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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
6月18日
81/106

10-4:廃 墟《偽物の星が本物になれる日》


「世界で2人きりになったみたいですね」

 彼女が仰向けに夜空を見上げたまま呟く。

 満点の星々を映し出すその澄んだ瞳は無限の輝きをたたえていて、その瞳の中にももうひとつ宇宙があるみたいだった。

「〈希〉さんの方がロマンチックじゃないですか」

 彼は無邪気に心を躍らせている少年のようだった。

「しょうがないじゃないですか。乙女なんですから」

「それ自己申告したら即座に疑われるやつですよ」

「いいですよ、別に。だって〈樹〉くんは信じてくれるでしょう?」

「・・・・・・そりゃ、まあ」

 なんだか愛の告白をさせられたような気恥ずかしさがある。

 でも、たまにはいいかもしれない。なにせこんなに美しい夜に、こんなに素敵な人が隣にいるのだから。少しくらいロマンチックにでもならないと、かえって失礼にあたるだろう。誰に対して?と聞かれたら困るけれども。


 2人は並んで寝転んだまま、いつまでも星を見上げる。

 見上げる夜空を、ばらばらの星がほんものの灯りで飾りたてる。

 ひとつひとつの星にはなんの意味もなかったとしても、それがほかの星と結びついたとき、その繋がりは星座となってそこに物語が生まれる。昔の人は随分とロマンチックな暇のつぶし方をしていたものだ。もし自分がここまで臆病でなかったら、彼女との間にもなにかしらの、別にドラマチックなものでなくてもいいけれど、ささやかな物語でも生まれただろうか。

 彼は彼女と出会ってからの日々と、これまで2人で巡ってきた旅のことを思い出していた。

 すると、

「あれはなんていう星ですか?」

 夜空の一点を指さして彼女が尋ねる。その「星」は、ゆっくりと流れる光点だった。飛行機よりも心持ち遅い動きで、時間をたっぷりかけて夜空を悠々と横切っていく。

「流れ星には見えませんし・・・」

「ああ、あれは人工衛星です」

「人工衛星・・・」

「なんて言ったらいいんでしょう。地球の周囲を巡る軌道にのった人工物、というと、ちょっとロマンのない野暮な言い方になっちゃいますけど」

 それでも彼は人工衛星には人工衛星のロマンを感じているのだけれど。

「詳しい。さすが図鑑博士」

「しがない取り柄です」

「それにしても・・・。へえ~星かと思ってました」

「いつだって、偽物のほうが本物らしい顔をしているものです」

「なんだか哲学的ですね」

「当たり前のことをもったいつけて、それらしく言ってるだけですよ」

 並んで同じ空を見上げる。

 それは普通に前を見て過ごしているうちに忘れてしまった、あるいは見逃していた感覚を思い出させてくれた。

「でも、それだけだとちょっと悲しすぎませんか」

「なにがですか?」

「人に造られた衛星が、人だってなかなか辿り着けない宇宙まで行ったのに、最後まで物としての役割しか与えられないままだったら」

 寝る前に呼んでもらった悲しい絵本の結末を「もうちょっと幸せにしてあげて」とお願いする幼い優しさが彼女の言葉の穏やかさに籠もっていた。

「だから私はいつか星になれたらいいなって思うんです。いつか人間が地球からいなくなって、誰も人工衛星のことなんて覚えてる人がいなくなって、そしたらもう、与えられた仕事なんかに縛られなくてもいいんです。その後もずっと意味も理由もなく宇宙を巡り続けたら、それはもう本当の星となにもかわらないんじゃないかなって」

「人工衛星を造った人たちも、人工衛星という名前でわざわざ呼ぶ人もいなくなるから・・・?」

 彼女は彼が意図をくみ取ったことに満足そうに頷く。

 女王という仕立て上げられた肩書きを背負い続けた彼女が、なにものでもない1人の人間としてこの廃墟で奏でるピアノの音色と、あのゆっくりと空を巡り続ける造られた星は、彼女の中で繋がったのだ。距離も時空もなにもかも飛び越えた心の中で。

 だからって、なにも地球から人間を滅ぼしてしまわなくてもいいだろう、などと言うような彼でもない。なにせ今は、そんなことをせずとも世界の中に2人きりなのだから。そして彼自身、彼女の願いの純粋さに胸を打たれるところがあった。

