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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
6月5日
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9-8:ホーム《龍造寺建寛――肆》


 最初から背負ってるものが違う、と正直に感じた。

 他人を退けるために戦ってきていた自分と、他人の受け入れるために戦ってきた〈××〉。

 そしてこの頃にはもう、自分の正直な気持ちを、抑えがたくなっていた。

 弱さだと切り捨ててきた建寛の心が、その感情が、どうせ無理だと思いながらも、けれど

『もし願いが叶うならそうなるに超したことはない』と、認めてしまった。

 建寛にだって、誰のことも信じられない時間があった。

 他人に怯えてうずくまりながら過ごした夜がいくつもあった。

 〈武力に頼らない正義〉――もし、そんなものがあるのなら、やっぱりそれよりいいものなんてどこにもないのだ。

 けれど建寛はそれを見つけることが出来なかった。

 仕方ないと諦めて、現実的な判断だと言い聞かせて「妥協」した。本当は、自分だって、虐げられるものの痛みを、誰よりも知っていたはずなのに。だからこそ人々を守りたいと願ったのが始まりだったはずなのに。

 いつのまにか、勧善懲悪から、勧善が抜け落ちて懲悪ばかりに目が行くようになった。善を勧めることを忘れ、悪を憎むことばかり考えた。どうすればそれを打ち負かせるか、根絶やしに出来るか、そのことに囚われていた。けれどそれらは、もし人に助けてもらえなかったなら、自分が辿っていたかも知れない末路でもあったのだ。

 建寛は、実は自分こそ苦しみを理解しあえたかもしれない人々を、別の可能性として十分にありえた、自分だったかもしれない人々を、その鉄拳によって打ち叩いてきてしまっていたのだった。そのことを今、正直に認めた。

 そして、耳に染みついた言葉が、心に響いたあの説得が建寛の感情をとらえて離さない。

(おれには無理かもしれないが、しかし、この男ならば――)

 やってくれるのかもしれない、と思った。

 それを応援してみたい、と願ってしまった。

 とはいえ、龍造寺建寛はそれでも、曲がりなりにも正義を愛していた。

 それをずっと信じて、憧れて戦ってきた。

 悪に屈してしまうことのない、人々に希望を与えることのできる正義があると思いたかった。だからこそ正義のすべてを否定することなどできなかった。そこで建寛はある決断を下す。


「あのときおれはお前に『浅はかな』といったがそれはおれの方だった」

「いや、そんなことは――」

「すまない。許してくれ」

「ちょっと、建寛!?」

「今までの非礼を許してくれ」

「お、おう。ありがとう。よし分かった、一緒に頑張ろうな。だからひとまずはその顔を上げてくれよ」

「どうやらおれの本心は自分よりも〈××〉のことを信じたがっているらしい。だが、残念ながらおれにはお前に協力する資格などない。――なかなかに、こたえるものだな。己の過ちを認めるというのは」


 建寛は、自分の最も愛した正義を自分自身から切り離した。

 そうして自分自身を悪として処断する決意を固めた。

 自分が間違っていた。自分は正義などではなかった。

 ただ暴力を振るっていただけの悪人にすぎない。

 それで構わない。それを認めよう。

 けれど、自分はそうでなくても必ずどこかに正義はある。

 あるいは、この目の前の男こそがそうかもしれない。

 ならば後のことはこの男に託そう。

 ――それが、建寛にとっての精一杯の引き際だった。

 その胸中には、けれど言葉にしがたい悔しさと罪悪感があった。

(よもや、もっとも憎んでいたものの姿に、自分がなってしまうとはな)

 犯人を追い詰めている内に警察官が犯罪者の心理を理解できるようになることがあるという。ただ単に人を悪と決めつけては暴力を振るっていた自分をそれと重ねることはおこがましいけれど、それと似たようなものはあったのかもしれない。そして気づくのが遅すぎた。

(・・・おれは、なんということをしてしまってきたのだろう)

