10-5:ホーム《再発する騒乱とぶつける想い》
◇ ◇ ◇
ホームのみんなで食卓を囲んでいる。
今晩の食事当番である建寛は、あの日宣言したように、〈不良〉の分も用意してくれるようになった。そのことに〈専門家〉が嫌味を言う。
「あら、今日も1人分多いじゃない」
「いえ、この数で合っています。それは大河の分です」
建寛は迷いなく答える。
「はあ・・・別に箸がもてるかも怪しい人間のためにわざわざ用意しなくてもいいのに」
聞こえよがしに、また文句を垂れる。彼らはぐっと気持ちをこらえて黙殺する。そこへ〈不良〉が帰ってきた。それを見るやいなや〈専門家〉が、さっそく仕掛ける。
「ほら、あの建寛君がアナタの分も用意してくれてるわよ。もったいないから食べなさい」
さもどうでもよさそうにこぼす。実際、どうでもよいのだろう。〈専門家〉にとってこの家の敷地内にあるものはすべて自分の所有物で、それがほんの一欠片でも自分の思い通りにならないこと、まして無駄にされることが我慢ならないのだ。
〈不良〉はもちろん、吐き捨てるように返す。
「てめえの面拝みながら、んな犬の糞みてえなもん食わされるくらいなら野垂れ死んだほうがよっぽど気分がいいぜ」
自分の料理を味見もせずに罵倒された建寛のこめかみに青筋が走る。何か言い返しそうになって、それを抑えるように拳を強く握りしめる。
「・・・なにがそんなに不満なのだ」
彼もすかさずフォローに入る。
「だったら部屋の中に持ってってもいいからさ。建寛の料理、けっこううまいんだ。大河も腹減ってるだろ?」
勧めるが、それも入念に〈専門家〉によって台無しにされた。
「そりゃあ、気分がいいことでしょうね。そんなにかっこつけながら夜中にドブ鼠みたく冷蔵庫を漁ってるんだから、」
(――そのことを知っていたのか)
彼は完全に不意を突かれた。
自分の所有物が共用の冷蔵庫に保管されることを嫌う〈専門家〉は自分用のお菓子やら酒やらも自室の冷蔵庫に保管してある。そのうえ、もちろんキッチンに立つこともないので、台所の冷蔵庫の中身のことについてもなにも気づいていないとばかり思い込んでいた。
しかし詰めが甘かった。おまけに、それをこの場面で利用してくるのだ。彼が料理当番の日ならばまだ傷は浅く済んだが、よりにもよってせっかく彼に協力してくれることになった建寛が料理当番の日にいやらしいカードを切ってくる。
煽られた〈不良〉が激昂する。恵まれた傷だらけの身体を揺らすような歩き方で食卓に寄ってきたかと思うと、突然ダイニングテーブルを豪快に蹴飛ばした。悲鳴が耳をつんざく。皿とコップの割れる音が響く。トマトスープがテーブルクロスを赤く染め上げ、床に血だまりのようなものができる。
しかし、幸いと言うべきか、上座に座っている〈専門家〉に向けて、下座の妹や〈わんぱく〉がいる方向から蹴りが放たれテーブルがひっくり返されたため、子どもたちには上座ほどの被害はなかった。
彼は〈不良〉を止めるよりも、まず妹たちののケガや火傷を心配した。今この場には〈補助員〉がいる。建寛も、もう手荒なまねはしないと約束してくれた。ならば2人に任せる方が賢明だ。腰を抜かしている〈旦那さん〉まではさすがに構う余裕はないけれど、まあ大丈夫だろう。彼は素早く〈わんぱく〉を抱き上げて妹の手を取って子ども部屋に向かう。その途中ふっと思い出して、そわそわしているもう一人の家族に呼びかける。
「フォルテ!ここは危ない!」
声に反応して素直についてきてくれる。2人と1匹を無事に避難させ終えると、まず妹の具合を確認する。
「ケガや火傷はない?」
「うん、ちょっとビックリしたけど、大丈夫」
「手を見せて。・・・うん無事で良かった。学は?――よしよし怖かったな。でも、もう大丈夫。大丈夫だから、ここでいい子にして待っててな」
2人の無事を確認して踵を返すと、ひっしと腕を掴まれる。振り向くと、あの不安そうな目を潤ませた妹が彼のことを見上げていた。
「応援・・・する。応援は、するけど、もう殴れらたりしないで」
その震える声が彼の心を貫いた。そうして自分の愚かさを悟った。
彼は自分が敵意がないために敢えて行った行為が自分を思ってくれている人をどれだけ傷つけてしまっていたかを、痛烈に思い知った。彼が痛めつけられるとき、傷を負うのは彼の肉体だけではないのだ。自分の浅慮を悔い、妹の頭の上にそっと手のひらを置く。
「わかった。ありがとう、心配してくれて。もうあんなマネはしないよ」
妹が頷いてくれたのを見届けてから、彼は急いで現場に戻った。
「クソが!放せ、放せってんだよ!」
リビングでは、もうほとんど片が付いていた。大柄な〈不良〉をも優に凌駕する巨大な体躯と経験を兼ね備えた〈補助員〉が、一部の隙もないやり方で拘束している状態だった。
「いいわ、若竹さん。そのままほんの少しお仕置きをしても構わないわ。そのお子様にはどうやら教育的指導が必要みたいだから」
組み伏せられて身動きの取れない〈不良〉を見下ろしながら、陰険さを隠そうともしない卑しい笑みを顔に浮かべながら〈専門家〉が言う。
「はあ、先生の仰せのおっしゃる通りに。こいつは俺が締めておきますので、まずは服でもお着替えなさってください」
