9.飲料水の再確保
翌朝、即席の家で夜を明かしたアディスとジャネットの元に、村人達からの陳情が大量に届いていた。
「要望があれば遠慮なく伝えてくれと言いはしたが……」
「……まさか一晩でこんなにたくさん集まるとは、想像以上ですね」
アディスとジャネットは即席のテーブルに陳情書を並べ、一つ一つ手に取って中身を確認していく。
陳情の量に集落の問題の根深さを実感させられる。
内容は衣食住の多岐に渡り、明らかに深刻な問題から小さな不満まで様々だ。
ちなみに、要望を綴った紙と筆記用具は、ジャネットが仕事のために持ち歩いていたものを利用している。
難民達もかつては大公国の都市で暮らしていた人々なので、文字の読み書きくらいは普通にできる者も多くいるのである。
「困りましたね。こんなにあると、一体どれから取り掛かればいいのやら」
「優先順位を付けるぞ。まずは生存に必要なものから最優先に済ませよう。一番必要なのは……水だな」
アディスは集落の代表者が綴った陳情をテーブルの中心に置いた。
その内容は飲料水と生活用水の問題を伝えるものだった。
現在、集落で使われている水は、広場の井戸と離れた場所にある川の水である。
しかし、最近は井戸の水が枯れ気味で、貴重な燃料を使って川の水を煮沸して使うことも珍しくないらしい。
「川の方はまとまった水量もあるみたいだから、畑に引き込む用水路は特に問題なさそうだ」
「なのに絶望的な不作続きだったから、集落の人々も困り果てていたわけですしね。分かりました、まずは飲料水の確保から何とかしましょう!」
やる気に満ちた顔で立ち上がるジャネット。
だが、アディスはもう一つ別の陳情書を手にとって、そちらも井戸水の陳情の横に置いた。
「えっと、そちらは何ですか」
「この土地に定住してから、慢性的な体調不良が続いているっていう訴えだ。ひょっとしたら水が原因かもしれないから、そちらも一緒に調べておこう」
方針が決まってすぐに、アディスとジャネットは村の井戸へと足を運んだ。
アディスは井戸の手前に立ち止まると、すぐに首を横に振った。
「こりゃ駄目だ。このままだと、今年中には使い物にならなくなるところだったぞ」
「見ただけで分かるんですか?」
「地面より下のことなら俺の領分だ。とにかく、俺が来ていたのは不幸中の幸いだ」
集落の住民が固唾を呑んで見守る中、アディスは井戸が枯れつつある理由を説明した。
「難民が自力で掘れる深さには限度があったんだろう。根本的にこの井戸は浅いんだ。地下の浅いところの地下水は、ちょっとしたことで水位が変わる。降水量か他の原因か……とにかく、今の地下水の位置は、辛うじて井戸の端っこに引っかかってる程度だな」
アディスの語り口調に深刻さは全く感じられない。
まるで教師が生徒に勉強を教えるかのように、井戸の現状を淡々と説明している。
「では、どうすれば……?」
「決まってるだろ。もう少し深く掘り直してやるだけだ」
そう言うなり、アディスは井戸の縁から底に腕を向け、魔力の波動を叩き込んだ。
「少し揺れるぞ」
「は、はい……きゃっ!」
地の底から揺り動かされるような振動が、集落全体を小刻みに揺らす。
ジャネットは井戸の縁にしがみつき、他の住民達は地面に転がったり建物にすがりついたりして、どうにか振動をやり過ごそうとする。
そして振動が十秒ほど続いたところで――
「これでよし」
――間欠泉のように井戸から水が吹き上がり、集落全体に突然のにわか雨が降り注いだ。
水が爆発的に吹き出したのは一瞬だけだったが、井戸を覗き込んでみれば、まるで別物のように水が満ちていることが見て取れるだろう。
冷たい井戸水の天気雨が止み、住人の誰かが歓声を上げる。
するとそれに触発されたかのように、そこら中で喜びの声が響き渡り始めた。
しかし、称賛を浴びているはずのアディスは、なおも油断のない表情で井戸の奥を見下ろしていた。
「さて……次は土地全体の改良が必要だな」