109.奇跡
活動報告の方にも書きましたが、先日、ありがたくも初めて誤字報告をいただきました。ありがとうございます!
「21.クラスで自己紹介したい!」の中で2点ご指摘頂きましたが、以下の通りとさせていただきました。
「術式魔法が仕えます」→「術式魔法が使えます」は誤字でした。
「寝過ごしてまいましたー!」→「寝過ごしてしまいましたー!」は、意図した表現であるため、このままとしたいと思います。
今後も誤字報告・感想・ポイント等、フィードバックをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします!
次回は新年、1月2日に掲載予定です。帰省中につき、時間が前後する可能性があります。
※2019/12/27 シャイロックさんが身体を取り戻した下りを少し追加しました。
私はバフォメットに対して最大最強の攻撃呪文を放とうとしていたが、それも阻止されてしまった。もはや意識のある人間は他に誰もおらず、私自身も重傷で身動きが取れない。まさに刀折れ矢尽きた状態だ。
バフォメットは私の方に向かってゆっくりと歩み寄ると、指をぱしっと鳴らし、私の眼前に炎の槍を出現させた。
『短い間だったが、楽しかったぞ、人間よ』
『Ֆլեյմի――』
炎の槍の輻射熱を頬に感じながら、私は目をつむって、もはや訪れるべき死を待つしか無かった。
――しかし次の瞬間、広場に響き渡った一人の少女の悲鳴にも似た叫びを、私は耳にしたのだった。
「お父さん、だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」
私は目を開いて周囲を見渡し、その声の主を探すと……広場に面した鐘塔の上に、杖をついたジェシカの姿を見つけてしまった。
「ジェシカさん!?」
『ジェ……シカ……?』
バフォメットもそちらを振り向くと、呆然と彼女の名前を呟いていた。集中が途切れたのか、いつの間にか炎の槍は消え去っている。
「私のためにこんな事になっていたなんて……もう止めて、お父さん!」
「ジェシカ、そんなところ、危ないよ! そんな事を言っても、もうシャイロックさんの意識は……」
私の声が聞こえたらしく、ジェシカは寂しそうな表情で私の方を向いた。
「うん、分かってる。そんな姿になってしまったのなら、もう、私の声は届いていないのかも知れない」
「だったら、ジェシカも早く逃げて!」
私の声に、かぶりを振るジェシカ。
「でもね、アニー。私はお父さんが私の病気を治そうとして、この騒ぎを起こしたと聞いたの。そして、その報いは受けなければいけない。――私は、残り少ない命とは言え、私自身が罰を受けずに、のうのうと生きている事が許せないの」
「だめ……だめだよ……ジェシカ」
私は、ジェシカがこれからやろうとしている事に気付いてしまった。しかし、私の今の状態では、彼女を止める術を持っていない。最早、力なく訴えかけるしか、私に執れる手段は残っていなかった。
「私は……お父さんがこんな事をする理由を無くしてしまいます。お父さん、聞こえていたらお願い。もう止めて……ね?」
ジェシカは無言で立ち尽くすバフォメットに語りかけた。バフォメットの方も、聞いているのか聞いていないのか、無言でジェシカの方を見上げている。
ついにジェシカは、鐘塔の上から、そのまま歩き出すように右足を空中に踏み出し行き――頭から落下していった。6階建てくらいの高さがある鐘塔だ、頭から石畳に落ちてしまったら……!?
「シルフィ、ジェシカさんを受け止めて!」
私は急ぎシルフィを召喚、せめて下から"暴風"で落下速度を緩めようとする。
と、鐘塔に向かうシルフィを凄まじい勢いで追い抜いていった巨大な人影があった。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!』
その人影は、墜死寸前のジェシカさんに側面から飛びつくと、彼女を大事に抱きかかえたまま、走り込んだ勢いでそのままゴロゴロ転がっていった。
「え、バフォメッ……ト!?」
それは……誰であろう、バフォメットその人、だった。
◇ ◇ ◇
バフォメットはジェシカさんを抱きかかえたままゆっくりと、身体を起こし、そして、丁寧に彼女を地面に横たえた。
私は、バフォメットの様子を見て、彼がそのような行動を示す理由として、唯一思いついた解答を口にしてみた。
「ま、さか……シャイロック……さん?」
私の声に気付いたバフォメット?は、こちらを振り向いて小さく頷いた。
『ええ、その通りです。今は私の意識がこの身体を動かしています』
「な……!?」
目を見開いて驚きの声を上げた私に、バフォメット、いや、シャイロックさんは、表情を緩めて言葉を続けた。
『私の意識そのものは、常にこの身体の中にあり、バフォメットが見る物を見て、聴く物を聴いていました。ジェシカが墜ちようとしていたとき、私は娘を助けようと全力で叫んだのですが……気がつくと私は私の身体を動かせるようになっていたのです。ジェシカを呼ぶ声が、奇跡を生んだと言う事なのかも知れません』
シャイロックさんはそこまで話すと、『ただ』と言って厳しい表情で言葉を続けた。
『恐らく……いえ、間違いなく、長い時間は持ちません。とはいえ幸いにも、今の私はバフォメットの力を存分に使う事ができます。――まずはあなた方を……』
シャイロックさんはそう言うと、右手を挙げてパチンと指を鳴らした。
『Զանգվածային բուժում』
回復魔法を使ったのだろう。私の、そして他の3人の身体に漆黒の魔法陣が浮かび上がり、みるみるうちに怪我が回復していった。
