第一話 転生
小学校に入ってから中学三年までの間、ずっといじめられ続けてきた。
学校の用事で話しかけると気持ち悪がられる。
向こうからぶつかってきたのに、「そこにお前が居たのが悪い」と、いいがかりをつけられて蹴られたりする。
落とした物を拾ってあげようとすると、「触るな使えなくなる」と、言われたり。
新しい技を試したいと、僕をサンドバッグのようにする。衣類で隠れる部分には無くなることのないアザがいくつもある。
顔は醜い、話すのも苦手、なにも取り柄がない、反抗できずにされるがまま、抵抗したらそれ以上のことをされるだけ。
それならば黙ってやられてた方がいい……。
我慢すれば済むことだ。
今日は学校でなにもされなかった。
できるだけ空気のような存在になるようにしている。休み時間も教室の自席でじっとする。なにかするわけでもなく大人しくしているだけ。
そうすることにより、出来る限り目につかないようにしているのだ。
学校が終わると父と二人暮らしをしている古い木造アパートに帰る。
ドアを開けるとテレビの音がする。父が観ているのだろう、そんな父の顔は赤かった。机の上には酒瓶が一本とガラスのコップ、つまみのスルメがあり、すでに酔っていた。
父はアルバイトをしているが、僕と同じくらいの時間に家を出て、僕より早く帰ってきている。
学校の鞄を置き、着替えた僕はまず米を炊いておく。そして財布を持って買い物に行く。いつもの日常だ。
ただ父の機嫌が悪そうだったので、家に帰ったら殴られないか心配だ。
買い物を済ませて家に帰ると、やはり父の機嫌は悪そうな感じだった。僕は黙って晩食を作り始めた。インスタント食品は怒られるので、食材を買ってきて作るようにしてる。
今日はハンバーグを作って食卓に並べた。僕も食べようと座ると、父は空の酒瓶で僕の腕を小突いた。
空になったから持ってこいということだ。
僕は青ざめた……。お酒を買い忘れていたのだ。
「ごっ、ごめんなさい! 買い忘れたのですぐ買ってきます!」
不機嫌だった父はさらに機嫌を悪くした。
「このグズがっ!」
持っていた酒瓶で頭を殴られた僕は、頭に激しい痛みと熱さを感じながら床に崩れ落ちた。意識が薄れていくなか、僕は大好きだった母を思い出していた。
…………母さん…………。
意識が戻り、目を開けた。
あれ……なにをしていたんだ?
起き上がることなく視線だけで周りを見渡す。
――――ここは?
誰もいないし何もない、床と空は白い。
上下がわかりにくい空間だ。なんとも不思議な感じだ。
しかし僕は驚くことはなく冷静だった。
父に殴られたことを思いだし、多分死んでしまったのであろうと悟っていたからだ。
僕は立ち上がった。
なぜだろう……後ろを振り返らないといけないような気がした。
後ろを向くと美しい大人の女性が立っていた。
真っ白でシンプルだけど豪華な服は、まるでウエディングドレスのような服を身にまとい、細く白い肌を覗かせていた。
彼女は優しい口調で話しかけてきた。
「私は死後の魂を次の身体へと導く者です」
死後……僕は死んじゃったのか。この人は神様みたいなひとかな? 神様って本当に存在していたんだ……。
「私は死後の案内をしながら、様々な人を観察しています。そしてその一人が貴方でした。このように直接話すのは珍しい事なのですよ」
神様は目を細め、優しく微笑んだ。
「貴方に聞きたいことがあり、こうしてお会いしたのです。
貴方は長い間、ずっと辛い思いをして来ました。それなのに憎悪などを感じられません。しかし、なにか心残りがあるようですね。お聞きしてもよろしいですか?」
そうなのだ、特に恨みがあるとか、いじめられてきた相手に復讐をしたいとか全く思わない。
いじめられ始めた頃は、なんで僕が……って思っていたけど、いつの間にかそれが当たり前になっていて、僕だから仕方がない……と。
