈黙。


「あ~、なにやってるの?」

「……」

「イヤなの?」


 ぶんぶん、と首を横に振る。


「好きなんでしょ?」


 小さく首肯。


「だったら……」


 と、そのとき、スマホの呼び出し音が鳴った。しょうがないなぁ、と深智子が席を立ち、戸棚の前に置いてあったスマホを手に取る。


「はいもしもし美濃守(みのかみ)ですが……」


 よそ行きの深智子の声を聞きながら、涼菜はまだ膝の上に手を置いたまま、硬直していた。すると突然、深智子の声が、かぶっていた猫を投げ捨てて、いつもの調子に変わる。


「そーそーそうなの! 聞いた聞いた? ……そう、うん。……え、そうなの??」


 まくしたてるように話す深智子。

 涼菜はまだ小さくなったまま、ああ、受話器の向こうは黒江くんのお母さんだ、と確信。きっと同じようにお母さんの誘導にかかって、黒江くんも口を割る羽目になったのだろう。


「なになに……そうなんだ、OK!」


 なにやら話がついたのか、スピーカーを手で覆って、深智子は涼菜を呼ぶ。


「え、なに?」

「だから、あんたの返事を聞いてくるまで、家には入れてやらないって、追い出されたんだって!」

「誰が?」

「潤くんに決まってるでしょ!」

「うそ!?」


 あわてて席を立つ涼菜。が、立ち上がったところまでで、後が続かない。


「なにしてんの! はやく行って決着つけてきなさい!」

「え、え?」


 無理矢理な形で、ダイニングを追い出される涼菜。その背中に、深智子が声をかける。


「いい! 恋愛は主導権を取ったもの勝ち!」

「そういうもの?」

「そういうものなの! ほら、さっさと行く!」


 一方的にまくしたてて、深智子はダイニングの扉をバタンと閉じた。

 今度こそ本当に閉め出された涼菜は、観念して玄関へ。

 黒いサンダルを足にかける。

 玄関を出て、3歩で門。都会でなくても、人が密集している地域の家庭事情なんて、どこでも似たようなモノだ。

 涼菜はサンダルの足音をさせて、その3歩をゆっくりと踏み出す。

 案の定、潤は木の陰、彼自身よりも背の低い石の門柱にもたれて立っていた。


「やぁ」


 先に気がついたのは涼菜だが、先に声をかけたのは潤だった。


「うん。」


 なにが「うん。」だかわからないが、うつむいたまま、そんな返事をする涼菜。

 短い沈黙の後に、どちらからともなく歩き出す。

 なんだか気まずいようなくすぐったいような……

 でも、涼菜にはわかる。3年間ずっと、ほとんど電話口での事務的な受け答えしかしてこなかったふたりだ、きっと黒江くんは、どう話を切り出せばいいのか迷っているのに違いない。

 そんな潤のことを、かわいい、と、そう涼菜は思う。


「あのさ……」


 だから、そんなふうに話を切りだしたのは涼菜の方だった。べつに、深智子が「恋は主導権」なんていったから、というわけではない……はずだ。

 街灯の下。足を止めて振り向く潤。


「えっと、なに?」


 ぎこちないけれど、優しい声で聞き返す潤。

 それで、涼菜自身の緊張も幾分かほどける。

 準備していたように、言葉が流れ出す。


「嬉しかったよ」


 少しずつ。


「びっくりしたけど、すごく嬉しかった」


 核心に近づいていく。


「わたしも……涼菜もね……」


 ドキドキする。

 緊張がとけたなんて、まるっきり勘違いだった。

 頭と身体と、言葉が別のものになったようだ。

 いうことをきかない涼菜の唇が、あふれる想いを紡ぐ。自分が自分じゃないみたいだった。これ以上、このまま想いのたけをぶつけたら、きっと戻れなくなってしまう。わかっていても、想いがあふれてしまう。口にしたら、幼なじみではなくなってしまう。幼なじみという幻想のはかなさが、失いかけた今になって後ろ髪をひく。

 でも、『涼菜』が望んでいたのは、気持ちいいだけのぬるま湯ではなくて、その先にある幸せだったはずだ。


「あのね、黒江くん……涼菜も……潤ちゃん……潤くんが好き」


 だから、もう止まらない。

 幸せの枝をつかむために必死で伸ばした手。そこにあった、差し出されていた枝をつかむだけなのに、つかみ損ねてしまうのではないかという恐怖。

 告白された……沈黙の家路……家の前で別れた……写真の涼菜に報告した……深智子に背中を押された……

 そのたった一時間と三十分の間に、潤の心が変わってしまったのではないか。そんな怖れが涼菜の心臓を鷲掴みにする。

 小さな胸がトクトクと早鐘のように脈打ち、壊れてしまうのではないか、と錯覚を覚えるほどだ。

 もうだめだ。

 実際には多分ふた呼吸もなかった沈黙に、涼菜の心が耐えきれず、パンクしかけた。

 しかし。

 潤の腕が涼菜を現実につなぎ止めてくれた。

 しっかりと、涼菜の身体を抱き留めてくれていた。

 涼菜を腕ごと抱きしめる。それはぎこちない包容で、ちょっとだけ腕が痛かったけれど、それでも、その痛みが証だと思えた。

 その瞬間。

 涼菜は幸せだった。

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