「あ、ありがとうございます……」
『元はと言えば、私自身がしでかしてしまった事ですから、礼を言われる事ではありませんよ。さて、次は……』
シャイロックさんはジェシカさんの元でひざまづき、右の手の平を彼女の身体の少し上で、何かを探るように動かした。しばらくの間その動作を続けた後、最終的にその手は、彼女の胸の中心でぴたりと止まったのだった。
『やはりここか。結果的に、ラシードが言った事は正しかったと言う事になってしまったな』
「と言うと?」
シャイロックさんの独り言を聞き咎める私。
『今の私なら、ジェシカを治すことができると言う事です。光の神々が使う、異常を修復する力ではこの病は治せない。しかし、魔神の力を以てすれば……』
そしてシャイロックさんは、ジェシカさんの胸の上に手を置いたまま、小さくなにかを呟いた。
『կատարել Դեմոն արյան քարը』
次の瞬間、シャイロックさんの右手を中心に闇が集まり、赤黒い球体が出現していた。そしてそれは、ジェシカさんに向けてゆっくりと降下していき、彼女の体内に吸収されていった。
その球体が完全にジェシカさんの体内に吸収された後、シャイロックさんは再び胸の上に手をやって、目をつむった。手を幾分か動かして、様子を見るような仕草をしばらく続ける。
『これで、よし……と』
ようやく納得がいったのか、ついにシャイロックさんはその手を下ろした。そのまま肩の荷が下りたかのように脱力し、ぺたんと地べたに座り込む。
『これでついに、ジェシカは助かった……これで……これで、思い残すことはない……』
そして感慨深そうに小さく震えながら天空を見上げ、目を瞑った。両目からひたすら滂沱の涙を流している。
「今のは……何をやったんです? まさか彼女を魔族に変えてしまったなんて事は……」
おそらくジェシカさんの病気をなんとかしたんだとは思うのだけど、具体的に何をやったかさっぱり分からない私は、シャイロックさんに声をかけた。
シャイロックさんは、疲れた笑みを――顔が黒山羊さんだからよく分からないけど――私に投げかけながら返答する。
『魔血玉を埋め込みました。確かに魔族の力の結晶のようなものですが、あくまで心臓の代わりに働くエネルギー供給装置のような物です。ジェシカの心を、魂を汚染させるような事はありませんよ』
「まあ確かに、シャイロックさんが、ジェシカさんの心を変えてしまうような代物を使うとは思わないけど」
そしてシャイロックさんは、正座のような形で姿勢を改めて、私に向き直った。
『さて、アニーさん。一つお願いがあります』
そう言うとシャイロックさんは、何だかスッキリした表情で、私に一つのお願いをしてきたのだった。
『今すぐ私を、殺して下さい』
◇ ◇ ◇
「え、殺して……って?」
いきなりの申し出に、私は目を丸くしてオウム返しに聞き返した。
『先ほど申し上げたとおり、私の意識は、それほど長く持ちません。私の心の中には、当然まだバフォメットが残っています。再奪還されてしまう前に滅びなければ、バフォメットに戻った私を止められる人間は、最早いないでしょう』
「…………」
確かに、シャイロックさんの言うことは納得できる。ジェシカさんへの想いが呼んだ奇跡か、バフォメットの身体をシャイロックさんが乗っ取っている状態ではあるものの、今はその想いも解決されてしまった。で、あれば、再奪還される可能性は濃厚だ。しかも、バフォメットが復活してしまうと、それを止められる術は最早存在しない。上空に待避して、遠距離からフライブルクごと吹き飛ばす方法もないではないけど……そもそも、上空はグレーターデーモンが跋扈している状態だから、今の状態では上がれないだろう。
『彼自身が言っていた通り、アニーさんが先ほど使われた魔法なら、私を滅ぼすことができます。――お願いします』
私に向かって頭を下げるシャイロックさんを見ながら、私は顔をしかめながら考え込んでいた。
確かに、今流れている時間は、ダイヤモンドのように貴重だ。彼が言うように、私たちにはもう、これしか方法は残っていない。私は、長く考える事無く、シャイロックさんに返事をするべく口を開いた。
「――分かりました」
『ありがとう、本当に、申し訳ない』
「ジェシカさんには、なんて?」
シャイロックさんは勢いよく頭を上げたが、私の質問を聞いて……目を伏せながら回答した。
『ジェシカには……すまない、迷惑をかけた。これからは私に構わず、自由に生きて欲しい、と伝えてください』
「わかりました」
私はシャイロックさんの言葉に頷いてから、もう一つ聞きたい事を思い出し、言葉を続けた。
「あ、もう一つだけ。――ラシードのアジト、ご存じですか? この後、私の分、シャイロックさんの分、フライブルク全員の分をまとめて、アイツを殴りに行きますから」
右肩をグルングルン回しながら尋ねた私の質問を聞いたシャイロックさんは、小さく微笑みを浮かべたようだった。
『それは頼もしい。その際には私と……ジェシカの分もよろしくお願いします。さて、ラシードのアジトは……この街から北北東に16kmと言った所ですね。山中に隠された砦があります。山道からも離れていて、地上からは近づく事すら困難ですが、空から探せば簡単に見つかるでしょう』
「ありがとうございます。――それじゃ、始めましょうか」
私の声に、シャイロックさんはゆっくりと立ち上がったのだった。
次回予告。
シャイロックさんを前にして、私は最大最強の魔法、魔導砲の詠唱を開始する。その魔法の輝きは、この事件を解決へと導く灯台となるのだった。
次回、「魔導砲(マナカノン)」お楽しみに!