「恨みとかないのは、それが当たり前のように思えていたからだと思います。
そして僕が心残りと思っているのか……わかりませんが…………七年、いや八年前、大好きだった母が病気で亡くなる前に、「みんなに優しく、大切な人を守れるような強い男の子になってね」と言われたんですが、約束を守れなくて……。
父は少し乱暴でしたが母が生きていた頃は優しかったし、大切な人でした。でもまさか父に……あはは……」
それを聞いた神様は少し俯いた後、こちらを見て話しかけてきた。
「あなたには二つの選択肢を選べるようにします。
一つ目は、しばらくの間はゆっくり安らかに過ごし、時が来たら新しい命として生まれ変わる。
もう一つは、別の世界で、今の記憶を持ったまま、新しい身体に転生する。ということです」
「新しい身体? どういうことですか?」
誰かの身体に転生するということか? そんな誰とも知らない人の人生を、奪うつもりはない。
「年齢はあなたと同じくらいでしょう。その子は孤児院で保護されています。記憶を失い、心も空っぽなので、あなたの魂を入れることができます」
「空っぽというのがわかりませんが……その子の記憶はもう戻らないのですか?」
「残念ながら……心も記憶も傷ではなく、失くなってしまっているので戻ることはありません。このまま死を待つだけです」
余程辛いことがあってそうなってしまったのだろうか? どんなことがあればそのようなことになるのか……。
「僕がその子の身体を引き継いだとして、孤児院にいるってことは親もいないようですし財力もない……。その子になっても辛いだけじゃないんですか?」
「貴方には『みんなに優しく、大切な人を守れるような強い男の子』に、なれる力を私から少しだけ分け与えましょう。貴方なら間違った使い方をしないはずです」
大好きだった母との約束を果たしたい。ただそれだけのために、その機会と力を与えてくれた神様に、僕は身震いをおこした。
神様は僕の手を握り、お互いの手がうっすら光った。温かく心地よい何かが流れてくるのがわかった。
「柳原悠さん、貴方の想いが叶いますように祈っています」
そう言って神様は優しく微笑んでくれた。
――――僕は目を覚ました。
どうやら布団の上で寝ているようだ。
「院長! 男の子が意識を戻しました!」
そう言って目の前のお姉さんは嬉しそうに大声をあげる。
木製の床に壁、そして部屋の隅には棚が二つあり、ベッドが二つ並んでいる質素な部屋だ。そのうちの一つに僕が寝ているようだ。
ろうそくの明かりとランプの明かりで部屋を照らしているところをみると、電気はないのかもしれない。
僕は本当に別世界に来たのだろうか……。
起き上がろうとしたが、身体が節々が痛く、起き上がれなかった。どれくらい、この身体が眠っていたのかわからないが、弱っているということはわかった。
院長と思われる銀髪の年配の女性と、子供が三人、僕の側にやって来た。
「はじめまして、私はここの院長のセイラです」
院長のセイラが名乗ると、三人の子供達が順番に名乗りだした。
「コング、十四歳だ。この中では一番年上だ。おいらは冒険者なんだぜ!」
三人の中で一番年上で、癖毛のある茶色短髪の男の子は冒険者と名乗ったコング。冒険者……つまりファンタジー世界? それともトレジャーハンターみたいな?
「私はルイ、十二歳です!」
ハキハキと話すショートカットの黒髪女の子、ルイ。
「僕はサン、七歳です」
サンという名前の一番小さい男の子は、坊主頭の大人しそうな子だ。
子供達の自己紹介が終わり、最後に挨拶をしてくれたのは、僕が目覚めて院長を呼んだ、茶髪でボブカットのお姉さんだ。
「私はこの孤児院の食事や雑務を担当しているセシルです」
ボーッと名前を聞いていたら、「あなたの名前は?」と突然ふられて慌ててしまう。ど、どうしよう!?
