解決編 中
「カンジキです。さっき倉庫から戻ってきた時、裏口に置かれていました。この木の枝と紐の組み合わせで作る、雪道を歩行するための補助具です。組み立てると、漫画の忍者が使う水蜘蛛をずっと小さくしたような履物になります。これを靴にはめることで、足裏にかかる体重を分散し、雪に沈み込むのを防ぐんです。古来より、雪国で親しまれてきました。使い終わったので乾かすためにばらしたのか、解けてしまったのか、とにかくこの状態で置かれていたんです」
――悪いけど、見たこともないな。そんなもので、雪の上を沈まずに歩けるのか?
「カンジキでは無理でしょうね。これは積雪に足を取られないためのもので、足跡を消すためのものではありません」
――なら、なぜそんなものを今――
「ま、それはまた後で。とにかく、雪に乗ることのできる人間なんていません。しかし、雪のように白くて、けれど固いものの上になら、乗ることができます」
男が息を飲んだ。
「白く、足場にできるよう平らな、四角い形。成人男性が乗ってもそうは壊れない固形物。足を乗せるのですから、長さが三十cmほど、幅が二十cmほどあればいいでしょう。薄すぎると割れてしまうので、厚みも数十cm欲しいですね」
クナリは、一瞬、記憶がフラッシュバックした。
どこかで見たような気がする。白くて固いもの。人が乗れるような……
そして、思わず声を出す。
「発泡スチロールが! キッチンの冷凍庫にありました!」
「そうですね。でも、冷凍庫にあるものは使えません。あんなに中身が詰まっていては運び出して足場にするために設置できないし、中身を取り出して乗れば、内側が空洞では割れてしまいます。逆に言えば、足場にするために、専用の、中身の詰まった四角い発泡スチロールの塊を用意すればいい。ホームセンターでも、業務用の通販でも手に入ります。その上を渡り歩いたので、吹雪の中のイクナちゃんには、遠目には雪の上を渡っているように見えた」
――なぜ――わざわざ――そんなものを。
「当然、『暴漢が砂利道を通って北の森に逃亡説』を作り上げるためです」
――だが、それだと、足跡は残らなくても発泡スチロールの跡は残る。
――たとえ雪に埋めっぱなしにしても、雪が解けていくにつれて露出していくじゃないか。そんな間抜けな話はない。
「おそらくこのスチロール箱は、前々から孤牢館のどこかに用意されていて、吹雪の頃合いを見てオオリさんが設置したのでしょう。母屋からは離れを見られる窓などもありませんし、彼女なら容易だったはずです。犯行の後、主犯はその上を歩いて母屋へ帰った。さて、問題はこのスチロールと、その跡の処理です。まず、十メートルの道程に埋まった、十数個はあるであろうスチロールを回収します。素手や袋詰めでは、せっかく足跡を残さないでおいてある途上に、大きな作業痕を残すでしょう。スチロールに乗りながら、ひとつ前に乗っていたスチロールを拾って回収していくというのは、ナンセンスです。……聞けば、倉庫には釣竿があったそうですね。ということは、釣り糸と針もあったでしょう」
男の息がぐっと詰まる。
「釣り針そのものでなくても、何か返しのついた針に糸――赤などの色をつけておくとなおいいですね――を結び、あらかじめスチロールに討ちこんでおきます。そうすれば、糸を引くだけで回収できるし、持ち運びも楽です。しかしこれだけでは、ぽっかりとスチロールの跡が残ってしまう。証拠隠滅を吹雪に頼るのは心もとない。そこで、犯人は最低限の処置を行なった。雪の季節には倉庫から出しておくという、雪かき用の道具。そのうち、あの竹ぼうきをひとつ離れに置いておき、それを使って雪をはき、スチロールの跡を消したのです。適当にならせばその後は、降雪が覆ってくれます」
クナリが、あ、と声を上げた。
「妖狐のしっぽ!」
「雪の上を渡る妖狐の正体は、竹ぼうきを振り振り、発泡スチロールの上を歩く犯人というわけです。こうして無事母屋に着いた犯人は、裏口に竹ぼうきを置き、集めたスチロール箱を手近な雪の中に埋めたのではないでしょうか。犯行の際、返り血を予想して全身を覆うビニールコートなどを着用していれば、それも脱いで、裏返しにして雪に埋めます。何しろこの後、オオリさんからの電話で館のメンバーはパニック状態になりますから、そんなに本格的に隠さなくてもいい。スチロール自体も白いし、きっとコートも白いものを選んだでしょう、雪をかぶせるだけで充分です。特に夜は、あの裏口から向こうは暗くて視界がかなり悪いですからね。その後犯人は居間へ何食わぬ顔で現れ、自室へ戻り、ハンガーをクローゼットに戻します。この過程で、裏口の方から現れたことを誰かに見咎められても、シャワートイレのある共用トイレを使っていたんだと言えばいい。万が一、裏口のドアを開けたところで鉢合わせたとしても、離れまでの足跡がついていないのだからどうにでもごまかせます。雪の具合を見に出てみたとかね。――そして、オオリさんからの電話がかかってくる――……」
タスクは、正面から男の顔を見た。
対照的に男は、その顔を背ける。
「もしかしたらわずかな痕跡が残っていたかもしれない離れまでの道を、僕たち全員が、暗闇の中の限られた目視で、異常はないと浅はかにも判断して、散々に踏み荒らしてしまいました。証拠発見の可能性を僕たちに消させることで、足跡なき殺人は完了したのです」