122.当たってしまった即死攻撃
人里離れた洋館の地下室で、私は一人、敵対的な幽霊と対峙していた。
私の目の前には幽霊が、そして横にはたぶん風の精霊の、碧色で半透明の女性が魔法陣の中で立ち尽くしている。
シャイラさんは幽霊の一撃で戦闘不能になり、マリア、クリスと共に既に階上に撤退していた。
私は幽霊の動きを警戒しつつ、これが何のモンスターであるか、改めて識別を行っていた。
こいつはライフドレインを使った。これを使う幽霊的なモンスターはスペクターかレイスしかない。モンスターの強さを表すモンスターレートで言えば、スペクターは1でレイスは5だ。1ならグールとかインプと言った雑魚クラスで、5と言えば、トロルとかと同程度。Cランクあたりの中堅でも上位の冒険者がパーティで戦う相手という事になる。初心者の私たちじゃ束になってもかなわない相手だ。
スペクターであって欲しいんだけど、攻撃力から考えると……
「レイスだろうなぁ、やっぱり」
『ふん、我が何であろうと、じき死ぬ汝には関係無かろう』
ただ、高めのモンスターレートは、防御無視のライフドレインと、銀製でも魔法でもない武器を使った通常攻撃に耐性が強い事に由来している。
陽光には弱いから、なるべく太陽の下で戦いたい。移動速度は早歩きくらいだから、普通に走ればちぎれる相手だ。
私はちらりと出口の方を見た。
『逃げたいのか? 構わんぞ? 我の手をかいくぐれるのなら、だが』
うーん、マリアたちを逃がすために、奥に来ちゃったんだよね。
というわけで、レイスの向こうに出口が見えている。逃げるには一撃死の可能性があるレイスの攻撃をかいくぐって、向こうに行く必要がある、と言うわけだ。
「…………っ」
あれしかない、か。ほんの一瞬だけでも隙があれば、なんとかなるかも知れない。幽霊にこれが効くかどうか分からないけど。
覚悟を決めた私は、無言で少しずつ後ずさっていった。
レイスは一気に近づいて来る事は無く、余裕の表情で私が下がった分だけ詰めてきている。
『後ろに下がっては脱出できんぞ? ほら、もう壁が目の前だ』
ついに、踵が壁についてしまった。
私は少し頭を下げ、被っている魔術師の帽子の大きなつばでレイスの顔が見えないようにした。
『おや、あきらめると言うのかね? 盗賊にしては随分と潔が良い事だ』
「いやいやぁ。悪あがき――させて貰うわよっと!」
私は腰に佩いた短剣を抜き放ち、推測でレイスの目の辺りを素早く薙いだ。
『ぐうああああっ!?』
この短剣は"照明"の魔法が掛けられていた。輝く光が、レイスの目を眩ませたのだろうか、両手で顔を覆って苦しんでいる。私は目をそらして短剣を直視しないようにしていたから、大丈夫だけどね。
もちろん普通の短剣だから、それでダメージを与える事は期待していない。
次いで私は身体のマナを操作して右足に叩き込む。爆発的な力を発現しつつ、床では無く壁をも蹴り込む事で、一気に加速した。
「――やあッ!」
私が武術の先生から習った、箭疾歩と呼ばれる歩法によって、レイスの脇を抜けて、一足飛びに地下室の反対側の壁まで跳躍する。
勢いがあり過ぎて壁に激突しそうになるけど、壁に両手をつき、さらに転がる事によって衝撃を抑える。短剣は自傷してしまう前に放り投げたが、これは仕方ない。
ともあれ、私は目的通りにレイスとの位置関係を逆転する事に成功した。これからどうするか、と言う問題はあるけど、まずは撤退だ。
「じゃあねぇ!」
『くっ、ふざけた真似を……シルフィ! この盗賊の足を止めろ!』
シルフィというのがこの精霊?の名前なのかな。レイスは魔法が使えないけど、風の精霊なら魔法が使えてしまう。まずは逃げないと!
