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子狐スズナはあの娘のために、君と二度目の恋をする  作者: カルボナーラきしめん
第三章 それじゃあ、わたしが彼女なら……?
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2 ふたりなら未来は……

「おばさん、いつもマイペースだね」


 図書館へと向かう道すがら、涼菜は苦笑を交えながら、思い出したようにつぶやいた。


「まぁね。でも、あんな虫も殺さないような顔してるくせにさ、変に鋭くて容赦ないんだよ」


 あきれたように、それでいてちょっとばつが悪そうに答える潤。


「でも、わたしはおばさん好きだよ」

「そりゃ涼菜は小さい頃から、母さんのお気に入りだから」


 潤はそうぼやく。元気とわがままが服を着て歩いているようなちなつや、男の子らしく手のかかる潤と違い、決定的に優等生な涼菜は、実の娘のように潤の母にかわいがられていた。

 むしろ、ひいきといってもいい。

 しかしちなつは、そんなこと気にもしないように、涼菜のことを「すずねぇ」と呼んで慕っていたし、潤自身も、それを不公平とは思っていなかった。

 とはいえ、それも三年以上前の話だ。

 ここ数年はお互いに疎遠だったこともあって、潤は、涼菜が母にのお気に入りだったことさえ、すっかり忘れていたのだけれど。

 そうこうしているうちに、目的地に着く。 

 ふたりがやって来たのは、昨年改装されたばかりの、市の中央図書館だった。

 煉瓦色のタイルに覆われた鉄筋の建物の見た目は、図書館というより公民館といったほうがしっくり来る、モダンな雰囲気にあふれていた。

 ここまで歩いて二十五分。道すがら話してきたのは、本当に他愛もないこと。

 今、どんな趣味にはまっているのか。

 好きな歌手は?

 部活は楽しい?

 この間見たバラエティはどうだった?

 最近は若手の芸人が、ちょっとかっこよくて好き。

 実は、二人の接触がなかった間も、母親経由で涼菜は潤の情報を仕入れていたこと。

 実は、ちなつとはときどき甘い物を食べに行っていたこと。

 なんとなく、お互いを避けてしまっていることがとてもさみしかったこと。

 ……そんな、離れていたふたりの時間を埋める、なにげない会話。

 とても短く感じられて、あっという間に図書館についてしまったように思えた。

白と茶色のブロックが敷き詰められた地面に、夏の太陽が反射してまぶしい。まだ午前中なのもあって、涼しさを演出してくれるロータリーの噴水も水が止まっている。


 ふたりは暑さを避けるように図書館へと駆け込む。

 図書館は夏休みだというのに閑散としていた。

 まだ宿題の追い込みには日が早いからか、それとも朝一番だからなのかはわからないが、いつもなら席を取るのも難しい自習室には、半分ほどの席の余裕があった。

 しかしふたりは、あえて自習室の前を素通りする。

 涼菜の主張に従い、通常書架の片隅にいくつかしつらえてある、ふたりがけのテーブル、そのひとつを選ぶことにした。

 今日の目的は、潤が赤を取ってしまった科目……英語のリーダーと、政経の追試対策を涼菜に教えてもらうこと、つまりは純然たる勉強だ。

 勉強を教える、という名目がある以上は、ある程度の声も出せなければならないから、みんなが目を血走らせている自習室や閲覧室を利用するわけにもいかない。

 そんなわけで、ちょっとばかり図書館に甘えることにする。いつも見かける司書のお兄さんも、うるさくしていなければ多少の会話ごときでは注意しないでいてくれるので、気は楽だった。


