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子狐スズナはあの娘のために、君と二度目の恋をする  作者: カルボナーラきしめん
第三章 それじゃあ、わたしが彼女なら……?
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4 親友という言葉は……

「……ありがとう」


 アクリルのバスチェアに腰かけたその娘は、ぼそり、と小さくつぶやいた。


「いいから」


 加藤家のバスルーム。

 由香里は、バス停の横から拾ってきた娘の長い髪に、背中側からシャンプーをかける。

 あまりにヨゴレが酷いからか、一度目二度目はまるで泡が立たず、三度目にしてようやっとシャンプーらしいモコモコができるようになっていた。

 傷だらけの手と脚は、先に洗って消毒し、ビニール袋をかぶせてある。ボロボロの服は洗濯機に入れてあるが、多分使い物にならないだろう。

 彼女を草むらで見つけたあのとき、由香里はすぐに警察と病院に電話しようとしたけれど、彼女はそれを嫌がった。

 かといって知った顔を放っておくこともできず、半ば仕方なく、こうやって家に連れてきたのだった。

 手足は裂傷だらけで傷口も清潔とは言えない。

 正直なところ、今すぐにでも医者に診せなければ行けない状況だとは思うのだが、目の前で暴れられては、そういうわけにもいかない。

 バス停が家のすぐ近くで良かったと思うし、両親が地方に赴任していなければ、彼女を家に連れてくることもできなかったとは思う。

 けれど……


「わけわかんないな……」


 つぶやきが漏れる。

 由香里の目の前で湯気を立てるシャワーに打たれる女の子は、どこからどう見ても知っている人物……というか、美濃守涼菜だった。

 勘違いでは無い。

 一応まだ親友、ということになるのであろう涼菜のことを、由香里が見間違えるはずもない。

 ないのだが……

 彼女に肩を貸して風呂を上がり、バスタオルを三枚使って身体を拭いて、新品の下着と由香里の中学生のときの服を渡す。

 着替えている間にいれておいた紅茶にミルクを入れて机に置き、ほかになにもなかったので、とっておきのチョコレートを何粒か、小皿に添えた。

 机の前にしゃがみ込んで部屋の中を見回していた涼菜は、小さく頭を下げてそれを受け取ると、ミルクティーに口をつける。

 だが、それだけだ。


「……」

「……」


 沈黙が痛い。

 この状況で落ち着く、なんていうのが、そもそも無理だ。

 面倒なことに巻き込まれている、という実感があった。

 なぜなら……

 この娘は間違いなく美濃守涼菜なのに……違うのだ。

 髪の長さが違う。水泳部の練習でついた、水着の日焼けの跡がない。

 体つきが違うというのは、バスルームで身体を洗ってあげているときに触れて気付いた。

 筋肉の付き方……有り体に言えば鍛え方が違う。これは、本気でスポーツをやっている人の、大会のレギュラー候補の身体ではない。

 なのに、目尻のほくろの場所も、綺麗な耳たぶの形も、唇の端にある小さな怪我の跡も、些細な違い以外は涼菜といっしょなのだ。

 わけがわからない。

 昨日からこっち、自分の身に降りかかっていることが、理解の範疇をこえてしまっている。


「あなた、涼菜でいいんだよね」

「わたしを、知ってるんですね」


 内気さを絵に描いたような、薄い抑揚で彼女は返事をする。


(性格も違うのか……)


 嘆息し、問う。


「あなたは、私を知らないんだ」


 目の前の涼菜は、ゆっくりとうなずいた。


「私……私は、加藤由香里。その、あなたの親友……だと思う、まだ」

「親友、ですか?」

「水泳部でいっしょなの、クラスも一緒……」


 本当に憶えていないの? とは言えない。

 目の前でミルクティーを手にする涼菜は、どう考えても本物なのに、どう考えても別人なのだ。

 それならば、さっき『知らない』とうなずいたのが全てであって、それ以上の答えは引き出しようがないではないか。

 どうしよう……

 考えるが答えは出ない。

 もうすこし頭のネジが緩ければ、異次元の存在とか、クローンとか、そういう現実離れしたアイデアにでも、わずかなりともの可能性を見出すのだろうが……幸いにもというか、生憎というべきなのか、由香里はそういった考え方に逃げ込めるタイプではない。

