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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
6月5日
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9-4:ホーム《一緒に、ばかになってくれないか》


 正直に言えば彼とて好き好んで揺れたいなどとは思わない。

 安心できるならそれに超したことはないし、幸福な場所にいたいとも思っている。それでも地面は常に足下で揺れている。気づきにくいほど些細なだけで。その微細さゆえに認識できないだけで。まったく揺れない瞬間なんてただの一秒たりともない。

 そして時々、大地震と呼びたいくらいの出来事が起こる。

 そいつは希望を根こそぎ奪っていく。自信を打ち砕き絶望の沼にたたき落とされる。そのときに問われるのは、ちゃんと地面に合わせて揺れることができるかということだ。いくら強固な思想や哲学であれ、それが融通を欠いてガチガチであれば揺れに耐えきれずにへし折れて倒壊してしまう。

 大切なのは、きちんと身体ごと揺れながら、それでも魂とでも呼ぶべき心の背骨にどんな揺れの中でもブレることのない一本の柱が通っているかということだと思う。

 これが正解だ、こうすれば上手くいくというものがあるならばそれに是非ともすがらせてもらいたいし、非常に都合もいいけれど、残念ながら絶対普遍未来永劫の真理も正解も、こと人生においてはそうそう見つからない。それどころか、そんなものにすがってしまう油断が命取りになって裂けた地面の隙間に飲み込まれることの方が多い。

 まずはその据わりの悪さを認めることから始まるのだと彼は思っている。

 では据わりの悪さを認めると何が始まるのかというと、迷うことが始まる。

 世の中分からないことだらけで、何が正しいか迷うことばかりだということに気づく。それでいいのだと彼は教わった。なにせ可能性は無限にあるのが本当の姿なのだから迷うのが当たり前なのである。

 不安定なことを嘆かないこと。わからないことを否定しないこと。

 上っ面を取っ払って裸のままで素直にいろんなものを認めること。

 そうして後ろ向きになりたいときに、ちょっと勇気を出して前を見ること。

 人は揺れて流されて変わり続けていく。ただ、その中でも揺られ方、流され方というものもあるのではないか。現実は自分を揺さぶるけれども、それに挫かれないほど大切なものだってある。時の流れは無常にも人を終わりへと押し流し、ときとして急き立てるけれども、どっちを向いてどこに泳いで行こうとするかは選べる。

 揺れながら、見たくないもの、できるなら目を背けたい本当に嫌なことをちゃんとみればそれによって損なわれることも汚されることもない本当に素敵なものが見えてくるのだと思う。

 それにはしんどさが伴う。

 けれど、そのしんどさをくぐり抜けて突き抜けてトンネルを掘り抜いた先にある世界はきっと広く、そこに降り注いで満たしてくれる光はとても明るくて美しいものだろうと彼は思えてならない。それは言葉の上で弄ぶ物ではなくて彼の人生によって培われた経験と感覚に裏打ちされた確かな物だった。

「分からないこともたくさんある。他人の考えを知ってしまうと自分に自信が持てなくもなる。だけどさ、そのときは一緒に揺れればいいかなって思うんだ。一緒に悩んで、一緒に濡れて、そうして最後に一緒に笑い合えたら。そんなやつらと居られるなら俺はもう平穏なんてなくても構わない。

 そして、この梅雨が開けてみんなで笑うときには、あいつも傍にいて欲しいと思ってる。そのためには、建寛、お前の力が必要なんだ」

 自分でどうにかしようとしても、自分一人の力ではどうにもならないことがある。けれど、この律儀で実直な頼もしい隣人が手を貸してくれるなら、1足す1は3にでも4にでもなる。

