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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
4月10日
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2-6:廃 墟《彼女の頼みと彼の葛藤》

 

 なるほど、と彼は合点がいった。

 彼女が昨日ここにきた理由は分かった。今日ここにきた理由もわかった。

 しかし、彼女は彼にとっても不確定要素の塊であり、受け入れることには少なからず抵抗もある。もしここで拒んだらもめ事の種になるだろうか。この彼女の豹変ぶりから、また明日にどう変わってるかはわかったもんじゃない。

 そんな自己本位的な計算ずくの考えに頭を絞っているときに、ふと彼女と目が合った。

「・・・・・・!」

 その、彼に対してなんの不審や警戒も抱かない澄んだ瞳を見て、はっとした。

 磨き上げられた鏡のような瞳には、彼の自意識の下に隠れ住んでいる醜さがありありと映っているように感じられた。

 そうしてその彼女の透明感の前に浮き彫りにされた自分の身勝手さを恥ずかしく思った。自分が今、は虫類のような利己的な見方でしか相手を見ていないことに気がついて少しだけ自分に嫌気が差した。彼は彼女の無垢な表情を見るだけでも、罪悪感に苛まれそうだった。それが未だに癒えない古い傷を刺激した。

(嫌なことを思いだしてしまったな・・・)

 なにか、不当な信頼を得てしまっているかのような、他人の人の好さにつけこんで卑劣な手段で利益を得ようとしている人間にでもなってしまったかのような後ろめたさがあった。

 ついには自分が彼女を騙してしまっているかのような苦々しい思いまでしてくる。彼女に対してレッテルを貼ったり、自分の土地でもない場所から追い出そうと画策したりしていたことが申し訳なくなってきた。

 なにもされていない内から相手を決めつけるのもよくないと思い直し、思い直してしまったがゆえに、なおさら彼はわからなくなった。

 彼は、頭では彼女を受け入れたからと言って必ずしも面倒事が起きると決まったわけではないいと分かっていた。けれども神経質で臆病な心は、他人を受け入れることに踏み切るほどの強さがなかった。

 そういう頭の中の葛藤が態度にもあらわれてしまったのだろう。彼女は自分が言い出したことが人を戸惑わせていることに気づいて、 

「急に変なこと言い出してごめんなさい。ちょっと突拍子なかったですよね、お互いよく知りもしないのに」

 そんな謝罪の言葉を口にした。

 それは、まるで。

 まるで他人の苦しみや悩みが自分のせいだとでも言いたげな表情だった。自分がそこにいるだけで誰かに迷惑をかけるから一生懸命に人に迷惑をかけまいと、ただでさえ狭い肩身なのにいっそう身を縮こまらせて、狭く小さな枠に自分を押し込めようとする人間が日常的に微笑みのうちに押し隠そうとする孤独を滲ませているように見えた。

(どうして・・・・・・) 

 彼女の瞳、その澄んだ爽やかな色をした瞳の中には、許可を求めるときの怯えがある。自分には願う権利のないものを求めてしまうときの自信のなさと、高望みをする自分への自嘲が混ざっているようようにも見える。

 にも関わらず、彼を恨んだり責めたりするような気色はいっさい見せない。ただただ、雨にさらされながら飼い主を求める捨て猫みたいな哀れさで、

「だめですよね」

 と、微笑むのだった。

 美しく目を細めて、口元に優しさとよく似た寂しさを浮かべて。

 自分の中にある当たり前の希望や寂しさや、そういうものをつとめて他人に見せまいと強がりながら。親に反抗することを知らない子どもが、自分の本心に蓋をしながら大好きなぬいぐるみをクローゼットの奥にしまいこんで、したくもないお別れをするみたいに。

(どうして・・・・・・・・・・・・)

 彼女は微笑むのだった。 

 諦められるはずもない、諦めなくていいいろんなことを、諦めたふりをして。

 その微笑みが、あまりにも優しすぎる痛ましさが、大きな痛みを避けるために小さな痛みをいくつも我慢して数え切れないほど作った生傷さえも人目から隠し続ける彼の心を震わせた。

 その微笑みの奥になにを隠して生きてきたのか。

 どんな過去を引きずって、どんな痛みや悲しみを背負ってこんな廃墟まで彼女がきたのか、そんなことは彼が知ろうはずもない。

 けれども彼にも、彼にすら、社会の大海原で遭難した彼女が深く痛ましい孤独な感情の底に沈みつつあることだけは、自分のことよりいっそう胸が痛むほどの手触りで感じ取った。

 心臓を冷えた手でわしづかみされたような戦慄が骨の芯を走るようだった。彼は、彼女が今味わっているのと似たような気持ちを自分も知っているような錯覚にとらわれた。

(どうして、そんな自分が悪いみたいな顔をするんだ・・・・・・)

 その当たり前のように悲しみを隠そうとする痛々しさがたまらなく彼の胸を締め付けた。

 その瞳にまだ残っているさっきの表情が、彼女のその痛みと不安がかつて彼の中にも色濃くあったことをあまりにも鮮明に思い出させた。

 なにより――感傷に淀み厭世に汚れた彼の自意識によって心の底の檻の中に閉じ込められていた、かつて葬り去ったはずの、彼自身の純粋な優しさを揺さぶり起こした。

 

 

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