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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
6月18日
92/106

10-15:ホーム《夜明け前と団結する想い》


 郷村と大河が睨み合う。

「黙れ、クソが!」

 彼が拳を掴んだまま離さないため、大河は右足で蹴りを放つ。それを、左手で受ける。この時、大河の全体重は左足一本にかかっていた。その瞬間を郷村は見逃さなかった。

 蹴りを受け止めたばかりの左手ですかさず大河の胸ぐらを掴み、大河の拳を放した右手で相手の左袖を掴む。そのまま釣り手と引き手を同時に大河から見た左後方へ浮かすように押しやりバランスを崩させる。大河、後ろによろける。

 そららの行程は想定していたよりも遙かにスムーズに進んだ。当たり前と言えば当たり前かも知れない。なにせ、いくら大柄な大河といえども、体育の柔道の授業でずっと彼の相手をしてくれていた――

(クマちゃんよりかは、ずっと軽い――)

 郷村は左側に勢いよく踏み込み、よろけた巨体をかろうじて支えるその左足を思い切り刈り取った。腰を中心に大河の身体がものすごく回転する。そのまま頭が床にたたきつけられようとした刹那――

「――――」

 胸ぐらとグっと釣り上げ、衝突を回避させた。

 身体の支えを失った大河が呆然と尻餅をつく。いくら3つ年上の相手とはいえ、自分よりも格下だと決めつけていた人間に自慢の拳を受け止められ、大外刈りを見事にかけられた挙げ句、あろうことか情けまでかけられたのだ。暴力だけで生きてきた大河の、プライドをへし折られたその衝撃がどれほどのものかは誰にも測りようがなかった。

 郷村はその前で膝立ちになって目線を合わせる。

「俺たちはお前の敵じゃない」

 静かに語りかける。敵意があるならばあそこで気絶するほどの一撃とて見舞うことができた。けれどもそうはしなかった。もちろん、こんなやり方であっさり説得ができるはずもないけれど、どこかで通らなければならない道であることも事実だった。ただ卑屈に殴られるだけではなくて、どんな思いで向き合っているのかをきちんと伝えるということは、どこかで必ずなされなければならないのだ。

「・・・て、めえ」

 何か呟く声が聞こえたかと思うと、次の瞬間には勢いよく突き飛ばされていた。今度は彼の方が尻餅をつく番だった。素早く起き上がり、防御か回避か選ぼうと大河を見る。すると、なんと振り上げた両手に椅子が握られている。よし、逃げようと腹をくくったけれど、

「――――!」

 悪鬼か修羅の形相でこちらを睨む大河の瞳から、光る滴が零れるのが見えた。それに一瞬、目を奪われた。たった一瞬だけ、一秒にも満たない時間だったけれど、それで十分すぎるほどの命取りだった。もう間に合わないという直観があった。

(まずいな、これは)

 郷村は申し訳なく思った。

 また大河に人を傷つけさせてしまう。またあいつの罪を重ねさせてしまう。自分の心構えの不完全さゆえに。せめて致命傷だけは避けようと、両手を頭の上で交差させる。だが、恐らく意味はないだろう。座っているこちらに対して、相手はあの長身で、しかも直立している。高さに差がありすぎるのだ。

(南無三――)

 直後に、何かの砕ける音がした。

 

 しかし、一秒経っても何の痛みも衝撃もない。郷村が顔を上げると、凜とした立ち姿の建寛が腕で彼をかばってくれていた。傍らには折れた椅子が転がっている。

「建寛!」

 思わず叫ぶ。

「待ってろ、すぐ救急箱を持ってくる」

 郷村はその場を離脱した。すると後ろから声が聞こえる。

「またてめえかよ」

「うむ、またおれだ」

 あんな攻撃を受けて負傷だってしているだろうに、建寛は悠然と構えている。

「もうこの際てめえでもかまやしねえ。むしゃくしゃしてんだ。さっさとかかってこいよ」

 大河が好戦的に挑発を繰り出すが、即座に返ってきた返事に驚くことになる。

「断る」

「・・・あ?」

「おれは心を改めたんだ。もはや人を殴るための拳など持ち合わせない」

「はあ?なんだよそれ、ふざけてんのかよ」

「大真面目だ」

「てめえまで腑抜けになりやがったか」

「ふ、腑抜けか。かつてはおれも同じ事を思っていた。だが本当の強さを知ったおれにとっては、もはやただの褒め言葉だ!さあ、もっとおれを腑抜けと罵るがいい!」

 ちょっと、なんだか、様子がおかしくはないか。救急箱を探してる彼からは2人の様子は声から想像するしかないけれど、なんか少し妙じゃないか。

(あいつの治療(※特に頭)には救急車箱だけじゃ足りない気がしてきた・・・)

 身体もメンタルも丈夫そうだから、大丈夫なのか・・・?

