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廃墟と春の庭  作者: 石上あさ
6月5日
71/106

9-3:ホーム《二度目の問答と彼の答え》


  ◇  ◇  ◇


「へっくし」

 冷蔵庫からキャベツを取り出しているときにクシャミがでた。

 廃墟でうたた寝をしてしまってからというもの、寒気がするし身体も重い。いくら六月とはいえ、雨の降るちょっと涼しめな日にあんな無防備に寝るものではなかった。

 ともあれ、そんなに大した症状でもないので彼は慣れた手つきで調理に取りかかる。

「・・・・・・・」

 ただひとつ気になるのが、むっつりした〈ガリ勉〉の態度だった。

 〈不良〉は〈不良〉で変わらず罵詈雑言を浴びせかけてくる。そして〈ガリ勉〉のほうはこの間の意見の食い違い以来、ずっと彼を見損なったことを言外の態度であらわしてくるのだ。おかげで彼は2人ともを相手取っているような気になる。

(それでもちゃんと会話はしてくれるだけありがたいんだけど)

 その〈ガリ勉〉がダイニングテーブルで学校の宿題を解いている。彼はちょっと声を掛けてみることにした。

「なあ建寛。フォルテの小屋のことだけどさ、今はどんな感じになってる?」

「・・・・・・」

 教科書を向いていた顔がゆっくり上がる。

「――ああ、そういえばそんな話もあったな」

 不意を突かれたような顔をしていた。

 まさかこの初志貫徹、漢に二言はないを地で行く融通が利かないほど頑固な男が自らの宣言を投げ出すわけがない。となると本当に失念していたのだろう。それほどまでに他に気をとられることがあった、というのはやはり彼や〈不良〉と関係しているのだろうか。

 そこで彼は提案する。

「お、じゃあまだ間に合うのか。実は俺もどんなのがいいかなって考えてみたりしたんだ。

 あとで見せるから、いいアイデアがあったら採用してくれよ」

 すると〈ガリ勉〉は彼から視線を外して言う。

「変わらないんだな、お前は」

 彼の包丁を動かす手が止まった。

「半端物ではあると感じたが、理に明るい人間とも思っていた。だからあの日の話で少しは変化があるのかもと考えてはいたが、またもおれの買いかぶりだったか」

 何があっても変わらない彼の態度を、学習のない人間と揶揄するのだった。彼はまた包丁を動かしながら答える。

「俺だって犬小屋のことばっかり考えてたわけじゃないさ。そのこともずっと、ずっと考えて悩んでた」

 〈ガリ勉〉は腕組みをして彼を値踏みするように鋭い目つきで見ている。構うものか、と彼は話を続けた。

「それで俺なりに出した答え――っていったら大げさなんだけど、まとめてみた考えだってありはするんだ。建寛さえ構わないなら、聞いてみてくれないか」

 材料を切り終えて鍋にうつす。龍造寺建寛は、なにも言わずに一度だけ首を縦にふった。

「ちょっと長くなりそうなのを先にことわっとくよ」

 そう前置きして彼は話し始めた。


「実はまず・・・謝らなくちゃいけないあるんだ」

「・・・・・・」

 厳しい目つきをしながらも、ここで皮肉を言って話の腰を折るような真似はさすがに相手もしてはこない。

「建寛のことを勘違いしていたんだ。それまではちょっと極端なやつじゃないかと思ってた。どれだけ正しいことをしても、やりすぎれば相手にはやられすぎた怒りや憎しみしか残らないんじゃないかって。

 でもこの間、錯視とかバグとか、大切な暮らしを守るためとか言ってただろ。あれを教えてくれて自分がなにも知ろうとしてなかっただけだって気づいたんだ。だから、悪かった。お前のことを誤解していて」

 〈ガリ勉〉の正義はこれまで生きてきたなかで経験してきた挫折と、そこで諦めなかった意志の力に裏付けされた物だった。悲しみの中でそれでもつかみ取った光を〈ガリ勉〉の手で育て上げて大きくしてきた。そういう風に培われた物だったのだ。

 それこそが〈ガリ勉〉を誠実にし、その背中をまっすぐにさせてきた。それを否定することなど何人にも許されないし、そんなつもりもない。彼に出来るのは、そして今からしようとすることはただ心を砕くことだった。

「・・・・・・」

 〈ガリ勉〉は何も返さない。

 そんな風に思っていたのか、とも、謝るほどのことじゃないとも言わない。最後まで聞き終えてから自分の疑問や意見をぶつけるつもりなのかもしれない。彼はひとまず、本題に入ることにした。

