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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
6月18日
86/106

10-9:ホーム《郷村純平――1》


・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・


 郷村純平と郷村恵里菜は血の繋がった兄妹ではなかった。

 純平は生後間もない姿のときにコインロッカーで発見され、その後乳児院にいるときに郷村夫妻と出会い、やがて引き取られたのだ。その後、両親は本当の子どものように純平を愛し、与え、育ててくれた。

 そうして純平が七歳のときに妹が生まれた。恵里菜という名前がつけられた。

 純平は兄として妹の誕生を喜んだ。妹が泣けばまっさきに駆けつけ、母を呼ぶ。よだれが垂れていれば拭いてやり、寝具が乱れていればちゃんとかけ直してやった。本当に天使のように可愛らしい妹で、見ているだけでも幸せな気持ちになった。ほっぺたが落ちるほど美味しい甘いお菓子を食べているときのように、純平は妹を見るだけでいつもニマニマしていた。

 やがて妹が成長し、少しずつその姿が両親に似てくるにつれて意識にのぼらないほどのかすかな違和感が細かな気泡のように湧きはじめることもあった。それでも両親も純平も、決して変わることなく当たり前の家族として、ときには喧嘩し合いながらも楽しく暮らしていた。

 ところがそこに決定的な亀裂を入れる出来事が起こった。


 純平が小学四年生のときのことだ。

 十歳の誕生日を迎えた純平を2分の1成人式という行事が待っていた。その行事の内容として自分の名前の由来だとか、生まれたときのことだとかを親に尋ねる必要があった。そしてそれら自分のルーツを確認してから、これからの夢を自分で考え発表し、将来に向けたビジョンを明確化する狙いがあった。そこで彼は初めて自分の出生にまつわる真実を知ることになる。

 自分の出生について尋ねるとき、純平自身でも理由の分からない淡い霧のような不安があった。なんとなく妙に落ち着かなくて少し怖い。そしてそれを晴らすために純平はあえて初手で核心に切り込んだ。

「生まれたばっかりの俺ってどんな感じだった?」

 もう少し婉曲な質問を選んでいれば、まだ両親にもはぐらかせるだけの余白が残され、10年後の成人式やらまで本当のことを打ち明けるのを延期することだってできたかもしれない。結果的に郷村夫妻は、出産時の写真がないことを正直に伝えた。

 それからその理由、乳児院での出会い。色々思うことはあるだろうけれど、心から愛していること。血は繋がってなどいないけれど、お父さんとお母さんだって血が繋がってないのに家族だしそんなことは関係ない。お前も恵里菜も大事なお父さんお母さんの子どもだ。戸籍を調べてもちゃんと実子だと記載されている。などなどのことを純平の手を握りながら語りかけてくれた。

 打ち明けたところを言うのであれば「やっぱりな」と思わないではなかった。

 日常の中では細かな気泡ほどに感じられ、なんとなくでやり過ごすことでのできていた微妙な違和感も、本当のことを告白されてからに振り返ってみれば、最初からなにもかもが当然のような気さえしてくる。なんの根拠もなく言葉で説明することもできない、その曖昧なすれ違いは、自分の間違いなどではなかったのだ。

 ただ、この事実は2つの意味で純平に大きな打撃を与えた。1つは、自分がこの世で最も自分の誕生を喜び愛情を注いでくれるはずの「実の親」から見捨てられた存在であるということ。2つめは、たとえ本当に郷村夫妻が自分と恵里菜とを分け隔てなく大切にしてくれていたとしても、決して消すことのできない違和感が残ってしまうということだった。

 言い換えればこういうことだ。仮に、最初から郷村夫妻が自分を恵里菜が生まれるまでの間に合わせとして代車かなにかのように扱っていたのなら、それはそれで残酷すぎる現実だけれど、純平が違和感を抱くのは夫妻のせいであるという風に責任の所在が明確になる。ところが、もし夫妻が主張するようにまったく分け隔てなく実の子どものように育ててくれていたにも関わらず自分がここまで違和感を持っていたのだとしたら、どれだけ手塩にかけて育てても他所の子は他所の子であるという事実から逃れられないのだということを意味するのだった。どちらに転んだとしても純平の気持ちに明るい光が差そうはずもなかった。

 

 それから純平はことあるごとに「血の繋がった親子ではないんだから」と思うことが増えた。そういう場面は出生の事実を打ち明けられる前よりも格段に増えた。潔癖症といっても良いくらいの神経質さだった。まるで霊に怯え、日常のあらゆるものを心霊的現象だと思い込む人のように、まったく何でもないような場面にさえ傷つき、悲しみ、孤独を深めた。

 そしてやはり、自分の誕生が決して祝福されたものではなく、愛されるどころか必要とすらされずに捨てられた人間なのだと烙印を押されたことがショックだった。そんな純平に過酷な追撃を与えたのが両親と血の繋がった妹の存在だった。多数いる中から偶然拾われただけの偽物の子どもではない。産まれることを希望されそうして血と肉とを受け継いだ本物の子どもがいる。自分のような間に合わせの、生きたぬいぐるみみたいな愛玩用の存在は、もはやなんの価値もないのだという考えが純平からすべての幸福と自信とを奪った。

(――――嘘だったんだ、なにもかも)

