105.何はともあれ作戦準備
ぐぐぐ、また微熱が出てしまいました……
次回は12月5日に掲載予定です。
ラシードに召喚され、シャイロックさんに憑依したバフォメット。人々を皆殺しにし、町を破壊する命令を受けたのだけれど、幸いにもバフォメットはそれをすぐに実行しようとはしていなかった。
『汝らに時間の猶予をやろう。この場より逃げたいものは逃げても構わぬ。己の生命を懸けて、この儂と戦う気概がある者のみ残るが良い』
そう言うとバフォメットは、裁判長席の机に上がり、ゆったりとあぐらをかいて座ったのだった。
「ば、馬鹿にするな、悪魔め!」
と、裁判長席の後方に配置されていた軍務の傭兵達が、左と右から抜剣して躍りかかって行く。
「うおおおおおおおっ!」
勇気は買うけどさあ、強さを見極めずに正面から掛かるのは蛮勇に過ぎないよ……?
バフォメットは左右をちらりと見たかと思うと、座ったままの体勢で左右の手により、あっさりと傭兵達の顔面を掴んでしまう。何しろ普通の人間の倍近い体格だから、人間の頭一つ片手で軽々と掴めてしまうようだ。
「なっ……」「は、離せっ!?」
傭兵達は慌てて引きはがそうとするが、がっしり捕まえられているらしく、全く剥がれる気配はない。
そして、バフォメットが小さく舌を鳴らすと、二人ともビクンとなったかと思うと、手足の力が抜けてそのままぶら下げられるままとなってしまった。
「その馬手は溶解の力を持ち、その弓手は凝固の力を持つ……」
私が顔をしかめながら小さく呟くと、その言葉の通り、右手に捕まえられていた傭兵は、バフォメットが手を離すと体がどろどろに溶け出してしまい、地面に真っ赤な何かが残るばかりとなってしまった。
左手に捕まえられていた傭兵は凍り付いてしまったようで、そのまま地面に落とされると、衝撃で割れた破片が飛散してしまう。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」
その姿を見た傍聴席の市民達は、ようやく事態を理解したようで、悲鳴を上げて我先に脱出を始めていた。
ただ、バフォメットは宣言した通り、逃げ出す人達に対しては何も起こさないように見える。私は、バフォメットが不意に動き出さないよう、その一挙手一頭足を見逃さないように注視しながら、横にいるギャリーさんに囁きかけた。
「ギャリーさん、裁判はこれで終わりでいいですよね?」
「ああ、検察官も去ってしまったしな。裁判長がアレでは問題なかろう」
ギャリーさんは私の質問に対して、耳元で囁き返してきた。私もそのまま小さい声で返答する。
「じゃ、ギャリーさんは街の皆を連れて、一刻も早く避難をしてください。ここだけじゃなくて、なるべく街全体で避難した方がいいと思います」
「ああ、ワシも同意見じゃ。じゃが……君はどうするんじゃ?」
ギャリーさんの質問に対して、私は笑みを浮かべながら答えた。
「わたしは正義の味方、ハニーマスタードですよ? 悪は見逃せませんね」
そして、笑みを消して肩をすくめて言葉を続ける。
「ま、冗談はともかく、なるべく時間を稼いでみます」
「――無理はせんでくれよ?」
ギャリーさんの心配そうな声を聞いて、私は苦笑した。
「そもそもアレの相手自体が無理無茶無謀ですよ?」
「もっともじゃの。すまん」
軽く頭を下げるギャリーさんに、私は終了条件を伝えておいた。
「わたしが倒された場合は、とにかく戦おうなんて考えずに、逃げて逃げて逃げまくって下さい。早晩、シャイロックさんの肉体がアレに耐えきれなくて自壊するでしょうから、それまでの辛抱です」
私が倒される、と言うのは余り考えたくない未来だけど……英雄とかじゃなくて、ただの人間に憑依した訳だから、それほど長持ちはしない筈。今はそれに期待するしかないかな?
◇ ◇ ◇
軍務の傭兵達は、公安部長は居なくなるわ、同僚達は一撃で倒されるわ、どうすべきか戸惑っているようだった。しかし、ギャリーさんが軽く手を上げたのを見て、素早く彼の元に集結する。
「諸君、フライブルク評議会議長として命じる。君たちは傍聴人の市民達を護衛、誘導して街を脱出したまえ。それと……きみ」
「はっ!」
指差された一人は、ギャリーさんにびしっと敬礼する。
「私と共に軍務本部に向かってくれるか」
「承知しました!」
そして、傭兵達は私に向かって敬礼しながら、一人はギャリーさんと共に、他の面々は逃げ出している群衆を追って、この場から立ち去っていった。私に倒された一名は、担がれての退場だったけど。
これで残ったのは、私のパーティメンバーであるシャイラさんとクリス、マリアと、領主館の面々であるリチャードさんに妹のアレックス、自動人形のユーリだ。
リチャードさんの強さは実はよく知らないんだけど、弱くはないはず。ユーリは近接戦闘ならお手の物だ。あ、アレックスは戦闘には員数外だけどね。
シャイラさん、クリスにマリアの強さはよく知ってる。
でも……これで六大上級魔神であるバフォメットと戦う事ができるんだろうか?
