107.バフォメットとの戦い
ただいまお仕事ピーク中で執筆作業が見事に止まってしまっています。来週には落ち着いている事を期待しています。
次回は12月19日に掲載予定です。
シャイラさんに炎の槍が直撃しようとした瞬間、トウベイさんがその射線上に飛び込んでいき、自らの身体を盾にして炎の槍を受け止めていた。
「ぬうッ!」
炎の槍の直撃を受けたトウベイさんは、飛び込んだ姿勢のまま転がっていってしまった。数mほど移動してようやく止まったものの、仰向けに力なく倒れたままでピクリともしない。周囲には体が灼ける焦げ臭い臭いが立ちこめ、その身体を見ると、背中からお腹に掛けて黒焦げになって、ほとんど貫通しかかっていた。どう見ても……致命傷だ。
『ほう? 人間とはよく分からぬ事をするものだな』
首を傾げて興味深そうな顔をするバフォメットに対して、トウベイさんは力を振り絞った様子で顔を上げた。
「弟子を護るのも……師匠の勤めでございましてな。鬼人にはわかり申すまい……ところで鬼人殿よ、この老いぼれに少々、遺言の時間を頂けぬか?」
『ふむ、ま、良かろう。少しの間、待ってやろう』
トウベイさんの願いを聞いたバフォメットは、少し首を傾げたが、納得したようで、腕を組んで戦闘態勢を解いたようだった。
それを見届けたトウベイさんは。私の方を向いて口を開いた。
「アニー様……」
私は彼の元に駆けよって、ひざまづいた。
マリアも駆け寄り、トウベイさんの傷の様子を調べている。でも、一目見た後、私の顔を見て、無言で首を振るばかりだった。私の見立てと変わらないのだろう。
「トウベイさん!」
「拙者は……シャイロック様を命に代えても、護る誓いを立てております故……これで……これで、いいのです。生きて、いれば……誓いを護らねば、なりませんでした……」
トウベイさんは、右手に持っていた刀を残った力を振り絞るように、わずかに動かした。
「シャイラ様に、我が刀、"村正"をお渡しするようお願いいたします」
「え、ミズキさんには?」
トウベイさんのお孫さん、ミズキさんについて言及した私に対して、トウベイさんは小さく首を振った。
「あれは……刀は使いませぬ。ただ、爺の我が儘につきあってもらい、済まなかった、と、お伝え下さい。あとは自分の……思うがままに暮らすように、と」
「分かったわ。必ず伝える」
私の答えを聞いたトウベイさんは、それで満足したかのように身体の力を抜き、フライブルクの冬空を見上げていた。
「ああ、蒼い空だ……故郷の、不二の山を思い出す……」
――それを最後に、トウベイさんの長い旅は終わりを告げたようだった。
「真の善なる至高神よ、御身が元に新たな善良なる旅人が参ります。その道中を安寧に過ごし、御身が元で永遠の安らぎを得られますように……」
トウベイさんに対して、至高神への祈りを捧げるマリア。私は、右手で彼の瞼を閉じてやる事くらいしか、できる事はなかった。
祈りを終えたマリアがトウベイさんを抱きかかえようとしたが、私は目で抑えてシャイラさんを回復させるようにお願いする。
シャイラさんの元に向かったマリアに代わって私とクリスが、トウベイさんを抱えて持ち上げた。私もクリスも、正直、腕力は全然ない方なんだけど、そんな私たちでも簡単に持ち上がるほど、トウベイさんの体は細く、軽かった。それであの威力の剣技を振るっていたんだから、まさに剣鬼と言った所なんだろう。
そして、トウベイさんの身体を、少し離れた場所に運んで行く。地べたで申し訳ないけど、トウベイさんを流れ弾も飛んで来なさそうな場所に安置しておいたのだった。
◇ ◇ ◇
私たちがマリアたちの所に戻った時は丁度、マリアの"軽傷治癒"によってシャイラさんが意識を取り戻したところだった。
「私は……」
頭を振りながら呟くシャイラさんに対して、私は手短に状況を説明する。
「シャイラさんは、トウベイさんに倒されてたの。そしてトウベイさんは、バフォメットに殺されたわ。この刀は、あなたが引き継ぐように、との遺言よ」
トウベイさんがシャイラさんをかばった事は割愛しておく。無駄に心の痛みを増やしても、ね?
「師匠が!?」
「いい? シャイラさん。これからバフォメットと戦わなければならない。でも、師匠の仇とか思わず、冷静に、ね」
「…………」
しばし目を瞑って空を見上げたシャイラさん。そして、ぱしんと両手で自らの頬を叩くと「よし!」と一言だけ呟いた。
それを見守った私はシャイラさんに刀を手渡しながら、「それでいいわ」と微笑みかけたのだった。
ちょうど頃合いとみたのか、裁判長席であぐらをかいて私たちを観察していたバフォメットが、ゆっくりと地上に降り立とうとしていた。
『――そろそろ、始めるかね?』
「ええ、時間をくれてありがとう。これで心置きなくあんたをボコれるわ!」
私はバフォメットに宣言すると、早速、魔法の詠唱を始める。
「"マナよ、彼の武器に宿りて敵を打ち倒す力となれ"――魔力付与」
対象はシャイラさんの刀、マリアの両刃斧、そしてクリスの短剣だ。それぞれの武器に魔法陣が形成され、魔力が注ぎ込まれる。
『これだけ待たせたのだ。期待外れに終わらないで欲しいものだ』
バフォメットは裁判長席の前で仁王立ちになって私たちを迎え撃つ体勢を取った。さあ、戦闘開始だ!