 今までのすべてが嘘だった。

 家族と思っていた人は赤の他人だった。自分には最初から家族なんてものはいなかった。ただの家族ごっこ。幼稚園でやってるおままごとみたいな遊び。自分が見ていた景色は現実ではなく、誰かにとって都合の良い幻想に過ぎなかった。ずっとずっと、誰かが幸せになるための甘い夢を見せられていたのだ。その中にいるときは純平自身さえ幸せだった。けれども一度醒めてしまったら、こんなに酷い悪夢とてそうそうない。与えてから奪い上げるくらいなら、いっそ最初から何も見せられない方がずっと良かった。いっそロッカーの中で誰にも見つけられず死んでしまっていたのなら、誰とも出会わずに済んでいたらこんなに苦しい思いとて味わうこともなかったのに。

 それから純平は何者も信じられなくなった。

 自分のような人間は存在する価値すらないと思うようになった。このまま誰かに処分されてしまいたかった。

 

 ときには妹にさえ八つ当たりしてしまいそうになった。三歳になり、純平のことを何も知らずに「お兄ちゃん」と慕ってくるあの可愛らしい微笑みさえ忌々しかった。両親がいないときに純平の傍で妹がすやすや寝息を立てているのを聞くと、なんだか頭が変になってしまいそうになった。なにもかもをすべて台無しにしてしまいたいような気持ちになった。正直なことを打ち明ければ「こいつさえ産まれてこなければ」と思いその温かい首に手を伸ばしたことさえあった。

 ――鼓動が速くなる。動悸がする。緊張で手に汗が滲む。安心しきって眠りにつく妹のお腹が上下する。寝息が聞こえてくる。なんだかこっちの頭までくらくらしてくる。だが簡単だ。赤子の手をひねる、ではないけれど、こんな小さな者の命を奪うくらい、いともたやすく――

「・・・・・・・」

 けれども、やはりできない。どうあったって無理だった。

 純平は、望んでしまっていたのだった。

 新しい家族が増えると知らされたときから、自分がお兄ちゃんになるのだと告げられたその瞬間から、いったいそれはどんな子なのだろうと胸を躍らせていた。母のお腹が膨らんでいくのを毎日目にしながら、自分の妹と出会える日を心待ちにしていたときの感情を心が覚えてしまっていた。

 それからの日々もしっかりと胸に刻み込まれていた。言葉を覚えない内から自分と目が合うときに微笑みかけてくれたその笑顔。はいはいをしながら自分の後をつけてきたときのこと。よだれのべっとりついた手で自分の手を掴みながら、つかまり立ちができるようになったときのこと。そして初めて――初めてその声でたどたどしく自分のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれたときのこと。

 妹が向けてくれるその天使のような微笑みでどれだけ心が明るくなってきたことか。その陽だまりみたいな笑顔をどれだけ自分が嬉しく思ったか。そうして自分が今までどれほどの想いで妹を愛し、見守ってきたか。泣けばあやし、母を呼んだ。よだれが垂れていれば拭いいてやった。寝具が乱れていればちゃんとかけ直してやった。本当に天使のように可愛らしい妹で、見ているだけでも幸せな気持ちになった。その思い出をどうやっても消すことができなかった。 妹が生まれてから自分が養子だと知らされるまでの3年間、本当の兄妹として、兄として、愛してしまった記憶が、妹を傷つけることを彼に許さなかった。奪ってしまうには、あまりにも大切なものになりすぎていた。

(俺は・・・俺はなんてこと・・・。ごめんよ・・・許してくれ、恵里菜)

 彼はとうとう涙を流しながら妹を殺めることを諦めた。そうして罪もない、何も知らない、こんなにも可愛らしい妹を殺そうとしたことを悔いた。何よりも、そんなことを考えついてしまった自分が恐ろしくなった。自分は化け物だと純平は思った。

 そのとき、眠っていた妹が目を覚ました。

 頬を濡らす純平を見て、眠い眼をこすりながら近寄ってきて、

「・・・よしよし」

 小さくて暖かい手で純平の頭を撫でた。それはいつも妹が転んだりして泣いているときに、痛みを和らげようと純平や郷村夫妻がいつもしてあげていたことだった。純平は余計に胸が締め付けられた。涙を流す自分の顔がものすごい重力で歪むのがわかった。

「だいじょうぶ?」

 そう覗き込んでくる無垢な瞳が、心配そうな表情が、良心を責め立てていたたまれなくなった。純平は逃げるようにその場を去った。もうなにからなにまでが怖くなって、いっそ消えてしまいたくて風のように走り出した。

(俺は兄失格だ。郷村家の一員でいる資格さえない)

 こんなところにいてはいけないと危機感が募った。

 いつまた大切な人を手に掛けてしまうかも知れない。そうだ、こんなところ早いうち去ってどこか遠くへ行ってしまわなければ――。

(・・・でも、どこへ?)

 全力で走り続けていた足がとまる。荒い呼吸が整わない。熱を帯びた全身から嫌な汗が噴き出し始める。どこへ行けばいいのだろう。最初から何者でもなかった、家族も居場所もなにひとつもたない自分が、あの家を出て行ったとてそれからどうしようというのだろう。

 水平線まで続く広大でのどかな田園風景に囲まれながら「どこにも行けない」と純平は感じた。行き場などない。つまりは行き止まりにぶつかったのだった。一体なんの行き止まりなのか。その答えは純平自身がよく分かっていた。


 

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