ともかく、ここに居る戦力を結集して戦うしかない。
覚悟を決めた私は、傍聴席の一番後ろにいるリチャードさんに向かって大きな声を上げた。
「リチャードさぁん!?」
私の声に、リチャードさんの返事が聞こえて来る。
「何かね、アニーくん? いや、ハニーマスタードくんとお呼びすればいいのかな?」
「もう正体バレちゃったんだし、アニーでいいですよ? で、リチャードさん。一緒に戦ってくれません?」
リチャードさんは視線を外してしばし考えた後、かすかに首を振りながらゆっくりと口を開いた。
「――すまないが、これは君の物語だ。主人公ではない私は、ラスボスとの戦闘には介入すべきではないよ」
「なんですか、そのメタっぽい発言は!?」
余りの言いぐさに、緊張感を削がれてしまい、そのまま素でツッコんでしまう。
「私はこの世界では異分子だからね。外野が介入しすぎるのもつまらんだろう。まあ、この考え自体が厨二なのかも知れないが、ね?」
「チュウニって何!?」
相変わらず、訳の分かんない事を口走るリチャードさん。
「冗談はさておき、まずはアレックスくんの安全を確保しなければならない。ユーリをつけているとは言え、この状況下では心許ないからね」
「むむむ……それは、確かに」
「アレックスくんを安全な所まで送り届けたら、すぐに戻ってくるよ。それまでなんとか耐えしのいで貰えるかな?」
そう言うとリチャードさんは、いきなりとんでもない提案を持ち出してきた。
「もちろん、アニーくんが倒してしまってもいい。こないだ検討したアレを使うといい」
「アレって……アレですか? テストもまだじゃないですか!」
アレと言うのは以前、リチャードさんと思考遊びがてらに考えた、最大最強の攻撃魔法だ。
もちろん、考えただけで、実際にはテストしていない。なにしろ計算してみたところ、理論上では街一つ吹き飛ばしかねない結果になってしまったんだから……
「そんな暇ないだろう? ま、使用の可否はアニーくんに任せるよ」
「……わかりました。やってみます」
肩を落として頷いた私は、リチャードさんに一つ頼みたい事を思い出した。
「あ、そうだ。ついでに警備部に寄って事情の説明をしてくれません? まだ立て籠もっていると思うので」
「分かった。それじゃ、健闘を祈るよ」
頷いたリチャードさんは、アレックスとユーリを連れて、法廷から去って行った。アレックスはこちらを見て心配そうな顔をしていたけど、ともあれやるしかないよね。
◇ ◇ ◇
彼らを見送った私は、腰に手を当てて一息ついてから、パーティメンバーの顔を一通り見渡した。シャイラさん、マリア、クリス。皆、私と目が合うと頼もしい顔を見せてくれている。
「さて、みんな。バフォメットは正直言って、デタラメに強い。シャイロックさんと言う普通の人間を通してだから、どの程度の強さが残っているか分からないけど、ドラゴンクラスはあるかも知れない」
「ふむ、それはやり甲斐があると言うものだね」
「悪を殲滅するのは神のご意志です!」
「ドラゴン並ねぇ……倒したら、ドラゴンスレイヤー名乗ってもええんかね?」
頼もしい……のはいいんだけど、私は逆に相手を軽く見ていないか心配になってきた。
「とにかく、命を大事にしてね。基本、即死級の攻撃がやってくると思うから。特にマリア! 危ないと思ったら、逃げていいんだからね!? 土台無茶な話なんだから!」
「えー、わたしだけ名指しですか!?」
相手の攻撃は受けずに避けるタイプの剣士と軽戦士であるシャイラさんとクリスはともかく、プレートメイルと自分の体力で避けずに耐えるタイプのマリアだと、即死級の攻撃には相性が悪いんだよね。
「今までアニさん一人で昼も夜も頑張っとったみたいやからね。やってみるしかないやろ?」
「厳しいのは分かっているよ。だが、フライブルクの皆を守るために、一肌脱がないとね」
そしてシャイラさんは、苦笑いしながら、私の肩に手をぽんと置いた。
「ところで……いつまでその格好でいるんだい? 流石に少々落ち着かないんだが」
「へ? あ、そだね。せめて顔だけは戻しておこうか」
と、"変装"を解いて顔だけはアニー・フェイに戻しておいた。服装はハニーマスタードのままだけど、ま、仕方ないか。ボスの前でうんしょうんしょと着替えるのは、いくら何でも油断しすぎな気がするし。
◇ ◇ ◇
私たちがドタバタやりとりしているのを、裁判長席の机の上にあぐらを掻いて興味深く見ていたバフォメットだったが、ついにその口をゆっくりと開いたのだった。
『さて、もうそろそろよろしいかね?』
次回予告。
いよいよバフォメットとの戦闘か……と思いきや、予想外の人物が私たちの前に立ちふさがる。武士の誓いってそんなに大事なの!?
次回、「武士の誓い」お楽しみに!