「さぁ、はじめよっか」


 涼菜が選んだ席は二階。駐車場を見下ろす、南に面した大きなガラス窓の脇、おあつらえ向きに二人がけになったアイボリーの机だった。

 縦になったブラインドと建物のすぐ脇に植えられた背の高い樹の緑が、ほどよく日光を遮る、明るい良い場所。

 向かい合わせに腰掛けるふたり。

 潤は荷物の中から、そそくさと教科書とノートを2冊ずつ取り出す。

 ふと、気になって涼菜を見た。盗み見るような視線になってしまって、慌てて視線を落とし、捜し物もないのにかばんをごそごそとまさぐってしまう。

 ……涼菜も潤を見ていた。

 涼菜は、満面の笑みで潤を見つめていた。

 その視線があまりにまっすぐで照れてしまう。なんかまっすぐすぎて……もう一度涼菜を見る、それだけのことができない。

でも、それが許されるのは、彼氏たる自分の特権なのだと自分に言い聞かせ、そらしてしまった視線をゆっくりと上げた。

 涼菜は、さっきとは違う姿勢で、頬杖をつき潤を見上げるようにしていた。まるで猫のように口の端を上げて、じっと潤を見つめている。

 窓の外で揺れる木の葉の隙間を抜けたやさしい光が、涼菜の綺麗な輪郭をなぞる。

 人前でなければ、抱きしめてしまいかねない勢いで愛しいと思う気持ちがあふれてくる。

 でもちょっと……なんだか犬とか猫のかわいさに似ていると、そうも思った。

 ずっといっしょにいたい。いっしょにいるコトそのものが幸せなんだろうmなんてて思える、そんな気持ち。

 となりに寄り添っていられたら幸せだろうなぁ。そういう席を選べば良かったなぁ、なんてちょっと後悔する。


「ねぇ、机、邪魔だね」


 唐突に涼菜が言う。


「たったこれだけの距離なのに、ずっと遠くに引き離されてるみたい」


 嬉しくなる。涼菜も同じコトを考えていたのだとわかると、逆にこの机の距離はゼロに等しいのだと思えるから不思議だ。


「うん」


 気の利いたことは言えないから、それだけを答えた。

 でもきっとそれだけで、涼菜にとっても、この机の距離が少しは短くなったはずだった。

 そう……思いたい。


     ◆


 追試対策は滞りなく進んでいた。

 追試の問題など、乗っかる文面が違うだけで、内容はほぼ本試験と同じに等しいものだ。一度テストを受けた涼菜といっしょに、単語が十問、訳が三問と、だいたいの傾向さえ割り出せれば、一年生の一学期の授業をベースにして出せる問題など、たかだか限られているのだった。 

 そもそものところ、潤は学校の勉強が言うほど苦手な方ではないし、赤を取ったのからして、寝坊などという実にくだらない理由が原因だ。ゆえに、本試験でやることが見えているこの状態で、追試を落とすはずもなかった。

 加えて、なによりも涼菜が、センセイとしてうってつけだった。

 彼女の教え方は丁寧で親切で、わかりやすい。家庭教師でもやれば良い先生になれると思う。

 そんなわけで、結果、あっという間にテスト対策は終わり……。

 ふたりの間に、拍子抜けとも言えるほどの楽勝ムードが漂う。


「これなら、潤ちゃんの部屋ですましちゃっても同じだったかもね」


 苦笑しながら、涼菜がそうつぶやいたのも無理はない。


「そうだね」


 潤はそんな涼菜に微笑み返して、左手首の時計を見る。アナログの針がさすのは、お昼を少し回ったところだった。

 どうしようか、と潤も思案する。

 この辺で勉強を切り上げてどこへ遊びに行くのも良さそうだ。どこへ行ったら涼菜は楽しいと思ってくれるだろう云々……まあ、こんなふうに考えてしまうあたりは、まだ受験を至近に控えていない一年生ゆえの気楽さだった。

 しかし、涼菜はそんな潤の気持ちに反して、予想外のことを言う。


「あのさ、とりあえずお昼にしよう。それから勉強の続き。どうせだから二学期の分も先取りしちゃおうよ」

「え……あ、そうだね」


 そうだった……と、今度は潤が苦笑する番だった。

 いくら明るくなったとは言っても、涼菜はあくまで涼菜なのだった。真面目で勉強一筋の涼菜がどこかへ行ってしまったわけではない。


「嫌? 遊びたい?」


 涼菜が、心配そうに聞いてくる。

 もちろん潤は嫌だなんて思っていない。それどころか、むしろ「嫌?」と聞かれたことに驚き、勉強するのを嫌だと思っていない自分にびっくりしていた。

 涼菜と勉強をするなら、それを涼菜が望んでいるならそうしたいと思う自分がいるのだった。

 これは画期的なことなんじゃないかと思う。


「いっしょに、できるだけ、いい大学行きたいし」


 ちょっとだけおどおどとしながら、彼女は、言外に「嫌なら無理しなくてもいいよ」と言ってくる。

 そんなところは、潤のよく知っている中学までの涼菜だった。

 多分、他の連中が知らないだろう、涼菜のもうひとつのかわいい面だ。


「そうだね、僕も同じところに行きたいかな」


 潤も気持ちは同じだった。

 別に将来に目標があるわけでもないし、今、なにかを目標にして高校生活をおくっているわけでもない。だったら涼菜につきあっていい大学を目指すのは悪いことじゃないはずだ。

