48.平穏の裏の心労
――魔剣アウローラをめぐる騒動が終わり、アディスは久方ぶりに落ち着いた生活を送ることができていた。
二人の新四天王、アックアとホムラの企みによって減少していた川の水量は完全に復活。
リブラタウンの井戸の水にも悪影響が発生した様子は皆無。
あらゆる面において、事件は最良の結末を迎えることができたと言えるだろう。
だが、アディスの悩みは尽きない。
むしろ川が枯れかけたときよりも悩みが深まったくらいであり――
「アディスの旦那、こんな具合でよろしいですか」
一仕事終えた職人が部屋から出てきて、仕事の成果をアディスに報告する。
この職人は家屋の内装を得意分野とする職工であり、ブランドン卿に連れられてペネム大公国から亡命してきた移住者の一人だった。
彼を始めとする移住者の流入により、辺境の荒れ果てた寒村に過ぎなかったリブラタウンは、また一段と文化レベルを向上させることができた。
「とりあえず中を見てくださいな。不満があったら手早く直しますんで、遠慮なく仰ってください」
「正直、見ても分からないとは思うんだが……」
職人に勧められるまま、アディスは自宅である屋敷の一室に足を踏み入れた。
先日まで無味乾燥な空き部屋に過ぎなかったその空間は、すっかりその様相を激変させ、高級な宿屋の最高ランクの部屋を思わせる内装と化していた。
他の職人によって――彼らもまたペネム大公国から逃れた難民だ――作られた寝台や箪笥も見事なもので、王侯貴族が宿泊しても最低限の満足を与えられるに違いない。
「どうですか、アディスの旦那。家具職人の仕事ぶりも大したもんでしょう」
「なるほど、まるで別物だ。この短期間で本当によくやったものだな」
アディスの反応を受け、職人の男がたくましい胸を自慢げに張る。
「連中、ペネム大公にも家具を納めてた腕前だったんですが、ちょっとしたことで不興を買って店を潰されちまったんですよねぇ。俺達もいつそんな目に遭うか心配でしょうがなかったんですが……新天地ってのはあるもんですね、ほんと」
リブラタウンの住人は、アディスの来訪以前から暮らしていた面々も含め、基本的に近隣のペネム大公国を追われた難民である。
領主である大公は悪辣な暴君とのことで、現に配下の騎士からもブランドン卿という離反者を出しているほどだ。
「しかし、正直に言うとだな……美的感覚やら審美眼やらには、あまり自信がないんだ。後で聖女を連れてくるから、評価はそれまで待ってくれないか」
アディスは珍しく、自信のなさそうな苦笑を浮かべた。
地属性に分類されるあらゆる物事、土や岩のみならず植物や地下水までも干渉可能なアディスだが、本人も苦手を自覚している分野が存在する。
それはいわゆる芸術である。
「おや、そうだったんですか? この屋敷もアディスの旦那が魔法で作ったと聞きましたよ。立派なもんじゃないですか」
「既存の建物を模倣しただけだからな。一から設計しろと言われたら完全にお手上げだ」
アディスは両手を肩の高さに上げるジェスチャーをしてみせた。
魔法で物体を操って形を自在に変える能力と、他人が見て美しいと感じる形状を設計する能力は、全くの別物である。
後者は魔力の高さや魔法の実力ではどうしようもなく、アディスが四天王として全力を尽くしても、人間の見習い職人にすら劣ってしまうことだろう。
「手本も見ずにそらで真似してこれってのは、逆に凄いと思うんですがねぇ……ところで、依頼を受けてからずっと気になってたんですが、この部屋には誰が住むんです? 聖女様が部屋を変えなさるんですか?」
「その辺りの話は追々な。我儘なお嬢様に部屋を用意してくれと頼まれた、とだけ言っておくか」
「へぇ! アディスの旦那のお知り合いですか! お嬢様ってことは……へへっ、楽しみにしておきますね!」
職人の男は何やら下心混じりの想像をしたようで、先程の職人としての誇りに満ちた笑顔とは全く違う笑みを浮かべながら、内装工事の仕事の後片付けに取り掛かった。
恐らくは、見目麗しい令嬢が町の一員になることを想像でもしたのだろう。
しかし実際のところ、魔剣アウローラの外見のうち美女のように見える部分は、魔力によって作られた端末に過ぎない。
本体はあくまで魔剣であり、本来ならこんなに手の込んだ部屋など必要としない存在である。
「まぁ、アウローラも端末の見た目は良いらしいから、遠目に見る分には何の問題もないか。なるべく町の人間を怖がらせるなと言い含めておかないとな……」
アディスが抱え込んだ新たな悩みの原因は、他でもない魔剣アウローラの存在である。
主の死をきっかけに、自ら封印されていたはずの先代魔王の愛剣。
性能の素晴らしさは折り紙付きだが、性格的な扱いにくさも桁違い。
新四天王が全員集まっても一蹴できるであろう実力と、先代魔王以外に制御できない奔放な性格を併せ持った代物が、魔界での野暮用を済ませたらリブラタウンで暮らしたいと言い出したのだ。
どう転ぶかあまりに未知数。
ひょっとしたら大人しく暮らしてくれるかもしれないが、新たな騒動の火種になる恐れも充分にある。
それだけに、アディスの心労は留まるところを知らないのであった。