「『よだかの星』みたいですね」

「宮沢賢治、でしたっけ」

 彼は頷く。

「あれも、『夜』と『鷹』から名前を借りてるんだからさっさと返して改名しろ、なんて無茶苦茶を言われてしまいますよね。でも、最後は自分の命を燃やし尽くして『よだかの星』になる。あのお話、宮沢賢治のなかでも一番好きなんです」

「いい話ですよね。あれを呼んでいるといつもうるっとなっちゃいます。でも、私も〈希〉なんて名前を『これ』から借りてますから。そのうち改名しなきゃいけないかも」

 そういってスカートのポケットから煙草とライターを取り出す。

「吸ってもいいですか?」

「どうぞ」

 一本口にくわえてから、箱を向ける。

「〈樹〉くんも吸いますか」

「いえ、俺はココアシガレット派なので」

「懐かしい。駄菓子とかも好きでしょう?」

「語り始めたら朝まで続きますよ」

 笑いながら身を起こし、彼女が煙草に火をつける。

 その物憂げな仕草に色っぽいものを感じる。

「いいですよ、私は朝までここにいても」

 冗談か本気か掴みかねることを言う。

「もしかして〈希〉さん、実はヤンキー?」

「へっへっへ。もうとっくに一通り手は汚してるぜ。――って、〈樹〉くんだってこんなところに来るぐらいですから人のこと言えないでしょう?共犯ですよ、共犯」

「忘れてた。俺も弱みを握られてるんだった」

 彼女が笑う。呼吸するたびに、煙草の先端が火星みたいに光る。

 それからまた、ぽつりぽつりと言葉を交わしているうちに煙草が少しずつ灰になっていく。そうして最後は燃え尽きた線香花火のように、携帯灰皿の中へぽとりと落ちる。

それを見届けてから、彼は立ち上がった。

「もう、帰るんですか?」

 帰る――その言葉が少しだけ響いた。

 そうだな、そうかもしれない。あの日以来自分に返る場所などないのだとずっと言い聞かせてきたけれど、きっと実はそうじゃなかった。毎朝毎朝、ホームの住人たちはそれぞれ違う場所に出かける。幼稚園や学校や職場など。そうして毎日同じ場所に帰ってくる。それはつまり、帰るために出かけているのだった。またあの屋根の下に戻り、みんなで食事を取るために嫌なことや面倒な事とも戦いにゆくのだった。彼は自信をもって応える。

「ええ。やることがあるんです」

 それを聞いた彼女の顔に、どこか名残惜しそうな雰囲気が漂っているように見えたのは、自分の目の錯覚だろうか。朝までここにいてもいい、そう言ってくれた彼女の想いは、なんとなく分かるようでありながら、しかしはっきりと確かめる術などない。

「もう、足の疲れはとれましたか?」

 彼は尋ねる。きっと、仮に彼女がここにもっと留まっていたいと願っていたとしても、それは足の疲労とはほとんど関係がないと知りながら。

「はい。すっかり」

 彼女も立ち上がって、スカートやら服やらについた小石や砂を払い落とす。せっかくの黒髪にも、たくさんの小さな汚れがついていた。それを見てから彼も自分の服をはたきはじめる。

「〈樹〉くん、背中とかすっごいですよ」

 そう言いながら、彼女が背中の汚れを落としてくれる。それもとても丁寧に。彼もなんだか胸が締め付けられるような気がして、自分の番がすむと、今度は同じように丹念に彼女の背中と、それからきれいな黒髪の汚れを取った。

「けっこう紳士的な手つきですね」

「それって、いかがわしいって意味ですか」

「いえいえ。言葉通りの意味ですよ?ただちょっとくすぐったいだけで」

「・・・妹が今より小さかった頃は、ときどき三つ編みを編んであげたりしてたんです。さすがに同級生のとかは触ったことがありませんけど。――はい、これで大体きれいになりました」

 それ以上はここに残り続ける理由を見つけることができなかった。

 身ぎれいにした2人は、また長い道のりを並んで歩き出す。相変わらず言葉少なに。

 こうして廃墟を一緒に巡ることができるのも、これか、あるいは次くらいで最後のような気がした。特に何の根拠もないはずなのに。それでも、遠くの方では、すっかり暗くなった景色の中に、家々の明かりが灯っているているのが見える。彼にも帰るべき場所があった。会わなければならない人も、伝えなければならないこともあった。

 窓から流れ出す、そのオレンジ色の光を目指してひたすら彼は歩き続けた。


 

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