◇ ◇ ◇
「フォーメーションは、大物相手のパターンA!」
「ああ!」「分かりました!」「はいな!」
私の声に応じて、シャイラさん、マリア、クリスの元気な声が返ってきた。
選択した戦法は、防御力が高いマリアを先頭に縦列隊形で突っ込んでいき、波状攻撃を仕掛けるというもの。ただ、あからさまに一列になると、"雷撃"のような一直線に貫通する攻撃で一網打尽になってしまうため、少しずつ散らばっているのがミソだ。
「突貫!」
「マリア、いっきまーす!」「おう!」「はいはいさー!」
『ふむ……』
突進する私たちを見たバフォメットは、軽く右腕を上げた。トウベイさんを殺した技と同じ、炎の槍が空中に浮かび上がる。
『Ֆլեյմի նիզակ!』
バフォメットが一声発すると、炎の槍は先頭のマリアに向かって撃ち出されてきた。幾らフルプレートに包まれているとはいえ、直撃を受けると死んでしまう可能性が高い。でも……
「マリア!」
「まかせてぇっ!」
マリアは駆け寄っていた脚を止め、ぎゅっと両足に力を入れると、肩の上に担いでいた両手斧を頭の上に大きく振りかぶり、そして一気に振り下ろした。更に、自らのマナを身体中に巡らせ、その勢いを倍加させる。
「そーれっ! どっかーん!」
タイミングはバッチリ。炎の槍は両手斧の打撃を真上から受け、見事に吹き散らされた。
両手斧は勢い余ってそのまま地面に激突し、堅い石畳を砕いて半ばめり込んでしまう。
「うにゅううううっ!!」
マリアは慌てて両手斧を持ち上げようとしたが、なかなか抜けないようだ。
立ち止まってしまったマリアを尻目に、後ろについていたシャイラさんとクリスが左右に分かれて追い抜いていった。
まずはシャイラさんが仕掛けるようだ。
「はあああああああっ!」
トウベイさんに使ったのと同じ、一気に飛びかかり斬り下ろす技で、バフォメットに向かっていく。ただ、その手にあるのはトウベイさんから引き継いだ刀。確か、"村正"って言ってたっけ?
『その程度の攻撃……』
と、バフォメットは左手を挙げて、彼女の刀をそのまま掴んで抑えようとした。――しかし、シャイラさんの刀は彼の腕をあっさりと抵抗なく斬り飛ばしてしまう。
『むうっ!?』
バフォメットは意外な顔をしながら軽く後ろにジャンプした。――恐らく、並の武器なら、そのまま受け止める事に自信があったんだろう。
「これは……凄い」
シャイラさんも手応えの違いを感じたのか、感嘆の声を上げながら、振り下ろした刀を構え直して立ち上がった。
「次はウチやでっ!」
クリスはバフォメットの前に走り寄ると、軸足をわずかに屈めて力を入れながら、技の名前を叫んでいた。
「ブリンクッ!」
そして次の瞬間、彼女の姿がふっとかき消すように消えてしまう。これが彼女が身につけたマナによる"必殺技"だ。フェイントと想定外のジャンプの合わせ技で、相手の後ろなどに回ったりするらしい。
少し遠くで見ている私からでも、充分消えたように見えるんだから、目前で見ているバフォメットは、どこに行ったか認知する事は不可能だろう。
『む……? ぐおおおおおっ!』
「堅ぁい!? おっさん、えっらい堅いでぇ!」
バフォメットは目前でかき消えたクリスを探そうとしていたが、次の瞬間、彼女はバフォメットの背後に回り込んでいた。3m程ある巨体の首の部分にまで回り込み、首筋にその短剣をざっくりと差し込んでいた。
クリスの短剣は、そりゃまあ、業物ってほどではないけど、そこそこいい物だし、私の"魔力付与"で切れ味も上がっているんだけど、軽々切り裂くって訳にはいかなかったらしい。
それでもある程度はダメージを与える事が出来たようで、クリスは地上に降り立つと素早くバックステップを踏んで、バフォメットの手が届く範囲から抜け出していた。
『貴様等ぁっ! 下等な人間の分際でよくも儂を……ッ!』
◇ ◇ ◇
さて、バフォメットが後ろに意識が寄っている所で、静かに歩いていた私はバフォメットの正面で、その歩みを止めていた。距離は5mほど。この魔法の射程はそれほど長くない。でもこの距離なら充分だ。私は少し息を吐いて呼吸を整えると、魔法の詠唱を開始した。選択したのは"業火の息吹"。リチャードさんと話した"アレ"はまだ使わない。準備に時間が掛かるから、この隙では間に合わないだろう。
「"マナよ、地獄の業火となりて、我が前に立ちふさがりし全ての愚か者に裁きを下さん"」
私の声を聞いて、バフォメットは慌てて振り向いた。
『貴様、それは……ッ!』
そして炎の槍を呼び出そうとするのか、バフォメットはその右手を挙げたが、もう間に合わない。私の魔法は既に成立していた。
「――業火の息吹!」
次回予告。
私の"業火の息吹"ではバフォメットを倒しきる事ができなかった。バフォメットは爆炎の直撃を受けながらも構わず前進し、私に対してその右拳を振りかぶる。そして次の瞬間、広場には鈍い衝撃音が響き渡ったのだった。
次回、「死闘の末の絶望」お楽しみに!