凶器はどこへ
タスクが素早くドアを開ける。
そこには藍野リンジがいた。
「コーヒーでももらおうと思ってね」
「藍野さん、差し支えなければ教えていただけませんか。みなさん、今日はどうしてこちらにお集まりだったんです?」
「ああ、それはね……。ま、人に言うことでもないんだが。そうだな……」
そこへ、野紐マダラが通りがかった。リンジと同じく、何か飲み物を求めて下へ行こうとしたところだった。
「今日集まった理由ねえ。あのね、センセが、遺産の相続についての話をするために集めたんよ。直系の親族への遺留分っての? それはあるけど、残りの分配について説明するって」
「おい、野紐くん。そんなにペラペラと」
「いいじゃん、藍野さん。彼らももう当事者よ? 君たち、俺らはね、今日の昼飯時、ここの一階で先生から全員で聞かされたんだよ。ちなみに俺もちっといただけるかなーと思ったら、オオリちゃんに全部あげるんだってさ。後からもめないように、他のメンツも呼ばれて説明されたわけ」
「野紐くん!」
さすがに口が滑ったと思ったのか、マダラがわざとらしく口を手で押さえた。
リンジが嘆息して、タスクらの方を向き直る。
「全く……。君ら二人も確かに当事者だが、今の話は聞かなかったことにしてくれ。江戸川先生の遺産は、まあそんなにとんでもない額ではないんだが、庶民にとってはまとまった金だ。図らずも、これで相続が行なわれてしまうことになったがな。遺言書も既に自宅の金庫にあるらしい」
「ほんと、思ったより渋い額だよねー。俺、何億とかかと思ったよ」
リンジがきっとマダラを威嚇してから、またタスクらに言った。
「意地悪な言い方をすれば、君たちだって怪しいといえば怪しいんだ。こんな夜の闖入者なんだから。これ以上何も起こらないように、静かに朝を迎えよう。いいね」
ぶつぶつと言いながら、リンジが階下へ降りていく。
「怒らしちゃったね。実はあの江戸川センセ、結構面倒見が良くてさ。ここに集まったメンツは、学費やらなんやかやの支度金やら、センセにお世話になった人たちなんよ。でも最近は自分のことで忙しくて、滅多にセンセに会いに来ることもなくなってた。俺たちほんと恩知らずだよね、喉元過ぎればってやつ。けどオオリちゃんだけは、自分が結婚してからも、センセにずっと尽くしてた。秘書としても超できる人だから、最近のセンセの本はオオリちゃんなくしては作れなかったんじゃないかってまで言われてるよ。しょっちゅう二人で、この孤牢館にこもりに来てた。だから、誰も相続に文句なんてない。分かった?」
いきなり質問されて、クナリは「え?」とうろたえた。
マダラは右手の人差し指をぴんと立て、左右に振る。
「たとえ密室で二人きりで、センセを殺すチャンスがあったとしても、オオリちゃんを疑っちゃだめだよ。言ったでしょ、既に遺産はオオリちゃんのものになるって決まったんだから。そもそも殺人の動機になるような金額じゃないし、それは他の連中にとっても同じ。何か気にかかっても余計な勘繰りはしないで、ここから出るまで大人しくしてるんだね。君たちが危ないよ」
それが言いたいがための暴露だったのか、とようやく二人は合点がいく。
話は済んだ、と背中を向けたマダラを、タスクが呼び止めた。
「マダラさん、この吹雪っていつ頃から始まったんです?」
「ん? いつからってそうね、断続的に昨日くらいかな。積もり出したのは今朝くらいから。勘弁して欲しいね」
マダラは、口笛を吹いて階段を下りていった。
そこへ、不機嫌そうな顔をしたダレモがやってきた。目的は他の二人と同じだ。
「聞こえとったぞ。内輪のことをひょいひょいとしゃべりおって、あのお調子者が。む、君がタスクくんだったな」
「はい。イクナさんはどうですか?」
ダレモの強面が、やや緩む。
「お陰さまで、風邪もひいておらんよ。今は一人で寝ている。なんでも、一時間近く外におったようだ。コートと、私の持ち物からくすねた手袋が厚手で助かった。全く、無茶過ぎる。私が寝入ってしまっていたことは、まことに汗顔の至りだ。楠谷くん、君がいなければどうなっていたか。恩に着るよ、心から」
「助けたのは三人でですよ」
ダレモはなおも例を言い、手を振って一階へ行った。
「さて。クナリさん、少し整理しましょうか」
二人はタスクの部屋に戻った。
イスについたクナリが、ため息とともに告げる。
「オオリさんは事件に関わっていますよね」
タスクは立ったまま、天井をあおいで答えた。
「主犯ではないでしょうが、共犯である可能性は極めて高いですね。彼女の協力なしに、この館の人間が犯行を成功させることはかなり難しいです。暴漢の逃亡説までが打ち合わせ済みでしょう」
「このまま、事件は終わるでしょうか」
「江戸川氏の殺害が犯人の最終目標ならそうなりますね。ここから連続殺人というのは難しそうです」
「警察が来て、いもしない暴漢を指名手配する?」
「そう都合よくいくかは分かりませんけど、足跡がない限り、今この館にいる人間に疑いの目は向かないでしょうね。何しろ、暴漢というより、大事なのは……」
「凶器がない」