 頭がカタいとも言う。

 ゆえに、行き詰まる。


「まいったな……私、頭悪くてさ……」


 つぶやいて、自嘲気味に笑う。

 涼菜らしき少女は、そんな由香里をじっと見ていた。

 じっと見て、由香里が本当に手詰まりになったとあきらめざるを得なくなった、そのタイミングで口を開いたのだった。


「加藤さんのことを、聞かせてくれませんか?」


 もう少し考えれば、それがムシの良い物言いだと気がついただろう。自分の事情を話すことなく、情報を得ようとする、一方的な取引だと気付いたはずだ。

 しかし由香里は、そういった方向に思考をめぐらせるタイプではなかった。

 むしろ、するべきことが見つかったことに、安堵さえしてしまう。


「さっきも言ったけど、私と涼菜は同じクラスで、同じ水泳部なの。話しかけてきてくれたの

は涼菜で、クラスではずっと仲良くしてた。親友だと……思って……」


 語尾が弱くなるのは仕方が無い。

 潤を巡って仲違いをしたままの今のふたりを、親友と言って良い物かわからないのはもちろんだが、同じくらい引っかかっていたのは、親友の定義は人によって違うものだ、という、親友の基準だった。

『親友』は複雑だ。

 軽々に親友などと言うものではないと考える人もいれば、その一方で、仲の良い相手なら即親友認定にしてしまう人も居る。

 由香里の周りで言うと、前者に近いのが潤や涼菜で、後者は(つばさ)がその典型だった。

 実際、潤は誰かを親友と呼ぶことはないし、涼菜は親友と言われるとくすぐったそうな顔をする。対して翔は由香里のことを親友だと言ってはばからない。

 由香里はといえば、ただ付き合いが長いだけの翔よりも、いっしょにいて楽しくて、いっしょにいて心地の良い涼菜の方が何倍も親友だった。

 家族のことも話したし、偶然にも潤の幼なじみだとわかって、共通の話題ができていっぱいそんな話をした。涼菜から潤の話をいっぱい聞いて、黒江潤という少年について前よりも何倍も詳しくなれた。家族のことも、勉強のことも、部活のことも、なんでも本音で話せたし、最後には、実は潤のことが好きなのだと、胸の内を吐露することまでした。

 けれど涼菜は、自分の気持ちを教えてくれなかった。

 だから、親友という言葉の温度差に、戸惑ってしまう。

 親友と思っていたのは自分だけだったのかと、悲しくもなる。

 黙り込んでしまい……気がつけば涼菜によく似た顔が、じっと、由香里を見ていた。


(だめだ、そうじゃない)


 気を取り直し、とりあえず『目の前の涼菜によく似た少女は、由香里のことを知らない』という前提で話すことにする。


「涼菜、北中の出身だよね。私は野田中の出身だから、もしかしたら合同文化祭で会ったことあるかもしれない。

「ごめんなさい。あ……でも潤ちゃんが実行委員だったから、もしかしたら潤ちゃんなら加藤さんを知ってるかも……」

「黒江……くんね、知ってるもなにも……」


 実行委員の時から好きで、つい昨日、その『黒江くん』にフラれたばかりだ。

 しかし……今の反応で、またも由香里の混乱は度を深めてしまっていた。

 どこまでいっても、やはり目の前の涼菜は、自分を涼菜だという体で話すのだ。

 そのせいで由香里には、彼女たちの重なっている部分と違う部分が入り交じって見えて、彼女を本物と言い切ることもニセモノだと断じてしまうこともできなくなってしまう。

 すると。


「……7月……?」


 涼菜が小さく呟いた。

 目線は、由香里の背後にあるデジタルカレンダーを見ていた。


「今年は、何年ですか?」


 由香里も振り向き、カレンダーに表示された今年の西暦を伝える。


「加藤さんは、潤ちゃんと同じ高校ですか?」

「うん、クラスは違うけど」

「そう……なんですね。それで、わたしと加藤さんは親友で、つまり……わたしも潤ちゃんと同じ学校で……今は夏……なんですね……」


 涼菜の語尾が、弱くなっていく。


「ねえ、やっぱり、病院か家かに電話するべきじゃ?」


 返事が無い。

 涼菜は、ミルクティーのカップを血のにじむ包帯まみれの手のひらで包むように持ったまま、寝息をたてていた。

 生きている……ほっとして立ち上がり、涼菜の手からカップを抜き取った。

 寝かしてタオルケットをかける。

 来客用のクッション枕を頭にかませて、直風がかからないように、エアコンのフラップの向きを変えておいた。


「弱ったな……」


 人心地をついて、考え込む。

 いったい、なにをどうとらえれば良いものやら。

 素直に考えれば涼菜の芝居ということにしかならないのだが、彼女がそんなことをする意味が無いし、芝居のために、手に足に、あんな……酷い怪我までする意味もない。

 記憶喪失にしたって、昨日今日で髪が伸びるわけも無いし、日焼けの跡まで綺麗さっぱり消えるわけだってない。

 なにもかもがわからない。

 病院は嫌がる、家に電話も避けてほしいという。

 まさか、こんな状態を牧原や翔に相談するわけにもいかない……翔なら女の子だし、もしかすると彼女なら力に……?


 いや、もう一人だけいた。


 由香里が、これを相談できる相手がもう一人だけ……

 藁にもすがる気持ちでスマホを手に取る。

 由香里は、グループメッセの通話で、急ぎその人を呼び出す。

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