27.怪奇現象の正体
「これは……私でも不気味な環境だと分かりますね」
名無しの森に踏み込んで早々に、ジャネットが険しい表情を浮かべる。
奇妙に歪んだ幹と枝。
鬱蒼と茂る枝葉に太陽光を遮られた暗い足元。
森の周辺部はまだ普通の森と似通った雰囲気だったが、一歩踏み込むごとに様子が変わっていく。
周辺の平原が見えなくなる頃には、既に真っ当な森の顔は消え失せて、地上ではまず見られないような植生が広がっていた。
「見たところ、魔界の森によく似ているな。こんなに鬱蒼と生い茂った森は珍しかったが……その辺りは土壌の豊かさと、太陽の光の恩恵といったところか」
そのとき、背後の草むらが激しく音を立てる。
刃を抜いて身構えるジャネット。
しかし狩人達は驚く素振りも見せず、落ち着き払って物音の原因を説明した。
「いえ、今のは鹿ですね。この辺りの鹿は妙に大きく育つんです」
「……話は聞いていましたけど、こんな森にも普通の鹿がいるというのは、何というか不思議な……本当にただの鹿なんですよね?」
「もちろん。よく育っているだけで普通の鹿ですよ」
どこか牧歌的ですらあるやり取りだったが、それが続いたのはもう数分ほど奥へ踏み込むまでだった。
それまで聞こえていた鳥の声すら絶え、暗い森が静寂に支配される。
狩人達だけでなくジャネットも言葉を発さなくなり、絶えず周囲を警戒し続ける。
しかしアディスだけは、何事もなかったかのように平然と歩を進めていた。
「さてと……もうそろそろ、奇妙な物音や人影やらが出てくるぞ」
「え、な、何故そんなことが分か……」
ジャネットが驚いてアディスに向き直った瞬間、ざざざ、と周囲の草むらがざわめく音がした。
思わず足を止めるジャネットと狩人達。
だがアディスは物音を気にすることもなく、低木と草むらを脚でかき分けながら前進し続けている。
「恐らく君達は、こういう異変が起きたらすぐに引き返していたんだろう。命あっての物種だからな」
「は、はい……何かあってからでは遅いですから……」
「賢明だ。しかし今回はこのまま進ませてもらう。次は……そうだな、きっと雰囲気のある声で『立ち去れ』とでも言ってくるんじゃないか?」
アディスが緊迫感に掛けた口調でそう言った直後、まさしくその通りの声がどこからか聞こえてきた。
――タチサレ、タチサレ、ヒキカエセ――
普通の人間なら恐怖に震えて逃げ出したであろう状況だが、事前にアディスが平然と予測していたこともあり、狩人達も不思議と落ち着いた様子で声に耳を傾けていた。
例外は言葉が分からない猟犬達くらいのもので、二頭が揃って牙を向き、特定の方向に向かって激しく吠え立てている。
「なるほど、いい猟犬だな。人間の聴覚はごまかせても、訓練された猟犬の感覚は誤魔化せなかったとみえる。無論……俺の魔力感知もな」
周囲で地響きが起こり、暗い森の奥から巨大な影が近付いてくる。
「アディス! あれは明らかに魔族ですね! 寄らば斬ります!」
「ツリー・ジャイアント。いわゆるトレントだ。斬ったところで有効打にはならないだろうが……好きにするといい。本命は別にいる」
「えっ……それはどういう……」
猟犬が吠えている方角も、アディスの視線の先も、トレントがゆっくりと近付いてくる方向とは異なっていた。
「聖女ジャネット。虫取りというものをしたことがあるか?」
「は? な、何を急に」
「お前達は?」
「こ、子供の頃には、たまに」
狩人の一人の返事を聞いて、アディスは小さく頷いた。
「木を蹴って揺らすことで虫を落とす。どの世界でもよくある遊びだ。魔界の森で落ちてくる蟲は魔獣の類だったがな」
アディスはその場で軽く足踏みをした。
すると周囲一帯の地面が、下から突き上げられるかのように激しく揺れ動いた。
トレントの移動が生む振動とは比べ物にならない激震に、周囲で最も高い木までもが大きく揺れ動き――その上の方から何かが降ってきた。
「……ぅぁぁぁぁあああああっ!」
パチンとアディスが指を鳴らすと、大樹の根本の地面が掘り返されて、柔らかな土のクッションと化す。
そこに落ちてきたのは、新緑のように艷やかな緑の髪をした魔族の少女であった。
「ぎゃっ……! ううう……」
「こいつがこの森の主だな。聞こえるか、トレント達。状況が分かったなら、その場で動きを止めろ」
周囲から近付いてきていた複数体のトレントが、申し合わせたかのように行動を停止する。
アディスはそれを確かめてから、土塗れになって目を回している魔族の少女に向き直り、まるで悪戯をした悪童に説教をするかのような言葉を投げかけた。
「さて、洗いざらい事情を聞かせてもらうぞ。もしも逃げようとしたら、そこの恐ろしい聖女が地の果てまで追いかけてくるからな?」
「わ、私を『しつけのお化け』みたいに言わないでもらえますか!? 心外です!」
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