45.聖女と赤竜の応酬
――魔剣アウローラが目覚めんとしたその頃、聖女ジャネットは四天王ホムラと対峙しながら、怪訝な顔で剣を構え続けていた。
「黒い聖女? 一体何を言っているのですか」
「とぼけるつもりか? 裏切り者のアガリアレプトに雇われて、あたし達の軍勢を手酷く痛めつけやがった! その面を忘れるはずがねぇ!」
鋭い眼差しでジャネットを睨みつけ、ドラゴンの前足じみた爪を振り向けるホムラ。
その口の端からは炎混じりの吐息が漏れ、ホムラの憤りの激しさを何もよりも直接的に表している。
しかし、ジャネットとしては困惑せざるを得ない状況であった。
敵意を剥き出しにした魔族を前にしておきながら、問答無用で斬りかかるような真似をせず、足を止めて話を聞こうとしているのがその証左だ。
「状況は全く理解できそうにありませんが、どこかの誰かと誤認されていることだけは分かりました。酷い誤解ですね。私は魔界に立ち入ったことなど……」
「問答無用!」
「……納得してはいただけないようで」
ホムラが翼を広げ、地表ぎりぎりを一直線に飛翔する。
高速の突進の勢いを乗せて振り抜かれた爪を、聖剣の刃が真っ向から受け止める。
「ハアッ!」
直後、ホムラは大口を開けて至近距離から炎を吐き出した。
しかしジャネットもそれを読み切っており、剣を握った利き腕で爪を受け止めながら、もう一方の手で素早く印を結んで天法を緊急発動。
瞬間的に展開した防壁でホムラの炎を防ぎ止める。
「くっ……!」
「そらっ!」
ホムラが即席の防壁を容易く粉砕し、力任せにジャネットを吹き飛ばす。
だがジャネットは、勢いのままに体を宙に浮かされながらも、冷静に天法を発動させた。
「……天上の神よ。御身の下僕に仇なす者に、聖光の牢壁を与え給え」
ホムラの四方に透明な光の壁が出現する。
「重ねて希う! 此処に嵐と雷の一雫を!」
後方に吹き飛ばされたジャネットが着地した瞬間、光の壁で周囲から隔絶されたホムラの足元で、凄まじい暴風と雷光の爆発が巻き起こった。
光の壁によって爆発の威力がごく限られた範囲に集中し、その破壊力の大部分がホムラに直撃する。
封鎖されていなかった頭上からは、膨大な量の土煙がまるで噴火のように噴出し、周囲一帯を土と砂粒の靄で覆い尽くしていく。
真っ当な人間であれば、死体の原型が残るかどうかも怪しい、圧倒的な破壊の集約であったが――
「ふんっ!」
濃密な土煙の中心で、ホムラが尾を振るって四方の光の壁を打ち砕く。
恐るべきことに、高密度の雷風の直撃を浴びておきながら、四天王ホムラはまるで堪えた様子も見せなかった。
全くの無傷というわけではなかったが、せいぜい表皮や鱗の一部が軽く焦げている程度で、戦闘行動には何の影響も受けていないようである。
「ああ、くそっ。目も耳もズキズキする。眩しいわうるさいわ、本当に堪ったもんじゃないっての」
ホムラは不快そうに顔をしかめ、不快感を言葉にして吐き捨てた。
肉体へのダメージ自体は大したことがなかったが、さすがに至近距離で閃光と轟音を浴びせられたのは堪えたようだ。
「しかもこの粉塵……また目眩ましに紛れて不意打ちでもする気? バカの一つ覚えにも程がある!」
視覚と聴覚が復帰するのも待たず、ホムラは牙を剥いて獰猛な笑みを浮かべ、次なる攻撃を待ち構えた――
――のだが。
「足止めはこれくらいで充分、と」
ジャネットはもうもうと立ち込める砂煙に背を向けて、躊躇なくその場から駆け去っていた。
敵の次の攻撃を待ち構え、反撃で確殺せんと身構えるホムラを完全に放置して、先行したアディスが向かっていった渓谷へと一直線に。
「さすがは戦闘能力を買われた新四天王。聖光の牢壁がまるで飴細工、雷嵐の雫が火花も同然……まともに相手なんかしていられませんね。とはいえ五感は麻痺させられたようなので、今のうちに御暇するとしましょうか」
無論、ジャネットがホムラの放置を選択したのは、相手が予想外に強かったからではない。
「謎の火球も消失した……これはアディスが上手くやったと見るべきでしょうね」
魔剣アウローラの覚醒など知る由もない者が、現状をそのように解釈してしまうのは、どうあがいても避けようのないことだったに違いない。
無理にホムラを倒そうとするより、合流を最優先に考えるのは当然の結論であった。
「それにしても……黒い聖女、一体何のことだったのでしょうね……」






