10-6ホーム:《武井大河――一》
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武井大河は10代の未婚の母のもとに生まれた。
それゆえに大河の覚えている母は、いつも疲れた顔をしていた。仕事から帰ってきたかと思うと、手早くと大河のための夕食を用意し、休む間もなく疲れた身体を引きずってまた次の仕事へと向かうのだった。そうして夜遅く帰ってくると小さなちゃぶ台にノートやらレシートを広げ、電卓を叩いてはため息をついていた。けれど、愛する一人息子の前ではいつだって明るく気丈に振る舞い、決して惨めな思いをさせまいとしてくれているのは痛いほどに感じられた。
けれど、問題はただ単に家計が苦しいばかりではなかった。母には休むだけの十分な余裕がなかったし、大河には母と会話し触れあうための時間がなかった。
そうした無理に無理を重ねる繰り返しの果てで、母はとうとう入院してしまうことになった。もともとの持病が10代の頃から続く過労によって悪化したのだった。信じられないほどの忍耐だと医者ですら驚きを隠せないでいたが、どうしてこんなになるまで放っておいたのかと次の瞬間には責めた。
母の入院によって母子家庭であった武井家の家計は破綻した。周囲の反対を押し切っての出産だったため親族からの支援を得ることは困難だった。やつれた母の頬を、もう枯れたと思っていた涙が伝うのを大河は目にした。やがて、生活保護を申請することになった。
これで生活の基盤が整うかと思われたけれど、そんなに甘い話ではなかった。
母はあまりにも不運だった。数多くいる生活保護のワーカーの中にも、まだ良心的な人間だっていただろうに、母の元に現れたのは受給者を軽蔑する強権的な人間だった。見舞いに足繁く通う大河に母は「人間扱いされていないみたい。なんだか生きてるだけでも申し訳ない」と弱音を吐いた。それが、この頃まだ穏やかだった大河を変える最初のきっかけだった。
自分の母親をいじめられていると感じた大河はワーカーに対し反抗的な態度をとるようになった。その生い立ちのせいもあって、自分たちを見捨てた父親の代わりに自分こそが母親を守るのだという強い思いがあった。血の繋がった親族ですら手を差し伸べてはくれないという現実も周囲に対する不信感を増長させた。
それから大河の反抗は大人や社会というもの全般に向けられるようになる。
自分でもどうしてそんなに腹が立つのかわからないまま、けれど気が荒れるのをどうしようもなかった。ただでさえ多忙な日々の中で十分に甘えることを環境が許してくれなかった大河の心はもともと不良の道を歩むための土台を着々と潜在的に形成してはいた。けれども自分のために苦労の汗と涙を流す母のために、あえてなんの行動も起こさずにこらえていた。それら今まで溜め込んできた鬱憤と不満につながっていた導火線にワーカーへの怒りが火をつけてしまった。
またたくまに大河は学校でも〈不良〉の烙印を押されるようになった。けれどももちろん、その背後に隠された苦悩を理解しようとする者は一人としていなかった。
(父親とかいうゴミみてえなやつだけじゃない。世間も、ワーカーとかいうクソだって誰1人オレたちを助けちゃくれない)
大河はなにもしてくれない周囲の人間に憎しみを抱き、それ以上になにもできない自分にも苛立ちを覚えた。それを他人に撒き散らしたところでどうにかなるわけないと知りながら、己の衝動を自分でも抑えることができないでいた。小さな肩に背負わされた生活の重圧と、その崩壊の危機は幼い大河に耐えられるようなものではなかった。
それらを問題視されたことがきっかけとなり、今度はSWと名乗る人間が挨拶に来た。新しいゲス野郎は大河と周囲との関係の調整、もとい、大河が回りの人たちと仲良くするお手伝いをしたいと言い出した。
無論、激しく噛みついた。無視をして、唾を吐き、舌打ちし、挑発し、罵詈雑言だって浴びせかけた。けれどもこのゲス野郎はこの手痛い歓迎を食らってもなお、友好的な態度を崩さなかった。教師のように「手に負えない社会不適合者だ」と匙を投げもしなかったし、ワーカーのように「社会の底辺に生まれた哀れなクソガキ」という目で見下すこともしなかった。武井大河は、もう何十回破り捨てたか分からない名刺を、ある日受け取ってみることに決めた。それから大河とこのSWの間に血の通った、絆とも呼べる繋がりが生まれた。
「あんたもヘンな大人だよな。他の連中はオレのこと見るなりウンザリした面しやがるのに、あんた、こうして気楽にくっちゃべってるんだからよ。――あ、わかったぜ。あんた実は大人じゃねえんだ。だから面倒なことなんざ考えちゃいないんだろ」
こういう失礼な冗談をかましてみても、親愛の印として笑顔で聞き入れてくれた。
大河は会話の中でだんだん笑顔を見せるようになってきた。それはほとんど忘れかけていたものだった。忙しい毎日のすれ違いで、母とはほとんど会話ができなかったし、入院してからは皮肉なことに時間だけはあったけれど、病に蝕まれる苦しそうな母の、不甲斐なさを詫びる辛そうな表情がいつも胸にこたえて、心から笑えたことなど一度もなかった。それだけでなく、誰にも舐められまい、屈しはしないとずっと孤独に意地を張ってきた大河が誰にも打ち明けられない弱音を聞いてもらうことのできる唯一の人間でもあった。
その後、母の容態は回復せず、むしろ悪化の一途を辿った。そうしてときどきは取り乱したり泣きわめく場面すらあった。身体的な苦痛や、ワーカーの態度から感じる屈辱感や、改めて親族が助けてくれないと突きつけられた孤独、脳裏にちらつく死の恐怖。忙しく悩む暇もなかった日々が塗りつぶしてくれていた様々なネガティブな感情が、病気と時間の有り余る入院生活によって噴出しているのが誰の目にも明らかだった。
それでも、大河が社会との関係を失い転落することがなかったのは、SWの親身で献身的な支えがあったからだった。




