5 幼馴染みの寝顔は……
(着信? 誰から?)
スマホが机の上で音を鳴らしたのは、涼菜との図書館デートから帰ってきてシャワーを浴びた潤が、ほかほかと暖まった身体でベッドの上にごろり寝転がった直後のことだった。
元合同文化祭実行委員メンバーからの通話があったときに鳴る、警戒音のような着信音だった。
呼び出しは、加藤由香里から。
いつもなら出ないで放っておくのだけれど、相手が相手だ。
昨日の今日で気まずい思いはあるものの、由香里は、潤が振ってしまった相手だ。
それゆえ、ここで呼び出しを無視するのは誠実さに欠けると思い、潤はスマホを手に取った。
(自然に、自然に……)
自分に言い聞かせ、深呼吸をして通話のアイコンを押す。
「こんばんは……こちら黒江です」
『こんばんはです……隣のクラスの加藤といいます』
「知ってます」
これ以上無いくらいギクシャクとした挨拶になってしまった。
由香里も同じことを考えているのか、ふたりともが通話状態のまま、無言で数秒がすぎる。
しばらくして、電話をしてきた由香里が、先に口を開いた。
「黒江、今日は涼菜といっしょだったの?」
加減を知らない由香里らしい、不器用な、前置きすらないど真ん中ストレートだった。
「お、え、ああ。図書館に行ってさっき帰ってきたところ。この後でちなつを連れて、あいつの家に紅茶を飲みにいくことになってる」
「そこまでは聞いてないけど……」
「そうだよね、ごめん」
「じゃあ、ついさっきまでいっしょにいたんだ」
「うん」
「さっきまで……」
「十五分くらい前まで」
そこまでは聞いてない。と、もう一度言われることを覚悟して答えるが、由香里の反応は想像とまるで違っていた。
「じゃあやっぱり本人はありえないね。黒江くんの家まで、わたしの家から三十分以上あるもんね……」
由香里の言葉について行けず、潤は戸惑う。
そも、潤がこの通話に出たのは、昨日のあれこれを受けて由香里から話があると思ったからだった。
それがなぜか、彼女は昨日のことには少しも触れることなく……どころか、ほとんど由香里の独り言のような体になってしまっている。
「あのさ加藤、これって涼菜と仲直りしたいとか、そういう話でいいの?」
「え? ああ、そうじゃない。じゃなくて、仲直りはしたいけど、でもまだ整理がつかなくて、じゃなくて、仲直りとかどうでも、じゃない。ごめん」
「?」
「ごめん……じゃあ、今日はずっと、涼菜といっしょだったって、そういうことでいいのかな?」
「間違いないけど。朝からずっと、ついさっきまで」
「……」
またも黙り込む由香里、彼女はややあって、決意をしたようにスピーカーの向こうで息をのみ。話し始める。
それは、あまりにも無茶な頼みだった。
曰く。
「あのね、今からすぐに来てくれないかな……ひとり、会わせたい人がいるの」
◆
結局、潤は涼菜との紅茶の約束をキャンセルし、由香里の家に行くことになった。
涼菜に嘘をつきたくなかったので、由香里に呼ばれて家に行くことは伝えた。
どうしても会ってほしい人がいると由香里が言っていること、涼菜には来てほしくないと由香里が言っていたことまで、全てを伝えた上で、由香里から涼菜に説明と説得をしてもらうことを条件に、彼女の頼みを受け入れたのだった。
それから二時間、潤が由香里の家に到着したのは、晴れていれば太陽が沈み始めるくらいの時刻だった。
バス停から由香里の家までは、たかだか五十メートルほどしかないのだが、傘なんてさしていようがいまいが変わらない勢いで雨が降っているおかげで、潤の全身はびしょ濡れだった。
「バスタオルたくさん使っちゃってて、今乾燥機にかけてるから小さなタオルしかない、ごめん」
玄関で潤を迎えた由香里は、そう言って、普通のサイズのタオルを五枚手渡してくれた。
白っぽい照明の玄関で身体を拭いて靴下を脱いだ潤は、丁寧に足を拭いて、たたきから上がらせてもらう。
由香里の家は、いわゆる一軒家だった。隣の家と同じような形をしているので建て売りなのだろうが、小さいとは感じない立派な二階建ての家だ。
廊下を歩きながら、気になったことを聞いてみる。
「ご両親は?」
「神戸に赴任中、今は一人暮らしなの」
「そうなんだ」
潤は、由香里のそんなことも知らなかったのだと、今更に思う。
「ごめんね黒江……くん。昨日の今日で、涼菜嫌がってたでしょ」
「うん。そりゃまあ、ね。正直、僕もこれは駄目だと思う」
「……ごめんなさい。でも、本当に今日だけだから」
わかった、いいよ、とは言えない。
本当は、なにがなんでも断るつもりだったのだから。
「涼菜が行けって言うから来たけど、やめてほしい」
「わかった」
寂しそうに由香里は笑った。
必要以上に傷つけてしまった気もするが、潤は、それも仕方がないと考える。
「安心して、こんなこと、二度と起きないと思うから」
リビングに通される。
明かりは消えていて、常夜灯だけがついていた。
目は慣れなかったが、誰かが寝ているのが見て取れた。
「黒江くんに来てもらったのは、この人を見てほしかったから。わたしだけだと、どうしていいのかわからなくて」
なんだか物騒なことを言い出す。
なにに巻き込まれるのかとつばを飲み込む潤に向けて、由香里は、
「明かり、つけるから」
と、入り口扉脇のスイッチを二つ同時に押した。
常夜灯が、光量おさえめの明かりに取って代わられる。
清潔感のある白を基調としたリビング中央の机の脇に、布団を掛けられた女の子が、横寝の姿で寝息を立てていた。
クッションに頭を沈め、毛布の端をつかむようにして抱きしめている。
顔を見る前に、わかってしまった。
潤は、この寝方をする女の子を知っている。
憶えている。小学校の頃、遊び疲れて寝てしまった夏の午後、母親にかけてもらったタオルケットを、彼女もこんなふうにつかんでいた。
あの日も、この日も……子供の頃からずっと変わらない仕草だった。
「涼菜……」
言葉は、疑問形にはならなかった。