駆けだした私は、出口まであと少し、といった所で後ろから猛烈な突風に襲われた。足がふわりと浮き、そのまま壁に向かって飛ばされる。
「ぐっ!?」
頭を打たないように、空中でなんとか身体を回転させて背中向きにはなったものの、壁に背中を思いっきり打ち付けて一瞬息が止まる。
突風は吹き続け、私は壁に貼り付けられたような状態となってしまい、身動きをとる事ができない。
当たり前ながら、突風の影響を受けないレイスは、余裕の表情を浮かべてゆっくり近づいてきた。
『さあ、我が研究を盗もうという、自らの愚かさに対する後悔は終わったかね? そろそろ死ぬ時間だよ、盗賊くん』
そして右手を伸ばして、その手の平を私の胸に押し当てたのだった。
◇ ◇ ◇
物理的な接触では無いから、感触としては何も感じない。でも、私の身体に侵入する"何か"を感じていた。
痛みも何も感じないけど、そこから一気に身体の力が抜き出るような、脱力感を感じ始める。
目の前がくらりとなり、その場に頽れてしまう。いつの間にか、吹き荒れていた突風も止んでいた。
「――?」
でも、そこまでだった。シャイラさんのように倒れ込んでしまう程じゃない。ちょっと重目の立ちくらみ程度の脱力感だ。
『ぐうぁあああぁぁあぁあぁぁっ!! なんだこれは!? 手が、手がぁっ!?』
顔を上げて目の前のレイスを見ると、彼は慌てて右手を引いていた……というか、正確に言えば、右腕の肘から先が失われていた。
なんだかよく分からないけど、ともあれレイスはダメージを受けているみたい。
私はなんとか気力を振り絞り、重い身体を引きずるように立ち上がった。
「あの……」
『くっ、来るな!』
うーん、どうなってるんだろ?
とにかく怯んでるというより、怯えまくっているレイスの姿を見て、私は頭の中がハテナマークで埋め尽くされてしまった。このまま逃げても追いかけてくる事はない、と思うけど、それだと何にも解決しない。
少なくとも、私を殴ろうという意志は消えたようだから、あとは、このレイスを落ち着かせて話し合いに持っていきたいんだけど……
『よ、寄ってくるな! あ、あっちに行け!』
私はレイスにゆっくりと近づいていったが、レイスは逆に後退するばかり。今度はレイスの方が、そろそろ壁につきそうな勢いだ。
参ったなぁ。ここで踏み込みすぎて逆ギレされても困るし、マリアに"平静"をかけてもらった方が良いのかも知れない。レイスに効くかどうか知らないけど。
《――――!》
と、突然、魔法陣の中にいた精霊が動き出した。彼女は魔法陣から出て、私とレイスの間に立ち、両手を広げて私を通せんぼするような姿勢をとる。
何か言っているようではあるんだけど、残念ながら精霊の言葉は私には分からない。まあ、見るからに「やめてー」とか言っているんだろうけど。
『シルフィ、止めろ! 今のお前では、魔法陣を出てしまうと消えてしまうぞ!』
《――――》
レイスの叫びを聞いたシルフィと呼ばれた精霊は、レイスに何か語りかけているように見える。レイスもそれに聞き入っているようだ。
私は、眉をひそめて少し考えた後、二人に向かって軽く両手を挙げ、戦闘行為の休止を宣言したのだった。
「なんだかわかんないけど、とりあえず休戦しない?」
それを聞いた精霊は、表情をぱぁっと明るくし、ぺこりと一礼してから魔法陣に戻っていった。そして、レイスに向かってなにやら語りかけるのが続けている。
《――――。 ――――!》
『なに、そうだったのか。それではこの子達は……』
それが一段落したところで、レイスは改めて私の方を向いた。右腕が失われたままではあるが、少なくとも、先程までの殺気は完全に消えてしまっている。
『君たちは、このシルフィが迎え入れていたのだな。そして、我が館と書物に対して、敬意を払ってくれていた、と』
「私たちは盗賊じゃありませんからね」
肩をすくめる私に、レイスは頭を下げた。
『すまない。無論、もう君たちを害するつもりはない』
そして、少し首を傾げると、何か思いついたように言葉を続けた。
『そうだ、君たちに一つ頼みがあるのだが、話を聞いて貰えないだろうか?』
「内容次第ですけどね。まずは私達全員で話を伺いたい思います」
私の回答に肯くレイス。
『冒険者パーティであれば、そうであろうな。だが、我に陽光は害であるし、シルフィもここから動けない。ここに来て貰って構わないだろうか?』
というレイスの提案に、私は一も二も無く応じたのだった。
次回予告。
レイスと和解し、車座になって歓談を始めた私たち。そこで私たちはレイスと精霊の願いを聞かされたのだった。
次回、「聞いてみようか彼の願い」お楽しみに!