 鍋の中では、さっきから煮込んでいた食材に、ちょうどいい具合に火が通ってきた。

 彼はコンロの火を消した。一口すすって味見をする。うん、悪くない。それから〈ガリ勉〉にむかって語りかけた。

「俺と一緒に、ばかになってくれないか」

「・・・・・・」

 それでも、すぐには返事が返ってこない。訝しむように、というより、驚きの念を伴いながら、なにかを確かめるように彼に尋ねる。

「あんなことを言ったおれに頭を下げるのか。お前のことを半端物と罵った、見損なったとまで言い放ったこのおれに」

 なんだ、気にしていたのはそんなことだったのか。彼は穏やかに微笑んだ。

「ああ。建寛には見損なわれたかもしれないけど、俺は建寛のことを見損なったことなんて一度も無いよ。さっきも言ったように、誤解はしてたけど。

 半端物だって言われたのも事実だし、あれをはっきり面と向かって伝えてくれたおかげでもう一度直すきっかけになったんだ。ほかの話だって全部筋が通っててなるほどと考えさせられたし、建寛のおかげなんだ。ちゃんと自分の意見をまっすぐ伝えてくれたことに助けられたんだよ、俺は」

 あっけらかんと言う彼にきょとんとする。

「けれど、だがしかし――・・・・・・」

 それでもなお紡ごうとした言葉が途切れる。

 沈黙がしばし続いたあと、やや沈痛な面持ちになって、    「訂正させてくれ」

 と切り出した。

「あのときおれはお前に『浅はかな』と言ったが、それはおれの方だった」

「いや、そんなことは――」

 彼の声を手で制して深く何かを考え込むような目つきになる。いきなり立ち上がり、伸ばした背筋を勢いよく傾けたかと思うと見事なお辞儀をした。それからよく通る張りのある声が響いた。

「すまない。許してくれ」

「ちょっと、建寛!?」

「今までの非礼を許してくれ」

「お、おう。ありがとう。よし分かった、一緒に頑張ろうな。だからひとまずはその顔を上げてくれよ」

 予想外の事態に驚いた彼があたふた頭を上げさせようとしても、頑として上げようとしない。そのとき垣間見えたその瞳にはひどく悲しそうな、痛みにこらえていうような辛さが見て取れた。

「どうやらおれの本心は自分よりも〈××〉のことを信じたがっているらしい。だが、残念ながらおれにはお前に協力する資格などない。――なかなかに、こたえるものだな。己の過ちを認めるというのは」

「・・・・・・・」

 今度は彼が言葉を失う番だった。

 その表情が物語っていた。どれほど真剣にみんなのために戦ってきたのか。それほどまでに誠実に正義を信じてきたのだということを。

 そして今まで信じてきたその正義とすらこの男は今決別しようとしているのだ。自らの本心が、今まで戦ってきた自分よりも彼の方を指さしたという、その導きに素直に従って。その悲しみの深さ、悔しさの痛みは一体どれほどのものであろう。どうして彼などにその深みをすべて慰めることができよう。

 そのまっすぐさが物語っていた。

 この男がどれほど強く実直な男であるかを。どれほど清らかで潔い心によって正義を愛しているかを。

 それに対して、彼はなにも差し出すことが出来なかった。

 けれど、どうしても伝えなければならないことがった。

「過ちなんかじゃない」

 自分でも声が震えているのが分かる。

「建寛が俺に教えてくれたんじゃないか。解釈の可能性は無限にあるんだって。その無限のなかから今までと違う選択をしただけなんだ。だから、誰も間違ってなんかいない」

「――――!」

「建寛も、大河も誰だってそうさ。これまでしてきたことも、これからすることだって全部。お前が教えてくれたんだ。ものの見方次第で解釈は変わる。そのとおりだと俺も思うよ。だったらそれを次に繋げさえしたらいい話じゃないか」

「・・・・・・・」

「だから、な?建寛、もう顔を上げてくれよ。

 お前はみんなを思ってお前なりに戦ってきてくれたじゃないか。それに感謝こそされ、謝らなきゃいけないようなことなんて、お前はなにもしてないんだから」

 ゆっくりと顔を上げた鉄の男の頬には、温かい一滴が伝っていた。その表情は吹っ切れたような爽やかなものだった。リラックスした話しぶりで、終わったオセロの対局の感想を口にするようなことを言う。

「負けた・・・いや、違う。そういう種類の感情じゃない。最初から勝負になんてなってなかった―?」

自問する独り言を呟いてから、「ふ、そうか」と納得したように呟いた。

「どうりで敵わないわけだ。最初から〈××〉は誰のことも敵などとは思ってなかった。つまり、無敵だったのだからな」


 

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