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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
6月18日
91/106

10-14:ホーム《郷村純平――6》


 その後、葬儀が行われた。

 生前の写真もほとんど失われたので、スマホの中にあった画像を引き延ばして遺影とした。家族四人で映っていた写真から父の顔だけ切り抜いたものだった。形見となるものが何もなかったので、骨壺のなかにはそれぞれが父への想いを綴った手紙を入れた。

 純平はその遺影に見つめられる度、早く一人前の人間になろうと思った。もう自分なんぞいなければいいとは思わない。どれだけ環境が苦しくても現実が残酷でも生き抜いてみせる。けっしてこの命を粗末にせず、まっとうな人間となって罪を償い、母と娘に楽な暮らしをさせてみせるのだ。父の代わりなど誰にも務められようはずはないけれど、せめて自分がこの家庭を支えるのだと誓った。この愛する家族のために、命よりも大切な家族のために、すべての幸福を捨ててもよかった。


 しかし、母はそれから心身の疲労のため体調不良になった。夫という心の支えを失ったショックと家族を支えていかないといけない責任が負担となったのだろう。郷村はそれを見て、また自分を責めた。けれど他の誰もが同じように震災のために苦しむ中で、郷村家だけを特別扱いできる人間はいなかった。それから母はせめてこんな仮設住宅でなくもっとまっとうな場所に子どもたちを暮らさせてやりたいと思うようになった。ところが母にはそうさせてやるだけの力がなかった。こんな、壁も薄く、あまりに狭い過酷な環境ではなく、ちゃんとした服を着せて、好きな物を好きなだけ食べさせてやりたい、不自由のない幸せな暮らしをさせてあげたいという思いからしぶしぶ彼らをホームに預けることになった。

 けれどまったく恨む気持ちは起こらなかった。これもまた償うべき1つの罪だと郷村は思った。きっと父が生きてさえいればこんなことにはらなかった。母は体調不良にならずにすんだし、もしなったとしても父がそれを支え、前を向いて進むことができただろう。俺は母と娘から父を奪ったばかりか、母と妹をも引き離した。

 そんな環境の変化があっても、決して郷村は悲嘆に暮れなかった。己に嘆くことを許さなかった。はじめからそんな資格を持たない人間だと思っていた。

 郷村は病床の母に、安心するよう伝えた。

「母さん、まかせてよ。恵里菜のことは俺がちゃんと面倒を見る。さっさと就職して一人前になったら母さんのことを迎えに来る。そしたらまた一緒に暮らそう。だからさ、ゆっくりでいいからちゃんと元気になってくれ」


 それからの毎日を、郷村は理想を胸に生きた。

 自分も2人のような立派な人間になろうと。あのとき父に届くことのなかったこの手を誰かに差し伸べるために使おうと。その粉骨砕身の利他的な献身ぶりは、ほとんど『雨ニモ負ケズ』を体現していると言って良かった。けれど人々を覆う絶望はおよそ郷村ひとりの小さな肩で背負いきれるものではなかった。現実を前に理想は打ち砕かれ少しずつ、着実に疲弊していった純平は自分を疑い始めるようになった。

 自分のような不出来な人間には初めから身の丈の合わない理想だったろうか。義務感と苦痛が心を圧迫し、生きるための手段であり理由でもあった理想がかえって生きるための活力を奪った。やがて挫折し、卑怯にも信じたものから目を背け、平穏無事な生活を選ぶようになった。だんだん自分が自分でいることに疲れ〈郷村純平〉でいることから逃げ出したいとすら、思うようになってしまった。


 そんなときだった。ホームに新しい住人がやってきたのは。

 一目見たときじゃら妙な既視感に襲われた。前評判から札付きの不良と聞いていたけれど、大きな困難を否応なしに背負わされた子どもの中でいわゆる問題行動と呼ばれるものを起こす人間など珍しくもなかった。けれど、その中でもどうしてだか一際強く不良にだけ心が引かれた。

 その瞳の中にあるものに、間違いなく見覚えがあった。それは紛れもなくかつて鏡に映っていた自分の姿だった。この世すべての愛情と善意を頭から偽物ときめつけてかかる人間の目だ。孤独の殻にとじこもり、不信の檻の中で怯えながら、獰猛にその牙と爪を研ぎ続けている者の目だ。

(・・・いや、まさか)

 誰にでもある話だろう。似たような境遇の人間なんていくらでもいる。それにあいつは俺じゃない。確かに自分の過去の経験で人を理解しようとすることは、相手に興味を持つきっかけや、相手の心に寄り添う足がかりにもなるかもしれない。けれども、投影もすぎれば相手の個別性を見失うことになる。あいつにはあいつの人生があってあいつの苦しみや喜びがある。それは俺のとは別物だし、勝手に重ねるなんて失礼だろう。

 はじめ郷村は傍観を決め込んでいた。関係のないことだと思おうとした。


 ――ところがどうした人の縁の不思議なのか。

 その新しい住人と今まさに対峙し、誰も助けられないこの右手が相手の傷だらけの拳を受け止めている。

 男は言った。

「てめえみてえな薄ら寒いゲス野郎が、この世で一番反吐が出るんだよ――!!」

 だからなんだ、と郷村は思った。いくらでも反吐なぞ吐けばいい。

「やっと自分のことを話してくれたな。俺みたいなやつにひどい目に遭わされたことでもあるのか」

「――!」

「俺もそうだった。俺も最初は昔の自分をお前に重ねてたんだ。でも違うだろう?お前には武井大河って名前があるし、俺にだって郷村純平って名前がある」

 大河の固く握りこまれた拳を包み込む手に力を込める。

「ちゃんと、この目を見て話してくれよ」

 郷村は大河の目をまっすぐに見つめる。

 お前は俺の過去の亡霊じゃない。そして俺だってそうだ。お前の過去の亡霊なんかじゃない。いもしない誰かに囚われるのは、もうやめろ。前を向いて現在を生きろ。過去から伸びる影に足をとられて未来まで棒に振ってしまうのは俺1人で十分だ。純平は心の中で、声にならない言葉で語りかけた。

 あいつにならきっと届く。根拠のない予感を、けれど確かに抱いていた。


・・・

・・・・・・・

・・・・・・・・・・


 

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