死体出現
「何事ですか!」
タスクよりは体格のいいクナリが先陣を切って、居間に飛び込む。
孤牢館の階段は、居間から螺旋を描いて二階に伸びていた。そのため階段を降りるだけで居間に着く。
そこには、嘆き顔の人行がいた。テーブルに突っ伏している。
「ああ、クナリくんたちか……。驚かせて悪い、見てくれこれを」
二人は交互に、人行が持っているものを見た。そしてタスクが呟く。
「オイル……サーディンの缶詰? しかもたくさん、全部開封されて?」
「宗紫電さんなんだよ。さっき食べたいって言うから置いてある戸棚の場所教えたら、全部食べちゃったんだ」
二人の肩から、がくんと力が抜けた。
クナリが気の抜けた顔で言う。
「まあ、どうってことないじゃないですか……缶詰くらい」
「ここの分が尽きたら、倉庫に取りに行くのは僕の役目なんだよ。缶詰は常温保存だから、孤牢館の外、東側にある物置小屋を倉庫にしてるんだけど、そこに吹雪の中出ていくんだぜ?」
「よければそれくらい、僕らが行ってきますよ。お世話になってますし」
「本当かい!?」
人行が、ぱっとクナリの方へ顔を上げた。
「わ、悪いね! 急ぎではないから、少し吹雪が収まったらでいいよ。倉庫の中の向かって右手に缶詰があるから。板切れやらワイヤーやら釣り竿やら昔使ってた機織り機やら、色々物が置いてあるから気をつけてね!」
そこへ、冷静な声色が割り込んできた。
「いや……一晩くらい、油漬けのイワシなんか我慢すればいいだろ」
呆れ顔なのは、藍野リンジだ。さっきの声を聞いて、彼も部屋にいたのを降りてきたらしい。
「いえいえ! ある限りはお出しします」
藍野は、人行に悲鳴をあげさせた張本人である宗紫電ダレモが降りてこないことに毒づきつつ、「しょうもな。行く必要ねえぞ、吹雪の中なんて」と言い捨てて部屋に戻っていった。
その直後。
「……あれ?」
タスクが、居間のガラス戸から外を見てぽつりと言った。
「あれって……」
クナリと人行も外を見る。
暗闇の中、極狭い範囲が孤牢館からの明かりで照らされているのは、お馴染みの光景だ。
しかし、何かがおかしい。
何か、違和感が……
「人だ! 子供です!」
タスクが駆け出した。残る二人も後を追う。
ガラス戸を開け放ち、三人で積もった雪に踊り込む。積雪の深さは膝の辺りまでだった。
その雪の中に、幼い少女が立っていた。
宗紫電イクナだ。
ワンピースと同じ白いコートを着ているが、それが雪に保護色となっている。長い黒髪はフードに隠され、まるで雪うさぎのように白一色だった。
「あ、お兄さんたち……」
がちがちと歯を鳴らしているイクナを三人がかりでむんずとつかみ、孤牢館へと引っ張っていく。
「ま、待って! 違うの、連れて行かないで!」とイクナ。
それを叱るように、人行オドルが叫ぶ。
「何が違うんだ! 話は、暖炉の前で聞かせてもらうよ!」
「だめよそんなところじゃ! 外じゃないと……」
なおもごねるイクナを居間に上げ、全員で雪を払って、暖炉の前に集まった。
「温かいものを用意するから、お二人でこの子を見ていてください。ああ、先にダレモさんに声をかけないと」
「無駄だと思うよ。パパ、お酒飲んで寝てるもん。朝まで起きないよ」
呆れた様子で肩をすくめた人行が、キッチンへ消えた。
タスクが優しい声で、ぐずっているイクナに尋ねる。
「あそこで、何をしていたの? 気温は氷点下だし、危ないのは分かるよね?」
「誰にも言わない?」
「君がそうして欲しいなら。僕もクナリさんも、決して誰にも言わないよ」
「……妖狐がいたの。それを見てたの」
男二人の動きが、ぴたりと止まった。
その様子を、少女が敏感に察知する。
「信じてない!」
「し、信じてるよもちろん! 僕もクナリさんから聞いてるんだ、この辺りには妖狐伝説があるよね! Y県の中でもあまり知られてないらしいけど!」
「Y県って何!? 普通に山梨県でしょ!?」
「い、いやそれは、東大をT大って言うようなもので……」
「本当に見たの! 人間みたいな姿をしてたけど、しっぽがあった! それに、雪の上を歩いてたんだよ、沈まずに! パウダースノーの上を歩くなんて、人間にはできないんだから!」
タスクとクナリは顔を見合わせた。
頭ごなしに否定するわけにはいかないので、適当に調子を合わせよう、と無言で同意する。間違っても、「キツネだって雪の上は歩けないよね」などと言ってはならない。
「でも、吹雪いてたし、妖狐はよく見えないまま消えちゃったの。だから私、まだいないかと思って」
タスクは、極力優しい声音で尋ねた。
「雪の上を歩き回ってたんだね。それは確かに、人間じゃない。男? 女?」
「遠かったし、そこまでは分かんない」
「その辺りにいたの?」
「この家の裏の方。見えなくなっちゃったから、探してたの」
「そうか……。でも、妖狐だっていい奴だとは限らない。襲われたら困る。第一体を壊しちゃ元も子もないよ。いいね、今度からは周りの誰かに一言言ってから――」
その時、居間においてある電話が鳴った。
内線だ。液晶には「ハナレ」と表示されている。
勝手に電話に出ていいものかという戸惑いはあったものの、クナリが受話器を上げた。
ちょうどその時、「あれ? どこから電話? 離れ?」とココアを持った人行が戻ってくる。
「もしもし、僕は澤ノ倉と言いまして、……」
クナリが言い切らないうちに、逼迫した女の声が届いてきた。
「聞いてるわ、さっき来たって人よね? 悪いけど、誰かに代わってちょうだい――ああ、人行くん? 私、オオリ。今すぐみんなで、離れにきて! 私今まで仮眠していて、今起きて、執筆部屋に入ったら……」
クナリから電話を替わった人行の耳元から、はっきりと、その言葉は聞こえてきた。
「死んでるの。江戸川先生が、胸から血を流して! 死んでる……殺されてる!」