「はるか……いえ、ハル! ハルです!」
慌てている僕を見て、優しく笑うセシル。
「ハル君ですね、よろしくね。なにか食べ物と飲む物を持ってきますね」
ニコリと微笑み、食事係のセシルは奥に消えていった。
悠という名前は嫌いではないが、母さんには『はるちゃん』と呼ばれていた。
それに『はるか』という名前は、前世で女の子みたいな名前だと苛められていたこともあったし、つい『ハル』と言ってしまったが……。
この身体の記憶は全くない。前世の記憶を言うわけにもいかない。
ならば記憶喪失ということにしておけばいいかな? こんなことなら「名前もわからない」と言っておけばよかったかも? 名前だけ知ってるなんて不自然じゃないか……僕のバカバカ!
名前だけはなんとなく頭に浮かんだということにしておこう……うん。少し無理があるがもう名前を言ってしまったあとだから、これで押し通そう。
どうやらこの身体は、孤児院の近くで倒れていたところを助けてもらったようだ。
そんな僕は、誰か知り合いが現れるか、記憶が戻るまで、この孤児院でお世話になることになった。
次の日の朝食後、身体を動かしてみるとまだ節々が痛かった。
相当身体が弱っていたのか、それとも負担がかかっていたのかわからないが、少しずつ身体をほぐしていかないとだめのようだ。
年長のコング君は冒険者ギルドという所に行き、仕事の依頼を見てくるといっていた。
冒険者ギルド。漫画や小説だけのものだと思っていたが、実在する世界へ転生するとは……。
ここがどんな世界なのかまだわからないが、ドラゴンや魔王とかいませんように……。
ルイとサンは孤児院の掃除と、内職の手伝いをしている。
ゆっくりとした足取りで孤児院の周りを見てきたところ、どうやら車や自転車などの文明はなさそうである。それどころか電気もなさそうだ。
電気のない生活……便利を知っている僕は普通にやっていけるだろうか……。
そして、それから二日後には普通に動けるようになった。
朝食を食べ、あとかたつけをしていると、コング君が僕を呼んだ。
「ハル、今日は役場に行くからついてこい」
同い年くらいのコングに連れられて、身分証作りのために役場に向かうことになった。
道中の町並みを見るとレンガ造りと木製の家があって、外観は白で塗装してあるのが普通みたいで統一性があり小綺麗な街並みだった。
通りの道端も広く馬車が三~四台通れる道幅だ。
役場に着いて、コングが僕の事を説明をしてくれている。
役場の係員の人の哀れむような目が痛かった……。
硬貨を支払い、しばらく待つこと一時間くらい、ようやく僕の身分証となるプレートが出来上がった。
大人の親指サイズの薄い銅のタグプレートには、登録ナンバーと《ハル》という名前と、裏には番号がいくつも記されていた。
この番号で、登録した街、僕の所在地などがわかるようだ。
僕の年齢はわからないので、コングと同じ十四歳ということにしておいた。
コングの言う冒険者という職業だが、冒険者ギルドで仕事の依頼を受け、その内容をこなして代金を受けとるそうだ。
しかし……前世でいうフリーターといったところか……。
収入が安定しなさそうだ。
獣などの素材の買い取りもしてもらえるようだ。
他にも建築の手伝い、護衛、食材や薬品の採取、様々な依頼があり、まさに日雇いバイトだ。
一見自由で良さそうに思えるが、ギルド依頼の中には危険なものもあり、後遺症の残る怪我をしてしまうこともめずらしくないそうだ。
冒険者をできなくなったら、フリーターどころか職なしで路頭に迷ってしまうだろう。
タグプレートは冒険者ランクの区別にもにも使用されているみたいで、銅、鉄、銀、金でランク分けされている。
ランクがそのままプレートの素材として使われているようだ。
なので僕が首から下げているタグプレートは銅製ということだ。
ランクを上げるには、ギルドから発注される雑務依頼や、討伐依頼をこなしポイントを稼ぐか、国の徴兵時に参加してポイントを稼ぐ。
そして国の定める試験に合格すればランクアップらしい。
しかし、なんか色々教えてくれるコングが、お兄ちゃんみたいだ。前世では友達も兄弟もいなかったし、そう考えるとなんだか嬉しく思えた。
役場の帰り、冒険者ギルドに立ち寄って良さそうな依頼がないか確認しにいくとのことだ。
冒険者ギルドか……どんなところかドキドキするな……。