 けれど、これでよかったのだ。今日でよかったのだ。

 1年後や5年後や10年後になるよりも。自分という人間の歪みが、これ以上取り返しのつかない形で外に現れるよりも。この愛に溢れた人間の温かい説得によって引導を渡され、そうして虚しく正義を追い求めてきたこれまでの日々に幕を下ろしてしまう方が。

 なんだか大切なものをすべてを失くしてしまった気分だった。

 自分のすべてが終わってしまったような気がした。

(なにをしてきたんだろうな、あんなにもあくせく、今の今まで――)

 力の限り生き抜いてきたつもりの道を振り返ると、そこにはただの虚無しかなかった。積み上げてきた者はすべて罪と過ちだけだった。こうなるはずじゃなかった。こんなものを目指してきたわけじゃなかった。だが、仕方あるまい。これがおれの事実であり、末路なのだ。

 建寛は自分のすべてを諦めた。 

 それなのに――。

 それなのに、握手のために差し出された優しいその手は、そのまま地獄に落ちていく建寛を見殺しにはしなかった。

「過ちなんかじゃない」

 心を震わせながら。その震えが声にもあらわれるのをどうしようもないといった風に。

「建寛が俺に教えてくれたんじゃないか。解釈の可能性は無限にあるんだって。その無限のなかから今までと違う選択をしただけなんだ。だから、誰も間違ってなんかいない」

「――――!」

 男は受け入れるというのだった。龍造寺建寛という人間の歪さを。

 肯定してくれるというのだった。今までの愚かさも、隠してきた弱さも全部。

「建寛も、大河も誰だってそうさ。これまでしてきたことも、これからすることだって全部。お前が教えてくれたんだ。ものの見方次第で解釈は変わる。

 そのとおりだと俺も思うよ。だったらそれを次に繋げさえしたらいい話じゃないか」

 未来は誰にも奪われはしないと。絶望や虚無などに屈する必要などどこにもありはしないのだと。そして、やり直すための時間なら残されていると。

『お前はみんなを思ってお前なりに戦ってきてくれたじゃないか。それに感謝こそされ、謝らなきゃいけないようなことなんて、お前はなにもしてないんだから』

 ゆっくりと顔を上げた鉄の男の頬には、温かい一滴が伝っていた。

 建寛が弱さとして切り捨ててきた心は、けれど胸の底の方で我知らず涙していたのだ。建寛自身が覆い隠してきた悲しさと苦しみのために、そして誰にも打ち明けられないの痛みと悩みのためにずっと檻の中に閉じ込められてはいたけれど、ずっと涙を流したいと思っていたのだった。そのことにようやく気づいた。そして初めて、自分の心のために泣くことができた。

 涙を流し終えたその表情は、吹っ切れたような爽やかなものだった。

 今までの、己の正義に閉じこもっていた頃とは違う、温かくて柔らかな新しい光をその目は捉えていた。

「負けた・・・いや、違う。そういう種類の感情じゃない。

 最初から勝負になんてなってなかった――?」

 自問する独り言を呟いてから、「ふ、そうか」と納得したように呟いた。

「どうりで敵わないわけだ。最初から〈××〉は誰のことも敵などとは思ってなかった。つまり、無敵だったのだからな」

 その姿に、建寛はほかにはない強さを見いだした。

 自分を弱い立場に置き、人の痛みに自分も傷つきながら優しさを貫けるまっすぐさ。しなやかで繊細で、自分のことを馬鹿で愚かだという彼は、けれど賢いフリをし自分を強く見せようとする誰よりも強い心を、消えない炎を持っていた。

 それは、建寛が弱さとして切り捨ててきたものを拾い集め、弱いままにそれでも進もうとする強い者の姿だった。現実の困難を認め、それに立ち向かいながらも、決して光を失うことのない勇者の歩みだった。

(ああ、そうか。弱さを認めて進むことこそ本当の強さだったのか)

 ああ、やっと分かった。自分がどうしても正義の味方になれなかった理由が。

 ああ、よかった。これで自分は再び信じられるものに出会えたのだ。

 その胸には、これから先、どんな暗闇の中でも消えることのない言葉が響いていた。

『俺と一緒に、ばかになってくれないか』


・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・



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