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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
6月5日
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9-6:ホーム《龍造寺建寛――弐》


 そしてこの春、新しく加入してきた住人が建寛にとって見過ごせない問題を起こした。

 それはまさしく暴虐と呼ぶべき所行として建寛の目に映った。弱い者、力なき者を虐げ、人々の大切な者を破壊し奪い去ろうとするその姿。

(決してこいつを許してはならん)

 自分とて最初から今のような模範生ではなかったのだから、誰にでも更生する機会は与えられるべきと考え穏やかに接していたはずだった。自分とて地獄を生き延びる苦しみを知っているからこそ、共感や同情がまったくないわけでもなかったからだ。

 ところがその人物、武井大河は暴力に訴えかけ横暴極まる悪辣な行為を繰り返す。くわえて、それだけでは飽き足らず、人を傷つけることを目的として夜な夜な門限を破り街へ繰り出す。それはまさしく建寛の悪と定める典型的な所行の数々だった。

 自らの信念にかけてなんとしても「それ」を退ける必要があった。

 迷いなく建寛は正義を実行に移そうとした。ところが邪魔が入る。それも〈補助員〉ばかりではない。おまけになんとその人物は武井大河を擁護するようなことまでのたまうのだ。今までは人畜無害、家庭的でこのホームの良心とも思っていた、あの〈××〉がよりにもよって〈悪〉をなす人間に肩入れしたのだ。

(なにを血迷っているのか、こいつは)

 〈××〉といえど、そうなったらもはやただの障害でしかなかった。

 ただその後、あの暴挙に打って出た理由を本人の口から聞き出す機会があった。本来であればどうでも良いことだったけれども一応世話にもなった記憶はある。建寛から見ても善良である〈××〉のことだから話くらいは聞いてみようと耳を貸してみたのだが、それが一番の間違いだった。反吐を煮詰めて吐き気のするような甘い考えを聞かされた。

(まったくもって理論的でないな)

 それからというもの、かつての善人はただ無責任な綺麗事にすがる半端物としか映らなくなった。いや、それ以下かも知れない。その極めて主観的で感情的に行動する有様は弱い人間のそれだった。そして感情的であること、弱いことは、建寛に言わせれば諸悪の根源にほかならない。つまり、〈××〉は、あいつは、・・・

(おれのこの手で打ち倒すべき人間がもう一人増えた、か)

 そうして善人は悪人になった。

 正義を信じるものとしてそれを見過ごすわけにはいかなかった。神に導かれて異教徒を屠るための聖戦に赴くような使命感が建寛の中を駆け巡った。あのままでは〈××〉は悪人の道を進んでしまうと考えて、何度か改宗を促し説得したり露骨に失望を表して見せたことさえあった。ところが異教徒はなかなかその邪教を捨て去ろうとはしなかった。

 ただ、悩んでいる兆しは見えた。

 そうだろうとも。あんな綺麗事がそう簡単に通用するほど甘い世の中ではない。現に自分の見通しの甘さと無力さを痛感し、ああして悲嘆に暮れているではないか。わざわざ自分が改宗を迫るまでもなかったか?どうせ時間が過ぎて行きさえすれば正しい者がどちらかなのかを現実が教えてくれるのだから。


 ――ところが今日、この日、建寛の前に現れた異教徒は、それまでと違う顔つきをしていた。何か企んでいると一目で分かった。警戒心が建寛の身を堅くさせた。

(なにやら企んでいるらしい・・・)

 そして突然謝られる。

 しかし建寛もこの程度でようやく分かってくれたか、とは思わない。まだだ。まだ手の内をすべて把握したわけではない。これから隠し球が飛び出してくる予感がひしひしと伝わってくるのだ。そして「家族とはなにか」を建寛に尋ねた。

 それは、建寛の不意を突く問いだった。

 正義というものしか眼中にない建寛にとって目に映る人間とは、守られるべき善良な人間か退けられるべき悪人かという白黒の2種類しかいなかった。そうやって、ずっと自分自身のことについては考えないようにしてきた。あまりにも重く、辛すぎる過去だったから。

 当然家族とは何かということなんて考えたことなどないし、甘酸っぱい恋愛にうつつを抜かしたことなどもない。その公平な理性が誰か一人だけを愛する不平等を許さないと言うより、正義という者を抜きにしてどんな風に人と関わり、あるいは大事にすればいいのか知らなかった。

『でも無理だった。一緒に暮らしてるうちに、どうしても情がわいて愛着が生まれるんだ』

 ところが目の前の男はそんな建寛のことさえ家族のようなものだといったのだ。

 所詮通過点にすぎないと思おうとしたけれど、気づいたら大切な人になってしまっていたのだと。その述懐には建寛と同じ、人を遠ざけて孤独を守ろうとする弱さが垣間見えた。そうしてそれにきづいた建寛は、自分の中の切り捨てきれない弱さを気づかされた。

 そのとき、正義の信念に貫かれた男の、鉄面皮の向こうの心が、少しだけ揺れた。

(家族――。家族だというのか?このおれのことを・・・)

 相手は話し続ける。

 建寛に感謝しているし、尊敬もしていること。だからこそ自分がどうすればいいかわからなくなったこと。それらを赤裸々に語りながら、しかしその目の中には迷いがなかった。それは建寛が相手を悪と決めつけたときにまとう冷酷さではなく、何があっても相手を諦めないという揺るぎない愛情から生まれるものだった。

『気づいたら簡単なことだった。全部大切にしてしまえばいいんだって』

 すべて大切なのだという。武井大河とて悪人ではないのだという。

 なにを馬鹿な。あまりにもふざけている。

 そうは思いながらも、その瞳の色は甘えて駄々をこねる者のそれではないことにも、うすうすは気づいていた。深い絶望と苦しみを味わって、それでもなお光を失うことのない覚悟を感じ取ってしまった。

 しかし、そんなことを認めていいはずがない。否、断じて認めてはならない。

 あくまでも正しいのは自分であり、向こうこそ間違っているのだ。そうでなくてはならない。

 

 

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