「誰に指図してるの?言われないでもそうするわ。野蛮人相手にちょっと腕が立つからってあんまりいい気にならないことね」
〈専門家〉が風呂に去ったのを見届けて、〈補助員〉が〈不良〉に耳打ちする。
「お前、このままじゃ本当にまずいことになるぞ」
〈不良〉が、なおも気炎を吐く。
「だったらなんだよ」
「なんにも。ただ俺の寝覚めが悪くなると思っただけだ」
そう言ってあっさり解放する。そうして怪訝な顔で警戒する〈不良〉に対し、荒れ果てたダイニングテーブルの光景を指で示す。
「お前が散らかしたんだ。ちゃんと自分で片付けろ」
けれど〈不良〉は頑として頷かない。
「誰があんなやつのルールになんぞ従うか」
そのまま去って行こうとするのを、丸太を思わせる浅黒く太い腕で捕まえて
「ルールじゃない。当たり前のことだ」
と〈補助員〉も諭そうとする。
なんにせよ、力任せに強制されたところで意地でも片付けをしようとしない〈不良〉を見ながら、話を試みるなら今しかないと彼は感じた。
彼は建寛とのやりとりを通して、自分の気持ちをきちんと言葉にして伝えることの重要性を改めて認識もした。さきほど妹に言われたのもそうだけれど、自分が悪いと卑屈になって殴られてるだけではダメだったのだ。押しつけるのも良くないけれど、そうかといって自分の気持ちを相手に伝える努力だって欠かすわけにはいかない。自分がどれだけ真剣かを知ってもらうには、やはり直接ぶつかり合うしかないのだから。
彼は〈不良〉に声を掛ける。
「なあ、大河。お前から見たら俺なんて薄っぺらくてクソみたいな偽善者かもしれない。それも否定はしないよ。でも、お前が伝えてくれることならそれが何であろうとちゃんと受け止めるつもりではあるんだ。何を抱えてるのか話してくれないか」
その言葉が引き金になった。
〈不良〉の瞳の奥の方から、いつだったか目にした背筋に寒気が走るほどの冷酷な憎悪が漏れ出してくる。それが瘴気となって目に見えるかのようですらあった。それでも彼は怯まない。
「ここにいる皆は誰でも途方もない苦労を背負ってやってくる。それだけ苦しみもがいてきた者同士で、このうえまたいがみ合うなんて悲しすぎるだろう?俺たちはもう既に深すぎるほどの傷を負ってるし、同じだけ他の誰かを傷つけもした。・・・もう、十分なんだ」
どんな罵倒でもかかってこい、そう心構えをしている彼だった。どんな言葉でもちゃんと向き合おうと腹をくくっていた。ところが返ってきた反応はまったくの予想外だった。
「・・・く、くく。はは、ははは――はははははは!」
〈不良〉は高らかに笑い始めた。心底可笑しくてたまらない、と。どんなコメディアンの飛ばした冗談よりも滑稽でならないと。見る者を底冷えするほど凍てついた眼差しのまま、それでも目の色以外のすべてが笑っている。口元も、頬も、身体全体ですら痙攣を起こしたのかと心配するほど小刻みに震え、そして嗤っている。
「話がしたい?ああ、いいぜ、教えてやろう」
さきほどとは打って変わって無言を貫いていた口が饒舌になる。けれどそれは欠片ほどの陽気さも見て取ることができず、むしろ心はより一層暗く深い場所で鎖されているのを感じた。
その異様な狂気をまといながら、ダイニングテーブルを蹴飛ばしたときよりもなおゆったりとした動きで彼に近づいてくる。異変を感じ取った〈補助員〉が彼に、止めようか?とアイコンタクトを送ってくる。彼は目線だけで、もう少し見守っていてくださいと返す。そして〈不良〉が彼のつま先の前まで辿り着いた。
「てめえみてえな薄ら寒いゲス野郎が、この世で一番反吐が出るんだよ――!!」
言い終わるか終わらないかの内に、砲弾のような剛強な拳が襲い来る。
その一撃がいかに重く圧倒的な威力を誇るのかは、彼の骨身に刻まれていた。身体が覚えている苦痛が蘇り本能的に避けてしまいたくなる恐怖をぐっとこらえ、あくまで毅然と〈不良〉の前に立つ彼の手が――
「――――!!?」
その素手の手のひらが、猛虎の拳骨を包み込むように受け止めていた。
あまりの衝撃に驚きを隠せなかったのは、拳を振り下ろした〈不良〉ばかりではない。建寛も目を丸くし、相当場慣れした〈補助員〉でさえも意外そうに感心していた。
「やっと自分のことを話してくれたな」
けれど、彼とてこの数ヶ月、ただ無為に漫然と過ごしてきたわけではなかった。そして〈不良〉があらん限りの怒気や憎悪をこめた拳とともに放った言葉を聞き逃すこともなかった。〈不良〉はまぎれもなくこう口にしたのだ。てめえ『みてえな』と。
「俺みたいなやつにひどい目に遭わされたことでもあるのか」
「――!」
そう問いかけると、明らかな動揺が走った。まだ癒えることのない〈不良〉の傷口に、まだ血を滴らせ続けているその苦悩の根源に彼の言葉が触れたのだ。
「俺もそうだった」
彼は自分自身の過ちごと、己の持てる全身全霊を目の前の相手にぶつける。
「俺も最初は昔の自分をお前に重ねてたんだ。でも違うだろう?お前には武井大河って名前があるし、俺にだって郷村純平って名前がある」
〈不良〉の固く握りこまれた拳を包み込む手に力を込める。
「ちゃんと、この目を見て話してくれよ」




