11-6:ホーム《みんなで囲む食卓》
郷村の無防備な後ろ姿に大河は母を重ねずにはいられなかった。そうして自分がこの心優しい人間にしてきた人でなしな仕打ちの数々を思い出さずにはいられなかった。
(オレは・・・・)
オレは、なんてクソッタレなことをしてしまったのだろう。
これまでずっと目をそらしてきた自分の過去が一挙に目の前に並べ立てられる。
(どうしてこんな畜生以下になっちまったんだろう)
つまらない我を張って周りを傷つけてばかりで。あのガキだったころからなにひとつ変わっちゃいない。なんの進歩も成長もない。つい目に涙が溢れそうになる。しかし泣くことを自分に許すことは出来なかった。泣き出してしまいたいと思いながら、絶対に涙など流したくない、流すものかと意地になる自分もいた。
ぐっと拳を握り、なにか手を動かさなければ落ち着かないと思って、濡れたフォルテの身体をわしゃわしゃタオルで拭く。ドライヤーで乾かす。するとその音で目を覚ました郷村が、
「ん?おお、帰ってきてたのか。おかえり」
眠そうに微笑むのだった。とても自分を殴り飛ばしたり首を絞めてきた人間に向ける態度ではない。
「ちょっと待っててな。いまご飯あっためるから」
「・・・・・・・いいよ、オレがやる」
郷村は驚いた顔をする。大河は目を合わせずに続ける。
「疲れてんだろ、休んでろよ」
そう言いながら自分でも馬鹿らしいと思う。苦労をかけた母ちゃんへの罪滅ぼしでもしたいんだろうか。こんな奴相手に飯をあっためたところでどうにかなる話でもないというのに。
「そっか。・・・じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとな」
「・・・・・・」
無言で大河が厨房に向かおうとすると
「そのままだと風邪引くよ」
声を掛けられる。お前はオレの母ちゃんかよ。そう思いながらも、これまた素直に着替えて出てくる。お互い無言のまま、テレビの音もない部屋に弱火でゆっくりと鍋があっためられる音だけがする。おかずにも火が通り、それを皿に盛って食卓に並べる。最後に冷や飯をあっためるべくレンジでチンすると、その音に釣られたように、あのメガネが部屋から出てくる。
「・・・・・・むぅ?」
裸眼ででてきて、郷村と大河を見る。
それから目をこすり眼鏡を掛け、もう一度こちらを見る。大河はなにも言わない。郷村もなにも言わない。大河は慣れない手つきで、ただ黙々とすこし遅くなった夜食の準備をする。するとメガネがあの馬鹿みたいに正しい姿勢できびきび歩いてきて、料理を机に並べる大河にいきなり勢いよく頭を下げた。
「――は?」
「すまなかった」
何してんだお前。あっけにとられる。郷村はなにも見てない顔をしている。メガネは話を続ける。
「これまでおれはお前のことを理解しようともせず、正義だなんだと言い張ってお前のことを傷つけてばかりいた。心ない言葉もたくさん吐いてしまった。すまん、許してくれ、このとおりだ」
「・・・・・・」
それから沈黙が見守るなか三秒ほど頭を深々とさげつづけた。そして、なんの返事がなくとも三秒たったら自分の務めはちゃんと果たしたと言わんばかりのすっきりした顔に戻る。それは、メガネの、建寛なりのけじめだったのだろう。相手がどう思っていようと自分の至らぬ点は至らぬ点としてきちんと詫びなければすまない律儀さは、けっして人を差別することなくその石頭を誰に対してもきちんと下げさせる。
大河はそれに何か言おうとして、けれど言えなかった。ふざけるなとも、オレの方こそ悪かったとも、なにも言えなかった。いつにない歯切れの悪い迷うような色を顔に漂わせていた。それにたいして建寛も追求しようとはしない。ただ冷蔵庫から冷や飯を取り出して電子レンジであっためている。
それを何でもないことのように見ながら郷村が、
「おかずの取り皿もってきなよ。分けるからさ」
と言うので、建寛、取り皿をとりに食器棚に向かう。
やがて電子レンジがチンとなる。戻ってきてこれから食事、というところで今度は子ども部屋からチビスケが出てくる。そして部屋の中の誰かに向かって
「・・・なんか、三人で?ご飯食べてる・・・」
すると眠い目をこすりながらぬいぐるみを抱えた郷村妹が出てきて
「なにしてるの?」
当たり前の疑問を口にする。それに対し、建寛が的外れな解答をする。
「同じ屋根の下で暮らす者が同じ釜の飯を食うのが不思議なものか」
「そういうことを言ってるんじゃなくて――あ」
それでなにかを察したらしく、ぬいぐるみをベッドに戻してきて、
「学、あたしたちも行きましょ」
そして2人分の食器とスプーンをもってきて食卓に着く。
「ご飯はみんなで食べたほうが美味しいもんね」
レンジをチンする。今度はワンコロが寄ってくる。建寛が山盛りのご飯を2人によそう。郷村がワンコロの餌、もとい食事を準備する。
「あ。あたしは少なめで。こんな時間にたくさん食べると太っちゃうし」
いつもの食事のようになんだかんだで全員に食事が行き渡る。郷村妹が大河に声を掛ける。
「タイガの座ってる椅子、それいいじゃん」
「・・・そう、か?」
つい身構える大河の答えはたどたどしい。
誰も何も言わず、黙って大河を受け入れる。それが当たり前のことのように。あの当たり散らされた郷村も、頭の固い建寛も、かつて泣いて怯えていたチビスケも、兄を痛めつけられたはずの郷村妹も。
「よくできてるよな。それ、建寛がつくってくれたんだ」
郷村が妹に同意する。
「うむ」
「タツヒロが?すごい!でもなんでもできるのって、うーん、やっぱりなんかムカつくなあ」
「ヒロ兄ちゃんすごーい」
「若竹さんが壊れたものと同じ椅子を買いに方々を駆け回ったらしいのだがな。『代わりのものが見つからないからお前らで作れ』と命を受けてな。建築とは勝手が違うがやってやれんこともなし。あっという間に完成だ」
「タツヒロっていっつも神経質だけど、こういう物作るときはすごいよね。すべすべだもん。あたしの椅子より高級感ある」
「そうであろう。そういうわけだ、大河。さっきから借りてきた猫のように大人しいが、椅子を壊したことなら気に病むことはない。この龍造寺建寛が解決した。この食卓には、お前のための椅子もこうしてちゃんと用意してあるのだ」
思えば、ずっと生活に追われ母子ふたりで暮らしてきた大河にとってこんな温かい団らんに迎えられたのは初めてのことだった。母はいつも仕事で疲れ、あるいはすれ違い、仕方のないこととはいえ、誰かと食事を共にした経験などほとんどなかった。そして自ら遠ざけても来た。群れるやつらを馴れ合いと見下し、ひとりでなにもできない奴らだと決めつけた。それは他ならぬ自分自身であったというのに。
大河はこんなにも温かく手を差し伸べてくれていた人々に対して、自分とってきた態度がふがいなくてならなかった。愚かな自分がいかにちっぽけであったかを思い知るにつけて、そして骨の髄にまで染みこんでいた大河の恐れを、孤独を、じんわりと溶かしてくれるぬくもりに包まれるにつけていよいよ涙を抑えるのが難しくなってきた。
「あ、そうだ」
そのとき郷村が立ち上がった。
「忘れちゃいけない大事なものがあるんだった」




