準密室
死体には近づかないこと。
吹雪が止み次第、下山して警察を呼ぶこと。
離れの中で、まず全員でそれを決めた。
それから、ダレモが、顎に手を当てて思案しだした。
「だが、一体犯人はどこに行ったんだ? もしこの中の誰かだったら――物騒で申し訳ないが、可能性としてな――母屋と離れの間に足跡が残っているはずだ。それがないということは、私たちは少なくとも殺人の疑いをかけられはすまい。しかし、それなら犯人はどう逃げた? 先生の血はまだ固まり切っていない、オオリの言うとおり、せいぜいこの二時間以内に犯行はなされたのだろう。さすがに吹雪とはいえ、それだけの時間で、膝までの高さに積もった雪についた足跡が痕跡もなく、きれいさっぱり消えることはあるまい」
「それは、私の推測ですが……この離れから、北の森へ逃げたんじゃないでしょうか。あの森は道もなく、隠れて逃げるのにうってつけですし」
「オオリ、そう言うなら、北の方向に足跡があるのか?」
「いえ、ダレモさん、あれを見てください」
離れは孤牢館の北側にあり、その入り口は母屋の方面――つまり南側を向いている。
オオリが示したのは、入り口と反対、つまり北側だった。そこには江戸川アランの死体、その先に執筆用の大きな机、さらにその先には北向きの窓がある。
「窓の外を見てください。雪がないでしょう」
クナリが、首を伸ばして覗き込む。
「本当だ。この離れの北側数メートル四方、雪がない。融雪剤で解かしたんですか?」
「ええ。先生は古い融雪剤をまいて処分したくなったそうで、昨夜、そこへまいたんです。かなり以前に買ったもののようで、人が通る母屋周辺にまいて何かあってもと。車の下部などに着くと面倒ですし。森の入口まで、雪のない地面がむき出しになっています。その辺りは整地されていなくて砂利だらけなので、先生を殺害した後、そちらへ逃亡すれば足跡もつかないと思います」
クナリは首を戻すと、潜めた声で言った。
「確かに犯人は逃げたんですよね?」
「直接見てはいませんが……。少なくともこの中には、隠れられるスペースもありません。見ての通り、防寒仕様ではありますけど、板を張り合わせたような小屋で、本棚や机以外には家具もほとんどないですから。まさか天井に乗ってもいないでしょう」
「一応、この離れの中をみんなで改めてはどうでしょう」
クナリの提案で、屋根の上も含め、全員で捜索が行なわれた。
トイレの水洗タンクの蓋を開けたクナリがダレモから「犯人は小人か?」と冷たい目で見られたり、仮眠室のベッドマットを持ちあげたタスクがオドルから「犯人は一反もめんかい?」と呆れられたりはしたものの、怪しいところは特になかった。
雪の山荘に現れた殺人犯。
しかし、森の中へ逃げ去ったというのであれば、当面の危険はない。
すぐに母屋へ戻り、戸締りをして、交替で見張りを立てよう。そんな話がまとまり、今度はオオリも含めた全員が母屋に戻った。
まずは人行オドルが居間に残ることになり、他はみんな自分の部屋に入った。
クナリはまたもタスクの部屋に入り、鉄製の冷えたイスに座った。
「楠谷さん。どう思います?」
「北の森へ逃げた暴漢なんていないでしょうね。もしそうなら、その暴漢とやらは今までどこにいたんです? 足跡もつけずに離れへ忍び込み、江戸川氏を殺して、足跡を残さないように逃げた? 雪が降る前から離れの中に潜んでいた? それともわざわざ吹雪の夜に森の中を強行軍し、たまたま被害者自ら融雪剤をまいてくれていた地面を僥倖にも歩いて、運よく秘書が寝ている隙に氏を刺し殺した? あり得ないとは言いませんが、さすがに、ですよね。それにこんな日に整備されてない山中に飛び込めば、自分の身も危うい」
「恐らく、みんな、考えてはいるのでしょう。この館の中に犯人はいる。しかしその可能性を口にすれば、次に襲われるのは自分かもしれない……」
「つまり、クナリさん。円藤オオリさんという第三者がいたりと、独特の要素はありますが、これは雪に囲まれた準密室というわけですよ」
その時、部屋の外で足音が聞こえた。