 そんな不安を抱く郷村をよそに、建寛はいたって真剣に大河へ語りかけていた。

「・・・それに、純平はお前にどんなに罵られ、痛めつけられても、誰よりも一番にお前のことを思って苦しんできた。おれのことはどう思ってくれても構わん。だが、純平のことは一度でいいから信じてみてくれんか」

(あいつ・・・)

 その言葉に不安は吹き飛んだ。どんな風であれ、建寛は建寛なのだ。やはりなにかを信じることにかけては筋の通った男だ。そして自分もその信頼に応えたいと思った。まずは、あの争いをどうにか収めて、あの腕の手当てをしないと。

「・・・なめやがって」

 ところが、戻ってきた郷村が目にしたのは、折れた椅子の破片を構える大河の姿だった。そして、殺傷力の高い凶器を手にしたまま猛然と襲いかかる。建寛も一歩も引こうとはしない。だが、片腕を負傷している以上どう考えても分が悪い。

 彼が建寛を突き飛ばして守ろうとした瞬間――

「そこまでだ」

 〈補助員〉が後ろから大河の手首を掴んでいた。ただ、さすがにそのまま大人しくはならない。振り返った大河、自由な左手で〈補助員〉の顔面に一撃を見舞う。ごつ、という鈍く重い音が響く。ところが〈補助員〉は微動だにしない。痛みに顔をしかめるでも、険しい顔を作って威圧するのでもない。何事もなかったように平然と、いや、どこか悲しそうな顔をして無言を守る。相手が想像以上に頑丈だと知った大河が、今度は自分の手首をつかむ手をほどこうとするが、それもままならない。するとその一部始終を見ていた〈補助員〉が

「もう、やめろ」

 脅すのでも叱るのでもなく、静かに告げた。

 それでも「放せ、放しやがれ」と叫びもがき続ける大河だったが、自室に連れて行かれて放り込まれる。すかさず飛びかかって反撃しようとするも、〈補助員〉は容赦なく扉を勢いよく閉めた。

 安全を確認した郷村はすぐさま建寛の応急処置に取りかかった。

「腕、みせてくれ」

 袖とまくると赤く腫れている。とりあえず冷やそうと氷嚢をあてていると、

「なに、案ずるな。こういうときのために鍛えてあるからな。」

 極めて穏やかに言ってくれる。それに対して郷村が

「すまない、俺が気を抜いてたばっかりに」

 と謝ると、

「ありがとう」

 と返された。意外に思った彼が顔を上げると、

「やっと自分の力を正しいことのために使えた気がするんだ。だから今はとても充実した気分だ」

 と微笑みかけてくれる。

「はは、さすが鋼の男。頼りになる」

 尊敬と感謝をこめて彼も応じる。

「うむ、とても充実しているんだ。この痛みさえも心地よいほどに」

 と、今度はなんだかアブナイことを言う。やっぱし何かしらの扉を開いてしまったんじゃなかろうか。いや、いいけれども。なんだか楽しそう、もとい気持ちよさそうだから悪いことではないのだろうけれども。

 ともあれ包帯を巻いたりしいていると〈補助員〉がやってくる。

「タツヒロ、すまなかった。それは俺の仕事なのにな」

「いえ、自分で率先して行ったことです」

「・・・そう、か。そう言ってもらえると気が楽だ。骨折は?」

「しておりません」

「よかった。それじゃあすまなかったついでに、純平にも手伝ってもらえるか?」

 そう言って散らかったテーブルを指す。

「本当はやらかした本人に掃除させるべきなんだが、片付けどころじゃないだろう。どうもあいつの頭の方が散らかってるらしいからな」

 直後に、大河の部屋から「クソ、クソ、クソ!」と苦しそうな声が聞こえてくる。それから激しい物音がいくつも。おそらく部屋中の物に手当たり次第当たり散らしているのだろう。

「おまえたちも苦しいだろうが、あいつもかなり苦しんでる。もう少しだけ見放さないでやってくれんか」

 普段のものぐさそうな振る舞いからは想像もできない、優しく子ども見守る保護者のような表情をしていた。郷村も建寛も、もちろん、と頷く。

「ありがとな。じゃ、片付けるか。ほら、ご主人、いつまで腰抜かしてるんですか」

 そう言ってテキパキと掃除にとりかかる。彼もそれに加わる。建寛も片手で手伝おうとしたけれど、それを抑えた。

「建寛はそこで休んでてくれ。ちゃっちゃとすませてくるからさ」

 あーもったいねえ、こんなに美味いのに、と〈補助員〉が皿に残った料理をつまむ。〈旦那さん〉は雑巾をたんまり取ってきてから、新しい椅子を買わなくちゃいけませんね、と〈補助員〉に話しかけている。郷村は割れた食器の破片を集めながら、さっき〈補助員〉に言われた言葉を思い出していた。

『おまえたちも苦しいだろうが、あいつもかなり苦しんでる。もう少しだけ見放さないでやってくれんか』

 当たり前だ、力を込めてテーブルを拭く。諦めなどしない。諦めなければならない理由などない。もう言い訳を探すのはやめにしたのだから。

 今晩の執拗な攻撃を見る限り、きっと〈専門家〉は彼の選んだ道を知ればそれを潰しにかかるだろう。だが、それでもいい。肯定されなくったっていい。共感だっていらない。賞賛を得られずともかまわない。そんなもののためにここに立ったわけじゃない。

 たったひとつだ。たったひとつの何よりも大切なものが、見て見ぬふりをすることもできないどうしようもない願いが、迷う心を導き恐れに震える足をそれでもなお進ませようとする。だから前へ進む。それだけのことだ。

(そして、いつか――)

 この長い雨を終わらせて、いつかみんなでこの食卓を囲むのだ。


 

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