 それどころか、むしろいいことだらけだといってもいい。

 もしも今後やりたいことや新しい目標ができたら、そのときはまた考えればいいのだから。

 なによりも、今は涼菜といっしょにいられるなら、それは文句なしだ。

 もう、今の潤はこれ以上ないくらい前向きだった。


「僕も涼菜と同じ大学に行きたい。でもそのためには、早く涼菜に追いつかないとね」

「そうそうすぐには追いつかれっこないけどね」


 いたずらっぽく、でも自信満々に涼菜は笑う。

 彼女の言うとおり、潤が涼菜に追いつくのは至難の業だろう。でも、いつかきっと追いつきたい。涼菜もそれを望んでいるはずだった。

 あと2年とちょっと。受験の頃には、なんとか手が届くくらいにはなれるだろうか。

 そういえば、と思い出す。


「涼菜さ、もっと上の高校に行けたよな」

「うん、潤ちゃんと同じ高校に行きたかったからだけど」


 問題集に目を落としたまま、さらりと言う。

 意外な返答に潤がぽかん、としていたら、涼菜の表情が目の前で……


 真顔→ちょっと焦り→冷や汗→目がぐるぐる→真っ赤


 ……と、めまぐるしく変化していった。


「な、なんか言ってよ! はずかしいじゃん!」

「あ、いや、びっくりして」

「ちょ、ちょっと愛が重かった? かな?」

「嬉しいって感想しかないけどさ、そんなんで決めていいの? 将来とかは?」

「潤ちゃんと同じ高校に行くことしか考えてなかったから」

「それは、さすがにもったいないなぁ」


 涼菜が目指すならなんだってできるだろうに、と思うのは、潤だけじゃないだろう。

 しかし、当の涼菜にとっては、そんなのはあくまで外野の意見のようだ。


「うーん、もったいないって、社会の損失とかの代弁でしょ? 結局それって他人の視点だから。なにかをできる人がなにかをやらなくちゃいけない、それが当たり前っていう考え方そのものが、違うんじゃないかってって思う」

「そういうもの?」

「うん。親戚に、K大の数理からイギリスのO大に行ったおじさんがいるんだけどね。卒業前に海外の大学とか研究室とか企業からスカウトがいっぱい来てたんだって」

「すごいね」

「だけど全部蹴って帰国して、子供の頃からやりたかった、おばあちゃんのお煎餅屋さん継いだみたいだよ。下手くそで叱られてるって笑ってたけど、めちゃくちゃ幸せそうだった。数学はあくまで趣味で、せんべいの足下にも及ばないって。わたしはそこまで頭良くないけど、無理して良い学校に行く必要とか感じないかな。夢が叶うなら進学しなくてもいいと思ってるよ」


 なるほど。

 言われてみれば、そんな考え方もありな気はする。

 究極、なにも社会貢献しない天才ニートがいたって、本人が幸せならそれでいいのだろう。

 もちろん、周りに迷惑かけていなければ、の話だけど。

 未来への投資は、未来の強制ではないはず。

 勝ち組とか負け組とか、そういう枠組みにとらわれず、等身大の幸せを求めることだって立派な未来だ。


「じゃあ涼菜の夢は?」

「お嫁さん」

「その分は、僕が稼がないとね」

「期待してる。ニートをさせてねー」


 笑い合う。

 と、そこで手元の問題が解けたらしい涼菜が立ち上がった。


「じゃあ、お昼にしよっか」

「うん」

「ところで潤ちゃん」


 涼菜が真剣な顔で聞いてきた。


「おいしいお昼が食べられるお店、知らない?」

「ラーメン屋でよければ。涼菜は辛いの苦手?」

「平気。汁が飛ぶのもだいじょうぶ! 遊園地で使っちゃったから安いのが良いな」

「わかった。まかせておいてよ」


 こればかりは、なんだかんだいって真面目な涼菜よりも、潤の方が先輩なのだった。

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