「結論から言うけど、やっぱり俺は大河にここに居てほしい」

 すると突然射すくめられそうな視線を送られる。それを「まあまあ」となだめる。

「――建寛は『家族』ってなんだと思う?」

 突然の問いかけに〈ガリ勉〉の目の色が変わった。

 自分の胸に手を当てるように、彼の答えを見守るように、まっすぐな関心をもってくれたのが雰囲気から伝わってくる。

「血が繋がってりゃ家族なのかな、とか。名字がおなじならそれで家族なんだろうか、同じ場所に住んでたら家族みたいなものかもな、とか色々あると思う。なんにしても、俺はこれまでこの場所で家族を作るつもりなんてちっともなかった。もうすでに恵里菜がいるし、ホームのことだって自立に必要な通過点だって思おうとしてきた。『特別仲良くなる必要はない。どうせすぐ別れることになる。同じバスに乗り合わせただけの付き合いに過ぎない』って」

 〈ガリ勉〉は固唾を呑んで聴き入る。彼は自分のひねくれた過去を笑いながら言う。

「でも、無理だったよ。

 一緒に暮らしてるうちにどうしても情が湧いて愛着が生まれるんだ。相手の嫌なところもたくさん見えるけれど、それよりもっと多くの善いところに気づいてる自分がいた。憎み合っても、すれ違っても、一緒に月日を重ねるうちに、ああ、でもこんな風にしてこいつらここまで過ごしてきたんだよなあと思わずにはいられないんだ」

 〈ガリ勉〉とも〈わんぱく〉ともすでにここを巣立っていった他の住人たちとだって、初めからうまく付き合えていたわけではなかった。誰もが最初から笑顔を見せてくれるわけでもなかった。でも、今はこうして真剣に向き合うことだってできている。

「建寛、言ってたろ。守るべき大切な生活があるって。俺もほんとにその通りだと思う。建寛のそういうしっかりした考えと責任感にこれまでだって何度も助けられてきた。そしてやっぱり言うこともものすごくもっともだって思ったから、俺は自分がどうすればいいのかわからなくなった。

 なにが大切かははっきりしてるのに、それが2つも3つもあるから、どれを選べばいいのかずっと迷ってた。だけど気づいたら簡単なことだった。全部大切にしてしまえばよかったんだ」

「それは、つまり――」

 彼は頷く。 

「建寛、やっぱり俺にとっては大河だって大切なもののひとつなんだ。あいつはいま誰よりも苦しんでて、切羽詰まってあんなことをしているけど、きっと性根から悪いやつなんかじゃないよ」

 きっとあいつは今地獄にいる。そして彼もまた、それに向き合う中で自分が生んだ地獄の中に入り込んだ。けれども抜け出したい気持ちをぐっとこらえる。苦しんでるのは、自分一人ではないと知っているから。この地獄を突き破るときは、あいつも揃ってだと決めているから。

 それに――同じ地獄で出会えたのなら、きっと最高の友だちや家族になれる。

 どんな逆境を前にしても、背中を預け合って共に戦える仲になれる。そんな気がしているのだ。

「アホみたいなこと言ってるだろう?」

 笑いながら問いかけると即答が返ってくる。

「綺麗事だ」

「そうだよ。でも綺麗事にでもなんにでもすがってやるつもりさ」

「馬鹿者だ、お前は」

「論理的じゃないのは自分でもわかってる。でも俺は最初から馬鹿なやつだったと気づいたんだ。馬鹿のくせにごちゃごちゃと頭で難しく考えてたからこんがらかって見えなくなってた」

「それでもお前は・・・平穏を望んでたはずじゃないのか」

 その問いに彼はつい嬉しくなった。こんなに険しくてむっつりした顔をしていても、彼を半端物と呼び失望を隠そうとしなくても。やはり〈ガリ勉〉なりに彼の願いや想いを考えていてくれていたのだ。そのために汚れ役を自分一人で背負おうと戦ってくれていたのだ。

「ああ。そうだよ」

 彼は素直に認める。それは間違いの無いことだった。

 けれど、けれども今は――

「でも、そんなものはどこにもないし、望まなくてもよかったんだ。そのことがやっとわかったんだ。幸せに穏やかに暮らしていても、地震が起きるし津波は来る。新しい住人は増えるし、散歩をすれば犬を拾う。事故や病気で生活がガラっと変わることだってある。本当に世の中ハプニングだらけだよ」


 

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